好奇心は歳とともに弱まっていく。ついつい自分の知っている範囲の中で安穏と過ごしがちだ。それに問題があるわけではないが、やはり知らない世界を覗くことは刺激になる。
もともと私は社交的ではない。人当たりは良いほうだと思うが、進んで新しいジャンルに足を踏み出すことは苦手なほうだ。このままでは「内向的ジジイ」というタチの悪い生き物になっちゃいそうだから気を付けないといけない。
先日、医療関係のイベントというか、シンポジウムのような集まりに参加してみた。主催者である旧友への義理みたいなつもりで出かけたのだが、なかなか面白かった。旧友の誘いがなければ知らなかった世界である。
その名も「医療は人生を手術する」と題するガンマナイフ開業30周年を記念したイベントだ。ガンマナイフとは「切らずに切る」ことを可能にした治療法で放射線の一種であるガンマ線の照射で脳腫瘍の患部などを切除するもの。
この第一人者である某医大教授が中学高校の同級生で、大人になってから何かとお世話になる機会があった。彼自身、過去に大病をした経験があるせいで患者目線をとても大切にする人格者だ。
彼の講演を聞いていると「医者と患者」の在り方を根っこから考え直したくなる。漠然と医師の言いなりになってしまう患者は多い。私もそんな傾向がある。専門家相手に門外漢がアレコレ言うのはどうかという一種の常識が邪魔をしてしまうわけだが、はたしてそれは双方にとって良いことなのだろうか。
友人の医師は「患者は医師にもっと意見を言うべき」と主張する。そうは言っても一般の患者にとってそれは簡単なことではない。でも彼いわく「何がしたいのか、どうなりたいのかを教えてほしい」という。
すなわち、制限はつくにせよ治療後に趣味の山登りを続けたいのか、楽器演奏を続けたいのか、具体的にどんな目標を目指して治療後を生きていきたいのかを共有して、それを実現させるための方策を建設的に考えたいという趣旨である。
活字で書いてしまうと当たり前のことのようだが、実際にはエラそうな態度の医師は多いし、大病院では初診の患者と目も合わさない医師もいるぐらいだから、そんな本来は当たり前のことを強く主張する彼の意見が新鮮に思えた。
「医者だって一瞬で患者になる」。重い病気を経験した彼の言葉には説得力がある。患者という存在は言い換えれば正常な状態ではない人である。丁寧に接して欲しいといった表面的なことも大事だが、それ以上に本来はその人は何をしていて何がしたくて、どのように生きている人物なのかを共有することが基本中の基本だと痛感した。
学会のような堅苦しいイベントかと思って出かけたが、途中でシャンソンを聴く時間があったりフィナーレは会場に集まった数百人がナゼか「オーシャンゼリゼ」を合唱するというアットホームな雰囲気だった。
感じたのは出不精ではダメだということだ。やはり知らない世界に身を置いてみると何かしら得るものはある。年齢とともに知った場所にしか行かなくなっている自分を反省する機会になった。
最近は、キックボクシングジムと大学野球観戦ばかりの日々だからもう少し日常に変化をつけようと検討中だ。
とはいえ、今日から大学野球の日本選手権が始まるから、しばし、そこに熱中してしまいそうだ。昨年初めていくつかの試合を生観戦したのだが、名前も知らない大学が結構強かったりしてなかなか面白い。
だいたい全国に大学リーグが30近くも存在することを昨年まで知らなかったわけだから、これも一種の未知の世界だった。全国の大学リーグで春のリーグ戦を制したチームが集まってトーナメントで優勝を争う。
昨年は東京六大学代表の早稲田と東都大学代表の青学が決勝で激突して青学が勝った。雪辱を期す早稲田は今回も東京六大学を制したから、再び決勝での青学との熱戦に期待している。
なんだか話が大きく逸れてしまった。。。
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