2025年5月19日月曜日

楽しい節制


キックボクシングジムに通い始めて3か月。週二回のペースをなんとか維持している。なかなか立派!である。とはいえ、毎度毎度、自分の劣化を思い知らされるのも事実である。


固まってしまった身体はなかなか厄介だ。いつまで経っても中段回し蹴りが限界。昔のように脚が高々と上がる気配はない。それもまた自分の年齢を正しく認識するために必要な現実かもしれない。

 

体力もちょっとついてきた感覚がある。これは嬉しいことだ。なにより最大の目的だった倦怠感の退治はほぼ完遂したと言ってもいい。長いこと悩まされてきた謎のダルさはすっかりなくなった。寝起きも快調である。

 

身体を動かすことに励んでいるついでに体重を落とそうという欲も出てきた。そっちをメインにすると一喜一憂しそうでイヤだ。あくまで狙いは倦怠感の退治だからあえて体重計にはだいぶ前を最後に載っていない。でも8キロぐらいは落ちているはずだ。ゆるくなった服の感じで分かる。


ちなみにいま8キロの重りを持って歩けと言われたらツラそうだ。そう考えると倦怠感の原因は体重そのものにあったのだろうか。

 

食事にもちょっと気を使っているせいで胃袋が小さくなってきた。強烈な空腹感は感じないし、そこそこの量で満足できるようになった。もちろん、それでも普通の人レベルではある。

 

キックボクシングジムに行った日はバテバテになって食べる気がおきないので夕飯抜きになる。これって胃腸を休ませる効果もあるから身体には悪くない。今後、ジム通いに慣れてしまったら運動後に平気でドカ食いしそうだから、何とかこのバテバテ状態は続いてほしいものだ。

 

ここしばらく夜には炭水化物をなるべく避けるようにしている。美容にしか興味がない若いオネエサンみたいで情けない話だ。小っ恥ずかしい。でも、還暦を前にどこまでそんな生活が続けられるかマゾ的な興味が湧いてきた。だから寿司や麺類をしばし口にしていないことが淋しい。

 

とはいえ、肉はしっかり食べている。いろえろ付き合ってくれる女性陣と外食する際も焼肉屋で済ませることが増えた。さんざん肉をふるまってこちらはキムチやナムルやチャンジャをつまんで酒を飲み、肉は23切れでオシマイ。

 

一人飲みの際はモツ焼き屋で梅きゅうやら肉モヤシ炒めやら純レバみたいなツマミを頬張って串焼きを5本も食べればかなり満腹になる。ウナギ三昧の日々より財布にも優しいことがハッピーである。

 





先日は、赤坂にある肉十八番屋という居酒屋で快適な時間を過ごした。エビとアボカドのマヨ和え、馬刺しと豚肉の岩塩焼あたりを並べてサワーをぐびぐび。シメの麺だのコメだのを食べずに終わってもハッピーだった。

 




そう考えるとプチ節制を始める前の無軌道な乱食ぶりがいかにヒドかったかを実感する。それはそれで幸せなことだが、おまけとして倦怠感が付いてきたのならさすがに少しは制限すべきだったと思う。幸せの裏側には必ず魔物が潜んでいることを今更ながら感じる。

 

まあ、そんなゴタクを並べていてもいつかはこのプチ節制モードにも終わりは来る。やはり深夜のペヤングは悪魔的に魅力があるし、寿司屋の帰りにマックのフィレオフィッシュを食べるのは最高だ。そんな習慣から引退しちゃうのは人として違うような気がする。ある意味それはそれで健康の証でもある。

 

今のところプチ節制の暮らしにさほどストレスを感じていないのが救いだ。私にとって最大の敵は「我慢」である。我慢が苦手なワガママな私がそれを感じないうちは続けられそうだ。


血圧もガッツリ下がって処方されている薬を一つやめるという快挙にもつながった。このまま1年ぐらい同じ暮らし方だったら体重だって学生時代の水準まで戻りそうである。さすがにそれは目指していないが。

 

歳を重ねてから身体を絞りすぎるとたいていは貧相な様子になる。おまけに必ず「病気ですか?」と聞かれる。そんな状態になることは望んでいない。いつまで節制を続けるのかは難しい問題だ。

 

性格なのか単に頭が悪いのか、私の場合「適度にこなす」というのが苦手だ。「やるか、やらないか」の二択みたいな感じだからプチ節制も終了後が心配だ。たとえ10キロ痩せようがほんの半月もあれば7キロぐらい太る気がする。

 

まあ、それでもトータル3キロ減なら上等かもしれない…。





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