2025年5月23日金曜日

プチ幸せ

 

日常のちょっとした喜びを大げさに喜ぶことは大事だと思う。「足るを知る」ではないが、不平不満を漏らすより嬉しい気分に浸るほうが建設的だ。

 



某日、居酒屋で出てきた「生グレサワー」がやたらサービス濃厚バーションだったことが嬉しかった。店によっては鼻くそ程度しかグレープフルーツが入っていないヤツが出てくるが、このぐらい色鮮やかだと妙に嬉しい。

 

血圧の薬を飲んでいる私にとってグレープフルーツは食べてはいけない代表格の存在だ。そう言われると無性に食べたくなるもので、飲み屋さんでサワー気分の際にはグレープフルーツサワーを注文したくなる。

 

血圧の薬は朝に1回の服用だ。夜に摂取するグレープフルーツは薬の作用に影響しないだろう。たぶん。だからここぞとばかりに「生グレ」を飲む。なんなら継ぎ足しでおかわりしてグレープフルーツの果肉を増やしたがる。

 

どうでもいいことのようでこういう「プチ幸せ」が自分の精神衛生をノーマルに維持してくれる。サービス精神旺盛な「生グレ」を出す店には感謝である。でも、この画像のサワーを飲んだ店がどこだったか忘れてしまったことが悔やまれる。

 

タクシーを拾おうとして瞬時に空車が目の前に来た時や、帰宅した直後に雨がザーザー降ってきた時なんかもプチ幸せである。「はい、ラッキー」とアッケラカンと済ますより「いやあ、なんて運がよかったんだ。物凄くハッピーなことだなあ、なんて素晴らしいのだろう!」としつこくプチ幸せを噛みしめると退屈な日常にちょっとした彩りが加わる。

 

ちょうど画面に目をやった瞬間に大谷翔平サマがホームランを打った時もことさらその一瞬のめぐりあわせを大げさに喜んでいれば、心の平穏は結構長持ちする。きっと表情も穏やかなままでいられるはずだ。

 

そんなホトケ?みたいな考え方に日夜努めていたら物凄くハッピーなことが起きた。日頃の精神修養?がもたらした幸せだと信じたい。

 



大谷サマのボブルヘッドが手に入った。これが配られた日にドジャースタジアムで観戦していた某近親者からお土産としてもらった。大ハッピーである。単なる立ち姿ではない。滑り込んでいる格好のボブルヘッドである。貴重だ。メルカリに出せば高値で売れそうだが、そんなことは一瞬も考えずに家宝にすることにした。

 

本気で嬉しかったからもう1枚画像を載せる。バンザイ!

 



話を戻す。思えば日常の中にちょっとした喜びはたくさん溢れている。どうでもいことのようでも、それを心底ハッピーだと受け取ることで平凡な日々が非凡になる。ストレス対策、もっと言えばうつ病予防にも効果的だと思う。

 

サッポロ一番の茹で加減が狙った通りに仕上がった、デリバリーで届いたつけ麺の麺が乾いていなかった、チャリで爆走中に信号が立て続けに青だった等々、そんな程度でもサラっとやり過ごすことなくしつこく喜びを味わうと結構楽しい気分になれる。

 

莫大な遺産を相続した、万馬券が当たった、さらには、やたらとモテまくった、脱がせてみたら思った以上に峰不二子級だった、予想外の床上手にヘロヘロにされた等々の喜びはプチ幸せではない。


そちらはスペシャルハッピー大事件だから話は別だ。そういうスぺクタル系?以外のほんのちょっとした日々の瞬間をポジティブに捉えるように心がけたい。

 

そういえば、毎週のように観戦に行っている東京六大学野球でもこの春のリーグ戦では貴重な体験ができた。六大学100年の歴史の中で初の「延長戦での逆転サヨナラホームラン」と「ノーヒットノーラン」を立て続けにナマで見ることが出来た。そのほかの退屈な凡戦でも真面目に観戦していたご褒美だったのかもしれない。

 



プチ幸せを大げさに喜ぶ心がけ。なんだか安っぽい新興宗教みたいな話だが、実践できればおおらかな気持ちで過ごせて悪くない。人生後半戦だからこそそんな意識で過ごそうと思う。

 

 

 

 

 

 

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