2022年8月10日水曜日

ダウン症の息子に学ぶ


毎年恒例の「元家族旅行」で草津に行ってきた。離婚して10年ほどが経つがダウン症の息子が一種の“かすがい”になっているせいで春と夏に4人で旅行をするのが習慣になっている。

 


 

ハタからみれば不思議な形なのだろうが、長く続けてくるとそれはそれで普通の日常だ。高校生になった息子はスネ毛がすっかり濃くなったものの頭の中は小学生レベルだ。相変わらず無邪気で可愛いい。

 

有難いことにパパ大好き状態はますます過熱気味で私の周りに常にまとわりつく。それこそすり寄ってきてニタニタするからボーイズラブ?もびっくりの光景が展開される。

 

私も普段一緒に暮らしていないから甘甘父ちゃんモードが爆発する。結果、息子はまた私にベッタリという循環になってしまう。いつまでも幼稚園児みたいにまとわりついてくるので将来がちょっと心配だ。

 

草津温泉は半世紀近く前からちょくちょく出かけている。実家の持つ別荘マンションがある関係でアウェー感ナシにのんびり過ごせる。いつもマンションの母体であるリゾートホテルの2ベッドルームの部屋を取って過ごす。

 


 

リゾートホテルといっても半世紀前と同じ建物だからわりとオンボロで昭和感ぶりぶりである。まあ、それはそれで元家族旅行という気兼ねのいらない時間にはちょうどいい。

 

別荘マンションは部屋が狭いから温泉大浴場だけ利用するぐらいである。草津の湯は泉質では日本一だと思うし、何より夏の涼しさは特筆ものだ。避暑地として実に快適な場所だ。

 

今回も晴れて暑い時でも25℃、夜は18℃という長袖必須の快適さだった。冷房なしで23日を過ごしただけで身体がリフレッシュした感じだった。

 

温泉地であり旅館が中心のエリアだから食事場所にちょっと困るのが難点である。知る人ぞ知るウマい洋食レストラン「どんぐり」は夜は営業しなくなっただけでなく、今回の滞在中は昼も休業で途方に暮れた。

 

温泉街の中心地である湯畑の近くにある中華料理の「龍燕」もまっとうな食事を食べられる店だが、こちらも大混雑で何とか一泊目の夜に入れた。

 



 

2泊目の夜は夕食難民になるのも覚悟していた。どうでもいい定食屋のソースカツ丼でも食べて過ごそうかと思ったが、蕎麦の人気店「三国屋」が新たに作った和牛ビストロの情報をネットで入手して出かけてみた。

 

草津には似合わないモダンな造りの洒落た店だった。メニューも豊富で酒飲みにも有難い一品が揃っている。肝心の肉料理がかなり美味しかった。アタリである。4人でステーキなどをぶりぶり注文してバクバク食べる。息子は妙に嬉しそうに際限なく肉を頬張っていた。

 


 

今回の旅で改めて感じたのは息子の持つ不思議な力である。そう書くとスピリチュアルみたいな感じだが、そんな大層な話ではない。

 

ダウン症の子供が持つ天性の大らかさというか、温和でユルい感じの空気感が邪念タップリに生きている私にとってはとても神々しく?感じられた。

 

幼い子供が持つ素直で無垢な純粋さ、無邪気さが高校生になっても消えずに逆に本人の個性として強まっている。泰然自若というと少し違うのだが、気持ちの安定感みたいな部分が親兄弟よりもはるかにマトモな感じだ。

 

喜怒哀楽は素直に表現するが柔和な様子は常に一定。駄々をこねることもなく何かに執着もせず、叱られたりイヤなことがあっても切り替えが早く、必要以上に自我を通さず、その場の状況をあらがわずに受け入れる。

 




おまけに周りへの目配りもなかなかのもので、私が雨に少し濡れた時も自分のハンカチを出して拭いてくれる。これみよがしではなくこっちが気付かないぐらいの感じでそれをやるわけだから親バカながら感心してしまった。

 

褒められたいとか良いコぶりっこみたいな邪心があればこっちだって分かるが、そうではなくごく自然に行動している点に驚かされた。

 

ダウン症の子供は時に天使という言葉で表現される。私自身、息子がダウン症だと知らされた直後にずいぶん聞かされたが、正直まったくそうは思えなかった。逆に腹立たしかった記憶がある。

 

絶望的な気分になって途方に暮れていた時だから天使などと聞いてもウザったい奇麗事にしか思えなかった。息子には申しわけないが天使ではなく悪魔の間違いだろうなどとヒドいことを思ったりもした。

 

あれから15年以上が過ぎて成長した息子をみるとヤツが生まれてきた意味みたいなものが少しは分かった気がする。見た目が見た目?だからちっとも天使だとは思わないが、私から見ればアイツはホトケ様みたいな存在である。

 

もちろん、親だから子を可愛く思うのは当然だ。私も人並みに子煩悩だから自分を慕ってくれる我が子はとても可愛く思う。そういう当然の感情とは別のある意味で畏敬の念みたいな不思議な気持ちになる瞬間がダウン症の息子にはある。こればかりは不思議な感覚としか言いようがない。

 



高校生にもなってシャボン玉に喜び、散歩する際は荷物もないのにカートを転がしながら歩き、ナゼかウルトラセブンのテーマ曲ばかり聴きたがり、やっつけ仕事みたいなラーメンだろうとウマいウマいと夢中になって食べる天真爛漫な息子を見ていると、日頃の自分の行動を反省したくなる。

 

人様の目を必要以上に意識して格好や体裁ばかり気にする。素直な気持ちに蓋をして気取った言動に終始する。細かいことに固執し意味もない意地や我を通そうとする。考えてみればすべてが息子とは真逆である。

 

息子に比べれば、読み書きが達者で計算も出来てちょっとは稼ぐことも出来ていろんな知識だって豊富な私だが、人としての根っこの部分ではアイツに負けているような気がする。

 

まだまだ修行が足りない。いろいろ学ぼうと思う。

 

 

 

 

 

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