2022年8月22日月曜日

死生観と毛髪問題


今年も胃と大腸の内視鏡検査をしてきた。毎年の恒例行事である。薬物を注射されてフワっと落とされたまま寝ている状態で検査が終わるからラクチンである。

 

いつから私が内視鏡マニア?になったのかこのブログをたどって調べてみた。2008年の時点で書いているのだが、その時には既に毎年恒例みたいな書きぶりだ。つまり15年以上も懲りずに毎年毎年お尻と口にカメラを突っ込まれているわけだ。

 

強力鎮静剤をうたれて落とされるまでのボーっとしてくる感覚と検査終了時に弛緩したせいでフワフワしたまま肩凝りまで無くなっている気持ちよさが検査の特徴だ。

 



その昔、初めてこの検査を受けた際にビビったことも懐かしい思い出だ。やたらと緊張した記憶があるのだが、今ではワクワク気分しかない。朝食を抜いているから検査後にドカ食いするのも楽しい。

 

クスリによるフワフワ感覚が残っている中で一杯のビールを飲むのも幸せを感じる瞬間だ。たとえ結果が出ていなくても検査って受けただけで満足感がある。

 

ところで、15年以上も内視鏡検査を習慣にしているのは一体なんのためなんだろう? 今回はふとそんなことを考えた。

 

子供が幼い頃は自分の身に何かが起きたらマズいという責任感があった。でもいまや子供も大きくなり、ついでにいえば最低限困らないような生命保険にも入っている。別に必死に健康チェックをしなくてもいいのではないか? ふとそんな刹那的なことが頭をよぎった。

 

でも、健康でいないと仕事も出来ない。いや、ウマいものを食べたり楽しく旅行したりエロ本を読んだりバンド活動に励んだりも出来ない。一応、自分の楽しみのためにちゃんとした状態でいないとマズい。

 

そう思うとやはり定期検査にも意味はあると考え直したのだが、いわゆる「健康オタク」的な頑張りに最近はちょっとだけ疑問を感じるようになった。頑張りすぎて不必要に長生きしちゃったらそれはそれで困る。

 

長生きしたいかしたくないか。これって案外難しい問題だ。いま私に何十億も貯金があれば長生きするのも悪くない。でもお金に汲々した状態で老境を迎えるのは怖い。

 

お金に苦労しなかったとしても身体がヨレヨレになって誰かに迷惑をかけながら生きるのもツラい。身体が思うように動かない、頭も回らない、認知能力もヘロヘロ・・・。そんな状態を想像すると恐怖でしかない。

 

ちなみに温暖化がどんどん進んで、あと1020年もしたら夏場はきっと老人には地獄だろう。健康に注意して80年、90年も生きたのに最後に熱中症で死んじゃうなんて切ない。

 

将来、中年になった娘にアレコレうるさく指示されたりするのもゴメンだ。いまは私が母親にエラそうにあーだこーだ文句を言ったり指示しているのだが、いずれそんな状況になることを逆の立場で考えたら堪ったものではない。

 

もちろん60代には60代の70代には70代の充実した世界があるはずだ。それがどんな景色かを実体験してみたい気持ちもある。72歳の矢沢永吉が「今がサイコー!」と語っていたが、そうだとしたらそのぐらいまでは生きていたい。

 

永ちゃんの歳まであと15年ぐらいである。わりとすぐだと思う。このブログだって15年は続いているわけだからきっとアッという間だろう。

 

そう考えると人生の最終盤は着実に近づいている。「人生100年時代だから50代なんて折り返し地点だ」などと脳天気なことを言う人もいるが、100年も生かされるのはまっぴらゴメンだ。

 

70代前半ぐらいで死んじゃうと仮定すると私の場合、既に人生の80%は終了している計算になる。そこそこ若いつもりでいたからちょっとビックリだ。

 

誰もが漠然と80歳ぐらいまで普通に生きる前提でもろもろのことを考えているが、私としてはもう少し手前で充分だろうと思える。そんな考えは良くないのだろうか。

 

もちろん、余命宣告を受けて一日でも長く生きたい人からすればふざけた言い分だ。私だって今回の検査で取ったポリープが検査の結果、超悪性で余命わずかだと急に宣告されたらさすがに慌てふためくだろう。  


ちなみに男性の平均寿命は81歳だが、これって「健康寿命」の数字ではない。誰の助けも受けずに普通に元気に暮らせる健康寿命はここからマイナス8〜9年あたりが相場らしい。やはり70代前半はひとつの節目にはなりそうだ。

 

もちろん個人差も大きいし一概に何とも言えない。いずれにせよ正解はどこにもない話ではある。

 

さてさて、今回は内視鏡検査の翌々日に腹部のMRI検査、その翌々日に肺のCT検査も受けてきた。検査ウィークだった。ヘタな人間ドックよりも綿密なチェックを安価?でこなしてきた。

 

もっとも印象に残ったのはMRI検査を受ける際の注意事項だ。体内に金属はないか、入れ墨はないか等々の他、“髪関係”にも随分と制限がある。有難いことには私にはひっかかる点がない。なんだか妙に誇らしい?気持ちになった。

 



 十数年前にカツラを発注したものの、手付金とともに放棄してあらゆる自毛復活作戦に知恵とカネを注いできた甲斐があったというものだ。変なところで承認欲求が満たされた気分だった。

 

それにしてもカツラやウィッグの人なら検査の際に制限される覚悟はうすうす感じているだろうが「増毛パウダー」の人にはこの注意書きは衝撃だろう。

 

はたしてどう対処するのだろう。検査の前にその場で洗い流すのだろうか。実にシュールな光景だ。私もそうならないように自毛保護に全精力を傾けて残りの人生を歩んでいこうと思う。

 

凄い結論になってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

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