2019年12月6日金曜日

お燗酒でジンワリ


冬になると熱燗が恋しくなる。夏にはちっとも恋しくならないが、寒い冬は日が暮れたら条件反射のように熱燗が頭に浮かぶ。

空きっ腹に燗酒を流し込んだ時のあのジワ~ンと身体に広がる幸せは日本人ならではの冬の楽しみだ。



この画像は新富町のお寿司屋さん「なか山」での一コマ。白身、カツオの刺身、白子、香箱ガニを並べての熱燗タイムだ。

寒い夜にこういうラインナップで燗酒をやっていると嫌いなはずの冬という季節ですら愛おしく思える。

さてさて、平成になった頃から一気に世の中に浸透した冷酒によって、どことなく燗酒は立ち位置がビミョーになったような印象がある。

だからこそ、あえて熱燗を楽しむのが大人の素敵な嗜みのようにも思える。

あーだこーだウンチクばかりの冷酒がズラっと揃っている店で、「熱燗ちょうだい。チンチンに熱くしてね」などと注文するのは、安直に迎合していない気分にもなれて悪くない。

もちろん、熱燗が飲みたいから頼んでいるだけで無理にアマノジャクみたいな行動を取っているわけではない。私だって冷酒が飲みたいときは素直に冷酒を飲む。

でも、冷酒のウンチク合戦みたいな風潮が好きではないから、冬場はただすんなり熱燗を頼める場面が多くて嬉しい。

お燗に合う酒、合わない酒もこだわりだしたらキリがないが、たいていの店は燗酒用は1種類しか置いていない。多くても2種類ぐらいだ。

私の場合、チンチンに熱くしてもらいたいから店のおまかせで充分だ。徳利を持つのにおしぼりでカバーするぐらい熱くなっているぐらいが嬉しい。



Wikipediaに載っていた酒の呼び方の違いである。温度の差によって随分といろいろな名称がある。

燗酒と一口に言ってもその段階は小刻みだ。一番上でも55度ぐらいだが、私は60度ぐらいでもOKである。

自宅には体温計みたいな「お燗メーター」を置いてあるが、自分で湯煎する際は目盛りが60度になるまで待っている。

一般的には熱すぎる温度だが、こればかりは個人的な好みだから仕方がない。外で飲む際は相当しつこく「アッツアツで」と頼まないと自分好みの温度では出てこない。



こちらはつい最近、我が家の近くに出来た新しいお寿司屋さんでの画像だ。新富町と八丁堀の間にある。大将と息子さんが切り盛りしていて、息子さんがお酒の研究に余念がない。

燗酒にもこだわりがあるようで、熱々が好きだと伝えたら60度設定でお燗をつけてくれた。

ハッピーだった。イカワタの塩辛を巻いたイカのルイベに生ウニ、氷下魚(こまい)を並べてウットリである。

住宅街にポツンとある店だから、平日はまだまだ空いていることが多いらしい。銀座あたりでいまハヤリのおまかせ一辺倒みたいなつまらない店ではないので、いずれ混雑しちゃうはずだ。

なんだか燗酒の話なのか寿司の話なのかグチャグチャになってきてしまった。

結局、寒い冬の夜にお寿司屋さんのカウンターに腰をおろして熱燗とウマい肴を楽しむのはオジサマという種族にとっては至高の喜びだというのが今日の結論。



2019年12月4日水曜日

目ん玉が飛び出なくなった話


若い頃に戻りたいかと聞かれたら、悩まずにNoである。強がりではない。やはり若い頃は何事においても面倒だった気がする。

視野は狭いし、肩に力は入っているし、他人が気になって仕方なかった。気持ちに余裕はないし、ムダに疲れることが多かった。

もちろん、若さゆえのエネルギーのせいで、ハツラツと楽しいこともいっぱいあった。老眼鏡も必要なかったし、残尿感という言葉とも無縁だった。

今が快適である。これって幸せなことだろう。かといってあと10年経ったら今度は身体のアチコチにガタが来て、やっぱり若い頃は良かったなどと思うかも知れない。

若い人をうらやましく思うことは滅多にないが、あるとしたら「初めての喜び」がまだまだいっぱいあることだろう。

長く生きてくると、たいていのことは経験するから初々しい感動みたいな場面がなくなる。

初めて海外旅行に行ったときのワクワク感、初めて子供が生まれたときの感激、初めて家を持ったときの喜び等々、すべて初めてだからこその感動がある。

食い意地がはった私としては、初めて食べたウマいものの感激が二回目以降はどうしても弱くなっていくのが残念である。

子供の頃、初めて食べたビッグマックへの感激は当然ながら今は無い。最初の最初は「何じゃこりゃ~!」と叫びたいほど感激した。

初めて食べたババロア、初めて食べたラザニア、初めて食べたカルボナーラ。すべて目ん玉が飛び出るような感激があった。

歳を重ねて舌がおごってきただけでなく、量的にも無理が利かなくなってきたのも悲しい。



日本橋の老舗「大江戸」の極上鰻重である。何年か前に「ウナギとうなじ」と洒落てみた私の画像である。バカ丸出しだ。

その昔、初めてこんなテンコ盛り鰻重を食べた時の感激は今は無い。ここ1,2年こんなに食べられなくなってきた。半分ぐらいで充分だ。平気な顔をして余裕で食べきっていた頃が懐かしい。

20代、30代と旅先で現地のウマいものを食べるのが大好きだった。今ももちろん旅に出ればそういう観点でウロウロするが、上モノはみんな東京にあることを知ってしまってからは楽しみが半減した。

学生時代、貧乏旅行で北海道を周遊していた際、妙に安いウニ丼に遭遇した。こっちは財布にゆとりが無いから迷わず食べた。

一応、美味しかったような記憶はあるが、あくまで旅情によって美化された思い出である。

いま思えば変なウニだった。くすんだ黄土色で味もクセだらけ?だった。相当古いウニだったのか、得体の知れない品種だったのかもしれない。

でも、あれを感激しながら食べていたことはとても幸せだったと思う。年齢とともに段々と美味しいウニを知り、上等なモノを当たり前だと思うようになった。



もちろん、その頃より流通が格段に進歩して日本中の上モノが東京に集まるようになったという理由もある。それに比例してこちらの財布も若い頃よりはゆとりが出てきたから舌が贅沢になってしまったわけだ。

結果、分かったような顔をして食べ続けているうちに感激する心は無くなってしまい、最上級のモノを食べても黙ってうなずくだけになってしまった。

目ん玉が飛び出そうになっていた頃のほうが感激する喜びという点では勝っていたのだろう。

若い人にウマいものをご馳走すると、「目ん玉飛び出そう状態」で喜んでもらえることがある。喜んでもらえることは素直に嬉しいが、うらやましさも感じる。

人間にとって知らなかったウマいモノに遭遇した瞬間の感激は、大げさではなく人生の中でもトップクラスの喜びだと思う。全身が幸せに包まれる感覚である。

もしかしたら、あの感覚に浸りたくてウマいモノを求めて来たのかも知れない。美味追求というよりあの感覚に身を委ねたいという心理だ。

まあ、そんなことを分析したって始まらない。

グダグダ言わずにウニもウナギも素直に喜んで食べないとバチが当たる。

カップ麺やジャンクフードにも時々ではあるが、目ん玉が飛び出そうになるニクいやつがある。まだまだ老け込まずに頑張ろうと思う。

2019年12月2日月曜日

年齢不相応な味覚


気付けば宇宙戦艦ヤマトの沖田艦長の年齢を越え、磯野波平と同じ歳になってしまった。

世が世なら老人というジャンルに限りなく近いところまで到達してしまった。大人の中の大人である。

そんな歳になれば、鮭の切り身にきんぴらゴボウ、芋の煮っ転がし、梅干しをおかずに小量のご飯を食べているようなイメージがある。

いや、イメージというより、本来そんな食事を摂るのが正しい姿だろう。にもかかわらず、私の普段の食生活はヒドいものである。

根本的に自分の年齢を正しく認識していない。若い頃のようにジャンクな食べ物を見るとぐいぐい引き込まれてしまう。

そして、胸焼けや膨満感に襲われる。自業自得だ。おまけにコレステロールや逆流性食道炎の薬を毎日飲んでいるわけだから単なるバカかもしれない。



そんな「緩やかな自殺」みたいな日々だからコンビニでおにぎりを買ってもついつい謎のラインナップを選んでしまう。

たらこ以外は50代の大人が選ぶようなシロモノではない。でもついつい手が出る。そして自分の身の丈?に合わない味付けにゲンナリする。

年の瀬も迫ってきたので、せっせとふるさと納税にも励んでいるのだが、ここでもついつい若者が好みそうな返礼品ばかり選ぶ。




魚介や野菜系など身体に負担がかからないようなものを入手すればいいのに、よりによってトンカツだ。

でも、この冷凍トンカツは電子レンジでチンするだけでカラッと美味しく出来上がる。なぜかベチャッとしない不思議な一品なので定期的に取り寄せている。

なんだかすっかり不健康自慢みたいな話になってしまった。

さすがに家で食べる食事ぐらいは魚中心の身体に優しい路線に変えようと思うのだが、アニサキスアレルギーのせいで何となく魚よりも肉系を選んでしまう。


アレルギーのほうはすっかり影を潜めてくれている。週に一度は普通にお寿司屋さんに出かけているのだが、逆にそれが魚を食べ過ぎてはいけないというブレーキになって朝食に魚を食べなくなってしまった。

だったら海苔の佃煮やなめ茸あたりでご飯を食べればいいのに、なぜかガッツリ系に手が出てしまう。

朝ご飯という場面だけは、家庭人が素直にうらやましい。マズかろうが嫌いだろうが、身体に良さそうなものが出てきて、それを食べるしかないわけだから偏ることはない。

時には朝からカップ麺で済ませることもある私とちゃんとした家庭人が平等に健康でいられるはずはない。

自由だとか気ままな時間と引き換えに私が失っていくものは寿命そのものである。

なんだか救いようのない暗い話になってしまった。

もちろん、深刻に憂いているわけではない。一応、自戒のためには書いておくことは大事である。

というわけで、昨日食べたカップ焼きそばの話で締めようと思う。



ペヤング派の私にとっては浮気である。でもこれまた年甲斐もなく妙に惹かれて買ってしまったわけだ。

普通の50代はこういうノリ?のカップ焼きそばは買わないだろうが、時にジャンクの悪魔が身体に乗り移る私としては率先して購入。

そしてこれをウマいなあ、また買おうなどと思ってしまうう味覚が残念である。年甲斐もない味覚としかいいようがない。



2019年11月29日金曜日

愛の歌を作ってみる

わがオジサマバンドのライブまであと1週間ちょっとだ。もうジタバタできない段階だ。全体練習も終わってしまった。あとは個別メンバーとのすり合わせだけである。




MC台本もそろそろ仕上げないとならない。素人なりに楽曲構成や演出を考えているので、ただ歌って演奏するだけならもっとラクチンだと思う。

基本的には35人体制であれこれと演奏するのだが、今年は楽曲によっては最大8人編成になる。練習も一堂に会することは難しく、これまで各パートごとにメンバー間で何とか調整してきた。

3曲だけ参加してくれるドラマーは、わがバンド史上最年少である。少年と呼んでいい年齢だが、ドラム歴は8年だとか。中核メンバーである我々母校の後輩でもある。本番の緊張感とどう向き合えるかがポイントだろう。

春から数えて10回以上は練習を重ねた。当初は中核メンバーである同級生3人だけでカラオケボックスで呑気に過ごしていた。その頃に比べると別次元の仕上がりになってきた。

マッサラなところから形を整えていく作業は楽しい。クリエイティブなどと言うとキザったらしいが、アーでもないコーでもないと創意工夫して、一つの曲がうまく収まった時は結構な満足感がある。これが面白くて今まで続けてこられたのかもしれない。

クリエイティブといえば、オリジナル曲である。ヒット曲のコピーですら自分達仕様に仕上げるのに四苦八苦するが、オリジナル曲はまったくの「無」から始めるわけだから仕上がった時の満足感は大きい。

今年は新曲と5年ほど前に作った曲の再演を予定している。素人の知らない歌を聴かされてもお客様としては退屈だ。もっとオリジナルを増やしたい気持ちを抑えて2曲だけに留めた。

5年前にこのブログで自作曲についてアレコレと書いた(http://fugoh-kisya.blogspot.com/2014/10/blog-post_27.html)のだが、今も思うのはプロの作詞家の語彙力の凄さだ。

野球選手が千本ノックを受けて守備が上達するように、趣味の世界とはいえ、ただただ数をこなして歌詞を作り続けるほかには進歩する方法はないのだと思う。

今日は今年のライブで披露するオリジナルの2曲について自作の歌詞を載せてしまう。

まずは5年ほど前に作った、いわば不倫の男女を描いた歌だ。「絡まる糸ならば ほどかずにいればいい」という歌詞が個人的には気に入っている。



 スパイダーリリー


   まぶしく光る月
   妖しく香る波

  ガムランの響き風に漂う

  甘噛みに肩が染まる 
  吐息に濡れる夜

  つかの間のハイダウェイ
  刹那に微笑む共犯者たち
  ミスキャストはいらない

  苦しげなため息を
  唇でふさぎ込み

  溢れ出る夜露 指でぬぐい

  答えなど求めずに 
  未来など求めずに

  溺れていたい 
  ロータスの花が開くまで



  風にそよぐ稲穂
  黄昏が近づく

  暗闇を待ちきれず
  ほとばしる熱情

  この時を刻み込む
  恥じらいもむき出しのまま熱く
  険しく踊り続ける

  裁かれる日が来ると 
  分かっているけれど

  止まらない思い 胸を焦がす

  そしてまた絡み合う 
  溶けるまで絡み合う

  狂おしく咲く 
  スパイダーリリーのように

  ああ二つの影 揺れてる
  震えるように

  寄り添いながら結ばれぬ
  行き止まりの旅

  裁かれる日が来ると
  分かっているけれど

  止まらない思い 胸を焦がす

  そしてまた絡み合う
  溶けるまで絡み合う

  狂おしく咲く
  スパイダーリリーのように 


次は新曲だ。12月のライブに合わせて今年の夏の暑さの中でクリスマスを必死にイメージして作った歌詞だ。

長く付き合ってきた男女を想定したラブソングである。作詞した私も作曲したメンバーも独身である。そんなもんだ。

ちなみに、ラブソングは単なる男女の好いたハレただけでなく、親が子供に向ける愛情に置き換えて聴いてみても成立すると思う。




 Christmas for you


  イルミネーションの中 
  はしゃぐキミの笑顔 
  時が止まればいいと願う

  すれ違った日もあった 
  離れていたことも 
  今では不思議な過ちかもね

  どこかで響くキャロルの音色に
  キミは足を止めて

  イタズラなまなざしで僕を見つめ
 「ロマンチックは苦手でしょ?」 
  そう言って肩をすぼめた

  メリークリスマス フォーユー
  今夜だけは 照れずに 言うよ

  メリークリスマス いつも 
  そばにいて
  その胸の鼓動を感じさせて



  僕のポケットの中 
  つないだ指の強さ
  それがキミの答えなのかな

  若かった日の出会い 
  無器用なままで 
  いくつもの季節を過ごしてきたね

  歩んできた道も折り返して 
  いま思い出すのは

  悔しさやつらいことばかりだけど
  キミに会えたこと ただそれだけで 
  何よりの幸せ

  メリークリスマス フォーユー
  大好きなんて 言えないけれど

  メリークリスマス これが
  キミに贈る 
 精一杯の 愛の言葉

 冬の夜空に 浮かぶ白い星
 月明かりがキミを照らしている

 いつの日までも 絡みつく心は
 ほどかずにいるよ

 メリークリスマス フォーユー
 聖なる夜に いま誓う

 メリークリスマス キミの
 笑顔だけは 守り続けていくよ



2019年11月27日水曜日

プロに磨かれた靴


趣味は靴磨きだなどと洒落たことを語っていたのだが、最近は横着になって靴の管理をサボっている。

本気で靴磨きに励むと、私の場合、やたらと気合いを入れて汗だくになるほど夢中になる。アレはアレで体力を使うから最近は軽く布でこする程度でごまかしていた。

それではダメである。キチンとクリームも塗って適度な周期で管理しないと靴は元気を失う。

で、反省したついでに人の力に頼ることにした。専門の業者にビカビカに磨いてもらっておけば、その後しばらくは軽く掃除するだけで靴の元気さは維持できる。



新橋に拠点を置く「靴みがき本舗」の支店が八重洲地下街の「Shoeshine TOKYO」である。私の職場から近いから頼んでみることにした。

まずは5足ほど持ち込んでみた。お手並み拝見というわけではないが、自宅近所にある靴磨きショップのほうが安いから、仕上がりを確認したかったわけだ。

1足につき2300円である。10足以上頼んだら結構な金額だ。牛丼を70人ぐらいに御馳走できるレベルだ。富豪みたいである。



結果がこれだ。バッチリである。予想以上にバリバリに綺麗にしてくれた。横着な私にとっては神の仕事である。

鏡面仕上げの美しさだけでなく、かかと周りも丁寧に磨いてくれて、コバ周りもしっかり掃除してくれた。リピート決定である。



8年前に買ったタニノクリスチーである。お気に入りの1足なのでやや疲れが目立っていたが、一気に輝きを取り戻した。

靴磨きの道具は細かなものまでたいてい所持しているし、綺麗に磨くコツも自分なりに知っている。でも、ここまで美しく仕上げるのは至難のワザだ。

やはりプロの仕事は次元が違う。それなりのコストを支払って享受する必要があるのだろう。多少高かろうと、私にとっては靴は趣味の世界だから散財も仕方ない。

こちらも8年モノのJ.M.ウェストンだ。バーガンディーカラーがフランスのエスプリを感じさせる?お気に入りの1足だ。



これまたビッカビカに甦った感じである。なんとも艶めかしいツヤで私を悩殺してくれる。私が悩殺されても仕方がないのだが・・・。

結局、この後で8足ほど追加で持ち込んだ。量が量だから一週間かかるのだが、ワクワクしながら待っている。

結局、牛丼を80人ぐらいにおごれる出費になってしまったが、良い靴は良い場所に連れて行ってくれるという格言もある。良しとしよう。

ちなみに、預けて磨いてもらった靴は、お気に入りの靴ばかりだ。すなわち私にとって一軍や一軍半の靴ばかりである。

ヨレてしまって生気を失った二軍、三軍の靴はそもそも愛着を感じなくなっているから預けていない。

考えてみれば、そういうヘタレてしまった靴のほうがプロの技によって物凄く変貌を遂げる。むしろそっちの靴を磨いてもらうほうが正しい活用法である。

そっちも預けてしまうと、いよいよ牛丼を100人以上におごる事態に陥る。日頃の横着のツケにしては痛い話である。



2019年11月25日月曜日

寒空 かき氷 冷し中華


いよいよ寒くなってきた。11月なのにもう「ズボン下」を履いてしまったほどである。

それなのにかき氷を食べてきた。ズボン下を履きながらかき氷である。なんともファンタスティックだ。



目白にある和菓子屋さん「志むら」である。夏場は平日の午後も夕方も行列が出来ちゃうぐらい名物のかき氷目当ての人が押し寄せる。

ここ数年、メディアの影響なのか一気に混雑するようになった気がする。ふわふわ食感が心地良いかき氷は1年中頼めるのが嬉しい。

季節ごとに限定メニューも用意されており、この日は、マロンミルクティー、くるみ餡というメニューを注文した。

シロップ的な甘さとはまったく違う自然な甘味が大人には嬉しい。室内は暖かいわけだから、春も秋も冬もかき氷は美味しく味わえる。

コンビニのアイス売り場にしても、夏場にはかき氷がいろいろ揃っているのだが、秋になると一気に無くなってしまう。

私の場合、飲み過ぎて帰宅した後に、一口頬張りたくなるのはアイスクリームではない。さっぱりしたかき氷である。みぞれ、宇治金時みたいな優しい味にホッコリするわけだ。

そういう意味では秋から春はシンドイ季節である。きっと同じような思いをしている人は多いはずだ。

「ガリガリ君」は一年中置いてあるのだから、他のかき氷だって頑張ってもらいたいものだ。

季節外れといえば冷やし中華である。一応、普通に麺を茹でて水でしめてそれっぽいタレをかければ冬でも食べられる。でも、秋になると途端にどこの店でも置かれなくなることが悲しい。



わが家には冷やし中華のタレを常備しているので、冬場でも具の無い冷やし中華を嬉々として食べる。

もともと具はチャーシューと紅ショウガで充分だと思っているので、極めて簡単に作れる。

クドいものを食べて酒も飲み過ぎちゃったような日の翌朝に食べるモーニング冷やし中華が大好きだ。アッサリスッキリ爽やかである。

先日、冷やし中華のタレを探そうとAmazonを覗いてみたのだが、袋麺なら今の時期も冷やし中華は売られていた。

チルド麺のほうがウマいが、最近の袋麺はかなり進化しているらしい。せっかく市場に出回っているなら、冷やし中華ラバーである私としては買わないわけにはいかない。

さっそくまとめ買いをした。実際に食べてみたが、チルド麺と遜色ない美味しさだった。床暖房を入れた部屋で厚着をしながら食べる冷やし中華は実にウマい。最高だ。

皆様にもゼヒ真似をしていただきたい。飲み過ぎた晩のシメに、二日酔いの朝の酔い覚ましに、ぜひ冷やし中華を堪能してもらいたい。

盛りそばやつけ麺を食べるつもりなら、ちょこっとだけ目先を変えて冷やし中華である。アッサリスッキリ爽やかだ。

なんだか、どこかの回し者みたいな書きぶりになってしまった。

今度の週末は、カニや牡蠣をトッピングして冷やし中華のスペシャルウインターバージョンを作ってみようと思う。

2019年11月22日金曜日

目が疲れるから


パソコンにスマホ、テレビに読書。これじゃあ眼も疲れる。ただでさえ老眼が進んでいるのに、目の酷使は連日続く。



ホカロンみたいなアイマスクを試してみたが、なかなか気持ちよい。効能は分からないが単純に心地良い。職場でも時々これをつけて10分ぐらい沈思黙考する。

ちょっと気に入ったモノを見つけると途端にバージョンアップ商品を買いたくなるのが私の悪いクセである。

というわけで、いつものようにAmazon探索をせっせと行い、アイマッサージャーなる怪しげなグッズを購入した。

こんなものに5千円も出すのはどうかとも思うが、この歳になると健康系、リフレッシュ系にはつい財布のヒモが緩くなる。



なんだか大げさなマシンである。装着すると戦隊モノのヒーローみたいである。ボタンを押すとあっと言う間にジンワリ熱くなる。

夏場だったら汗が出るぐらいしっかり暖かい。それに加えて目の周りを軽くトントン叩いたり、空気圧でグーっと押してくれたり、なんだか妙に気持ちよい。

トンチンカンな音楽が流れるのに困惑したが、ちゃんと説明書を読んだら消すことが出来た。

開始と終了時には、外国人の変なイントネーションによる日本語が流れる。これが消せないのがウザい。

15分経つと自動でオフになるので、マッサージを受けながら眠りはじめていると、突如「アリガトゴザマシタ~」という音声で終了を告げる。ビビって覚醒してしまう。

枕も新調してみた。最近、片側の肩甲骨あたりの筋に違和感があり、枕にも原因がありそうだったので良さそうなものを二つも買ってしまった。




横向き枕のほうは当たりだった。眠りが深くなった気がする。肩周りも以前よりラクになった気がする。

つくづく物欲の方向性が変わってきたことを痛感する。ファッションや道楽っぽいものよりも、健康グッズやら快眠グッズにやたらと目が行く。

正しく歳を重ねてきた証拠だ。そっち方面のグッズに詳しいエキスパートを目指すのも面白いかも知れない。

ふるさと納税を利用してハズキルーペをいくつも入手して職場や自宅のアチコチに置いてある。

それ以外にも老眼鏡もいくつも置いてあるのだが、外にいる時に便利なのが財布に入れておけるコンパクトなやつだ。






これもAmazonで見つけた。普通の長財布に格納できる薄さが魅力だ。ペコペコっと折りたためるから実に便利でオススメである。タバコとライターの間に挟んでみた画像を見れば薄さが一目瞭然だ。

首にぶら下げておいて必要なときだけかける老眼鏡も時々使っている。二つのガラス面が磁石でくっついたり離れたりする。



何かと便利だが、時々何かの拍子に磁石がパカンと外れてメガネが真っ二つになるので同席している人がビックリする。ウケ狙いには悪くない。

これまで遠近両用の眼鏡も何個か作ったのだが、50年以上にわたって裸眼で生きてきたせいで、メガネを常時着用することがどうにも苦手だ。

若い頃と同じ状態に戻れるならレーシックみたいな手術も考えるべきかも知れない。