昔々、私が学生の頃は学校に冷房など無かった。それを思うだけで、この数十年で気候が大きく変わったことが分かる。
いやはや実に暑い。このまま年々暑さが厳しくなるなら、あと5年ぐらいで本気で生きるか死ぬかの次元に突入する気がする。健康管理に気をつけていたのに熱中症で死んじゃうのはバカみたいである。気をつけようと思う。
さて夕方になって少し涼しくなれば冷たいビールが飲みたくなる。外食比率が高い私だが、この時期はさすがに鍋モノの気分にはならない。焼肉も目の前が熱いから避けたい。ラーメンだって暑苦しい。
消去法で行く頻度が高くなるのがお寿司屋さんだ。熱々のメニューが基本的に出てこないから夏には助かる。この時期は貴重なネタもあるから頭の中が寿司に占拠されがちだ。
コハダの赤ちゃん、シンコである。出始めの頃の6枚づけより3枚づけぐらいが美味しい。シンコの魅力は何よりも食感だろう。赤ちゃんのホッペタ的なホワっとした柔らかさがクセになる。
「シンコを食べないと私の夏が終わらない」などの名言があるほど寿司好きが夢中になるネタである。シンコの季節には親であるコハダもウマくなるのだが、やはり赤ちゃんコハダはわずかな時期しか食べられないので今だけは私もロリコン指向?になる。
ロリコン寿司マニアにとってシンコとともにこの時期に外せないのが新イカである。スミイカの赤ちゃんである。これまた食感がたまらない。普段はイカの握りを食べない私でも新イカは別だ。
ホワっとした食感に背徳感を覚える。無垢な若者に邪心がないようにイカの赤ちゃんも雑味とは無縁だ。イカなのにイカっぽい自己主張?がまるで無いのが素敵だ。禁断の味だと思う。
いつもお寿司屋さんでは握りは一貫ずつもらうのだが、先日はコハダと新イカを3貫ずつ食べてしまった。コースが主流のイマドキの勘違い寿司屋だったら出来ない頼みかたである。でも時にはそんな食べ方を楽しめるのが本来のお寿司屋さんの在り方だ。
私がちょこちょこ訪ねる新富町のお寿司屋さんで今シーズンの私のお気に入りがウナギ串である。ウナギマニアの私だからお寿司屋さんのツマミにウマいウナギがあるのは嬉しい。
握りに移行する前の酒の肴だからクドいタレではなく塩焼きで軽く味わえるのが良い。ミョウガとキュウリを和えた一品やウニをそのままつまみで頼み、ホロ酔いになりかけた時にウナギ串が出てくると最高だ。
夏こそ寿司だなあなどと独り言をつぶやいてしまう。日本人に生まれて良かったと心底実感する。同じ日本人でも100年前に生まれていたらこんな贅沢は出来なかっただろうから飽食三昧の現代人に生まれたことは実にラッキーだ。
マグロのヅケや茹でた車海老、煮ハマグリの握り、最後にかんぴょう巻きか玉子の握りといった、いわゆる“仕事系”の寿司を堪能すれば私の寿司時間は無事に終了する。
満足感に浸って帰路につくわけだが、これで終わればイキな江戸っ子みたいな話である。でもそうはならないのが私の悪い癖だ。
ナゼかお寿司屋さんに行った後には口直しならぬ“口壊し”がしたくなってしまう。昔は寿司からのフィレオフィッシュという謎の組み合わせにハマった。今は寿司の後に「肉々しい味」が欲しくなる。
ウーバーイーツという私にとっての悪魔?のせいで帰宅して15分もすれば牛丼が私の目の前に鎮座している。後悔することは分かっているのに根っからのバカなのだろう。
でもこの頃は「特盛り」は頼まず「頭の大盛り」に留めている。随分と進歩したものである。特盛りを我慢したという勇者的判断のおかげで多分カロリーはゼロだ。
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