バズる、ガチで、エモい等々、若者言葉はさまざまだが、言いえて妙みたいなヤツも多い。「ガチで」の語源は「ガチンコ」だとか。なかなか的確である。
エモーショナルを元にした「エモい」もわりとよく聞くが、いま一つ分かりにくい。ネットで正確な意味を調べたら「心が揺さぶられること」だとか。まあ、いわゆるサウダージみたいなニュアンスだろう。
この歳になってそうした若者言葉を口にするのは恥ずかしいが、先日ひょんなことから「エモい」を実感する場面があった。中野駅近くに用事があって出かけた時のことだ。
今の住まいは神田駅か東京駅が近いので中野までは中央線で一本である。中央線は子供のころに通学で頻繁に利用したが、ここ数年、いや数十年ぐらいほとんど無縁に過ごしていた。
私の実家は荻窪駅に近い。飯田橋にある学校まで小学校から高校までの12年間も電車通学だったので主に中央線に世話になった。総武線や地下鉄東西線なら乗り換えなしだったのだが、中央線で四谷で総武線に乗り換えるのが時間的には一番早かった。いわば青春時代、いや思春期の思い出が中央線には詰まっているわけだ。
で、エモい気分になったのは中野駅から帰宅する際の中央線である。最近になって中央線にグリーン車が導入されたので話のタネに利用してみた。ほんの十数分の距離なのにバカみたいだが、そこは富豪モドキだから仕方がない。
高い位置にある座席から昔々の通学時代に目にした景色がゆったり眺められたことで妙に郷愁に浸ってしまった。普通車両よりも車窓からの眺めがダイレクトに目に飛び込んでくる。東中野や代々木、千駄ヶ谷や信濃町をすっ飛ばしながら疾走する眺めはウン十年前と基本的には一緒だ。
変わらぬ景色に反して私自身はすっかり変わった。老眼になって脂肪も増えて毛量は減り白髪は続出、眉毛も伸び出し耳からも毛が生えてくるような加齢なる日々を迎えている。源氏物語でいうところの「もののあはれ」みたいなシミジミした気持ちになった。
初めて車窓からその景色を眺めたのはもう50年以上前のことだ。50年の歳月である。なんだかワケもなく感慨無量になって思わず「エモいよ。エモい…」と若者みたいにつぶやいてしまった。
そのせいもあってか、その後は「エモい」を乱発するようになった。猿のオナ〇ーみたいである。
腕時計の形を残して日焼けしてしまった肌を見れば、かつて“全集中”で取り組んだ水中撮影の日々を思い出して「エモいなあ~」とつぶやいてしまう。20代30代の頃は一年中こんな日焼け状態だったことが妙に懐かしく感じる。
4月、5月の日差しをナメていたせいで今の私はヘンテコな日焼け状態にある。大学野球を毎週末のように観戦していたら腕時計の跡どころか半袖シャツのおかげで見事な?ドカタ焼けだ。
他にもカップ焼きそばでも「エモい」気分になった。ローソンが発売した「ラッキーピエロ焼きそば」が原因である。ラッキーピエロといえば函館だけで展開するローカルファストフード業界の雄!である。函館をマニアックに愛してきた私にとって特別な存在である。
https://fugoh-kisya.blogspot.com/2021/06/blog-post_11.html
全国的にはまさに知る人ぞ知る存在なのに天下のローソンがラッピの焼きそばを売り出した。これは一大事である。食べないわけにはいかない。
とはいえ、自宅の周りにはセブンイレブンばかりなので通りすがりに購入する機会がないまま日々は過ぎていった。コンビニの商品入れ替えはやたらと早いからラッピ焼きそばが販売終了になってしまったら大変である。
というわけで仕方なく無駄に高いコストを払ってネット経由で買ってみた。都会に住んでいるくせにバカみたいである。
で、さっそく食べた。普通に美味しかった。スパイシーより甘めが好きな私にとっては好ましい味付けに仕上がっていた。でも、しょせんはカップ麺の味だった。
以前、札幌のやたらとウマい味噌ラーメンの名店「みそ吟」の名を冠したカップ麺を食べた時に感じた徒労感?にも似た感覚だった(https://fugoh-kisya.blogspot.com/2024/12/blog-post_18.html)。カップ麺はカップ麺。そんな当たり前のことにいつになっても気づかない自分のバカさ加減が残念である。
でも、地域限定にとことん徹しているあのラッピがカップ焼きそばを監修して自宅に居ながらにして味わえるという厳然たる事実は私にとって「エモい」の極みだった。
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