2020年11月16日月曜日

伝統という調味料

 かなり久しぶりに我がソウルフードである「グラパレのピラフ」を食べた。九段下にあるホテルグランドパレス伝統のシャトーソース付きのピラフである。

 



 

グランドパレスのピラフについてはこのブログでも幾度となく熱く語ってきた。幼稚園から高校まで通った学校の近くだから、子供の頃から食べている“ふるさとの味”である。

 

http://fugoh-kisya.blogspot.com/2015/07/blog-post_24.html

  

http://fugoh-kisya.blogspot.com/2013/04/blog-post_10.html

 

初めて食べたのが78才ぐらいの頃だから半世紀近くの付き合いである。オッタマゲである。

 

グランドパレスは若き日の金大中が拉致されたり、江川騒動や桑田・清原をめぐるドラマを生んだドラフト会議も行われていた場所だ。

 

そんな昭和のドラマが繰り広げられた当日も粛々とこのピラフは作り続けられていたわけだ。

 

今やホタテ貝柱のピラフのみがメニューに残っているが、かつてはチキンピラフや海老ピラフもあった。

 

この日は余計なリクエストをせずに素直にホタテ貝柱ピラフを注文した。中毒の禁断症状のような気分だったので、一品料理には目もくれずピラフだけを大盛りで注文した。

 

「これだよ、これ!!」と心の中で絶叫しながらシャトーソースをビチャビチャかけて味わう。魂が震えるほど美味しく感じた。こんな気分になること自体が幸せなことだ。

 



 

ハヤリものより伝統に惹かれる私は「昔ながらのウマいもの」という言葉だけでそそられる。「変わっていない」という一点のみで無条件に信用する。

 

話は変わる。近年めざましく進化を遂げているスイーツの世界だが、先日食べた「マロンシャンテリー」も私が大好きな伝統の逸品だ。

 

店によってはマロンシャンティーと表記することもあるが、ここではマロンシャンテリーに統一する。

 

ニッポン洋菓子界の黎明期に生まれたこの逸品は、東京會舘とパレスホテルが元祖を競い合うというか、2大巨頭として君臨している。

 

某日、我が娘から「秋だからマロンシャンテリーを食べに連れて行くべし」という指令が飛んできた。

 



 

そんな機会でも無いとなかなか味わえないので、さっさと合流して東京會舘に向かう。しかし、GoToのせいか満席で2時間待ちだとか。

 

親子揃って並ぶことが出来ない性分なので、悩まずパレスホテルに向かって歩き出す。途中、電話で混雑状況を尋ねたら1時間は待つという残念な状況だった。

 

親子揃って呆然。父は娘に「どっかでモンブランでも食えばいいじゃないか」と安易な妥協を提案したが、娘は断固マロンシャンテリーを食べると主張する。

 

で、ネットを検索して他に名店が無いか調べてみたら日本橋高島屋の特別食堂で東京會舘のマロンシャンテリーが提供されているという情報を入手。さっそく予約して向かう。

 

平たく言えば、ペースト状の栗を生クリームでデコレートしたスイーツである。そう書くと単純極まりないが、これが何とも絶妙な味わいで“昭和の御馳走”そのものである。

 

この日は通常のマロンシャンテリーの他に期間限定のナンチャラ栗を使ったバージョンもあったので、当然ながら両方注文する。

 



 

期間限定モノは標準の2倍以上の値段だった。とはいえ、面白いもので親子ともども標準のマロンシャンテリーのほうがウマいと感じた、

 

やはり古いモノはヘタにアレンジするより「昔ながら」にこだわったほうが間違いがないのだろう。

 

味覚と気持ちは密接に連動している。「昔から変わらないもの」という事実はレッキとした調味料だ。一朝一夕では作れない調味料だからことさら美味しく感じる。

 

書いているうちにピラフもマロンシャンテリーもまた食べたくなってきた。中毒性もあるみたいだ。

2020年11月13日金曜日

紅葉見学 旅は節税!?



 

紅葉を我が身に置き換えながら見るようになったのはいつ頃からだろう。ここ数年のことだ。

 

人生を季節に例えるなら私は秋まっ盛りにいる。冬が来る前にあたふたしている日々だ。

 

散っていく前にグワーっと自らの存在をアピールする紅葉の姿は何とも切ない。哀愁たっぷりだ。

 

私が哀愁を漂わせているかはともかく、この歳になると紅葉を見るたび感慨深い。

 

京都には何度も出かけているが、紅葉を見に行ったことは初めてだ。例年、異常に混雑するから敬遠していたが、今年は外国人がいない珍しい状態だから、ちょっと早めの紅葉散策を企んだ。

 

今の時代、紅葉の進み具合はネットで調べればリアルタイムに調べられる。11月初旬だからどこも見頃ではなかったが、そこそこ見栄えのする場所を調べてみた。

 




 

まずは永観堂。見返り阿弥陀で知られる寺だ。仏像好きでもある私としては真っ先に向かった。

 

人出も多くなく、のんびり仏像見学をしながら敷地内をウロウロする。池のある庭の周辺がほどほどに色づいていたので紅葉気分は満たされた。

 



 

阿弥陀様にもあれこれと願い事を託して、ぶらぶらと次の目的に向かう。向かったのはすぐ近くにある南禅寺。

 

ここの塔頭である天授庵の庭が人気らしい。例年、早くから紅葉が見られるスポットだとか。

 

枯山水の庭と紅葉のコントラストは京都ならではの眺めだ。東京人である私はこういうシチュエーションにすぐ感動してしまう。

 




 

今回はあくまで“部分的な紅葉”を愛でただけだから、一面が紅葉状態の頃に来たら相当感動するはずだ。

 

マイルが貯まりまくって使い切れないので、今回は飛行機で伊丹まで向かい、空港から直通バスで京都入りした。実にラクチンだったから今月中に再度行ってしまいそうだ。

 

観光シーズンだけあって、いくつもの寺で夜のライトアップも行われている。高台寺に行ってみたが、やはり紅葉にはちょっと早過ぎた。竹林の怪しさのほうが見応えがあった。

 




 

泊まったのは祇園の八坂通りにある「セレスティン京都祇園」。まだ新しいからピカピカだった。

 

歩いてすぐの距離に建仁寺や六波羅蜜寺、六道珍皇寺などがある。祇園の花見小路あたりも徒歩圏内だ。

 




 

六波羅蜜寺は、教科書にも載っている有名な空也上人立像のほか見応えある仏像が安置されていた。疫病退散に御利益があるお寺らしいのでしっかりお守りも買った。

 



 

ちなみに今回の宿もGoToトラベルのおかげでかなり安く泊まれた。地域共通クーポンもしっかり使い切ったしGoToの恩恵はしっかり享受した。

 

思えばこの10年ぐらいで中堅・高所得層はずいぶんと増税ターゲットにされてきた。社会保障も含めれば負担はかなり増加している。

 

GoToの恩典は税金から拠出されている。その恩恵を受けることで一種の意趣返しが出来ているような気分にもなる。

 

GoTo事業があってもなくても旅行に行く私にとっては、宿代の割引やクーポンを使えることは節税と同じ意味でもある。今後もフルに活用しようと思う。

 



 

この画像は先斗町「いろは」のすき焼き。ザラメをぶりぶり投入しながら仲居さんが作ってくる。肉質もとても良く美味しかった。

 

この店の味付けは私が実家で食べていたすき焼きと似ていた。いま思えばウチの実家ではやたらと砂糖を入れていた覚えがある。

 

今では既製品の割下で簡単に仕上げてしまうが、あの頃の手作り感というか、アナログ?な感じを思い出して妙に感慨深かった。

 

話がそれた。

 

GoToトラベルに関しては、一部地域の制限などの可能性はあるものの来年1月末までの期限が延長になる公算が強い。

 

観光事業の支援に直結しているわけだし、感染には気をつけながら、ドシドシ利用することをオススメする。

 

楽しみながら節税気分を味わうのも悪くない。

 

2020年11月11日水曜日

京都 美食の館

今日は久しぶりに富豪?っぽい話だ。ひょんなことから“美食の館”を訪ねた話である。

 

先週末、京都に2泊で出かけた。初日の夜に訪ねた店が凄かった。「凄かった」という語彙力のカケラもないような表現をあえて使いたくなる。そう表現するのがピッタリだった。

 

一昨年、銀座の寿司屋を閉めて京都に進出した昔なじみの大将が開いた店である。ジャンルは寿司屋だが、ただの寿司屋とは呼べないユニークな美食空間だった。

 

大将とは10年来の付き合いだ。二人だけで明け方までカラオケを熱唱したこともある。我がオジサマバンドのライブにも何度も足を運んでもらっている。

 

銀座で10年、しっかり繁盛していた店を閉め、東京人であるにも拘わらず京都に新天地を決めた決断には驚いた。

 

40代も後半に近づき、人生の舵を大きくきりたくなるタイミングだったのだろう。ちょっと分かる気がする。

 

見知らぬ土地に来て、店の立地選びに苦戦し、ようやく新店オープンに至った途端にコロナ禍である。

 

夜逃げでもしちゃったんじゃないかと心配していた私の予想に反して?何とも画期的かつ素晴らしい店をスタートさせていた。

 

ネットに情報がまったく無い。大将自身、SNSも使っているくせに新店の宣伝をいっさいしていない。今時、まっとうな店でそんな“隠密”路線をとっている店は珍しい。

 

事前にメールで予約はしたものの、場所の詳細も店の雰囲気も何も分からないまま、指示されたとおりにタクシーで向かう。

 

八坂神社の横をのぼっていく。タクシー料金は初乗りに毛が生えた程度で着く距離なのだが、円山公園の外れのまさに“山の中”である。

 



 

車がようやくつけられる行き止まりのような奥地にポツンと一軒家があった。周囲はうっそうとした森だ。

 

店名表記も無い。着いたのは夜の6時頃。半信半疑で店の様子を外からうかがう。森の中では夜行性の動物がガサゴソ動き回る音しかしない。

 

宮沢賢治の「注文の多い料理店」みたいな雰囲気である。もしくは宮崎駿作品に出てくる神秘の世界のような風情だ。

 




 

古めかしい外観とは違い、中はピカピカで上質な和モダンの世界が広がっていた。美しい檜のカウンターは斜めに設置され、ライトアップされた窓からの眺めがどこからでも楽しめる造り。

 

この段階で「やられた!」って感じである。大将もそれが狙いらしい。サプライズ効果というか、高揚感はいやでも上がりっぱなしになる。

 

飲食店によく使われる「隠れ家」という言葉をここまで完璧に体現している店はそうそう無いだろう。おまけに客は一組限定で貸し切りだという。

 

「一軒家レストランで貸し切り営業」と聞かされていたら恐らく訪ねなかったと思う。私はそういう大袈裟な感じが苦手だ。でも、ここなら話は別である。

 



 

氷室を備えた和風冷蔵庫に準備されていた数々のネタをすべて説明してくれる。魚に限らず上質な牛肉や鴨まである。それぞれの食べ方を客の好みに応じて相談しながら決めていくスタイルだ。

 

何とも贅沢な時間を過ごした。食事時間も自ずと長くなる。この日はダラダラ過ごしていたらアッという間に3時間半が過ぎていた。45時間過ごす客も珍しくないらしい。

 



 

数え切れないほどのウマいものを食べた。珍味好きの私用に用意してくれたちょっと変わった塩辛みたいなツマミも含めれば20種類以上は食べたかもしれない。

 

すべて美味しかったが、トリュフを細かくおろしてシャリ自体にまぶしたうえで握ってもらったトロが印象的だった。

 




 

あえて醤油は使わず、赤酢を使った味の濃いめのシャリと合わせることで独特の風味を楽しめた。トロが好きではない私も満足。

 

醤油無しでマグロをウマいと感じることなどあり得ないと思っていたが、まさに目からウロコだった。

 

面白かったのは「お麩」の握り。バター醤油で味付けしたうえでシャリと合わせる。これまた未知の味だった。

 





 

京都で魚といえば「ぐじ」の呼び名で人気の甘鯛だ。もともと淡泊な味の魚だが、この日は昆布締めとヅケで楽しめた。江戸前の味付けとの融合である。

 


こちらの大将の味付けは間違いがない。強過ぎることはなく上品に素材の旨味を引き出す。2種類の甘鯛にもその技が感じられた。

 





 

キャビアも食べたし、牛肉も鴨肉もソースの味付けが抜群で感動的だった。フカヒレを使った蒸し寿司も餡の味わいが絶妙だった。

 

他にも白子のリゾット風や松茸の土瓶蒸しなども食べたのだが、「加減」「塩梅」という点で実に素晴らしい仕事をしていた。さすがだ。

  

握りもちょこっと工夫を凝らしながら小さいサイズで出してもらえるから数えきれないほど堪能した。


 

大将の意向で、とりあえず店名は書けないのが残念だが、それも店の立ち上げ時期ゆえの考えからだろう。

 

ちなみに、この店の大将はちっとも排他的な人物ではないし、人当たりは良すぎるぐらいのイケメンである。

 

肝心のお値段だが、当然それなりだ。こういう店だからそこを気にしても仕方ない。安くはない。

 

でも時々京都を訪ねて、神秘的な山の中で時を忘れて上質なモノをひたすら味わうのなら値段より満足感を優先したい。また折を見て訪ねたい。

 

「贅沢は敵だ!」という大昔のスローガンの向こうを張って「贅沢は素敵だ!」とつぶやきたくなる時間だった。



2020年11月9日月曜日

スケベな話

Amazonで何でもかんでも買っているが、勝手に「あなたへのオススメ」を表示してくるのは困りものだ。

 

何でもかんでもAmazonで買うということはスケベなものも買うという意味である。それに関連づけてオススメを表示されるから時々慌てる。

 

真面目な商品?を買おうとサイトを開いた途端、バニーちゃんの衣装だとか怪しいグッズの画像がデンと表示されかねない。

 

プライバシーの侵害で訴えたくなる。

 

パソコンで操作する場合には、買ってしまったシュールな商品を非表示にすることが出来るが、なぜかスマホ経由だと出来ない。

 

注文履歴から同じ商品を探したくても、スマホの場合、非表示にした注文の一覧が出てこないので記憶の中の商品名を打ち込んで探すハメになる。

 

オヨヨみたいなワードを検索窓に入力する作業が切ない。そんなことに自分の脳ミソをフル活用していると思うと、私を産んでくれた親に申しわけないと思う。

 



 

私が非表示にしていた買い物履歴は70件にものぼっていた。70品ではない。70回分の買い物だ。ハレンチ極まりない。

 

さすがにここで商品画像をお見せするわけにはいかないが、見返してみると我ながら頭を抱えたくなる。

 

中高年のシングルオジサマという生き方は無軌道に走りがちだ。自宅には誰もいない。おまけに職場も個室だから怪しい商品を隠しておくことも簡単だ。

 

急に死んじゃったらヤバい事態になることは確実だ。私の終活においてはヘンテコなものの処分は最優先事項かもしれない。

 

そんなグッズをいつどこでどうやって使っているかは、またの機会に書くことにしよう。いや、書けない。。。

 

さて、最近は過去の出来事を振り返る場面が増えたが、思い出すジャンルはさまざまである。

 

とかく、過去を振り返らずに前を向け、とか、後ろ向きの人生なんてつまらないなどと言われるが、決してそんなことはない。

 

思い出したくもないようなことまで思い返すことで、歩んできた人生を愛おしく感じるのだと思う。

 

と、センチなことを書いたが、思い出す出来事の中にはスケベ満点みたいな話もある。

 

スケベ道の初心者だった頃の可愛らしく微笑ましい体験などは逆に今では恥ずかしい。

 

行為自体はその後の“進化形”のほうがよっぽど恥ずかしいが、10代や20代の頃は、まだまだスケベと呼べるレベルではななかったのかもしれない。

 

加齢とともに変な気どりやテレが無くなり、肩の力が抜けてきたことで、スケベ心はエスカレートしていく。気づけばタブーという概念も無くなってきてしまった。

 

なんだか抽象的な話ばかり書いてしまっている。つまらない。反省。

 

たまにはちゃんとしたスケベ話でも書かないとこのブログを読んでくださっている皆様に申しわけない。


 


とりあえず、おぞましくない程度のスケベ体験話を二つほど書いてみよう。

 

この話を披露するたびにウケ狙いのネタだろうと疑われるのだが、純粋に実話だ。

 

その1

 

まだ若かった頃、とある南の島にて。現地で知り合った女性に誘われて無人の浜辺に海亀の産卵を見に行った。

 

風が強い夜でなかなか海亀が見つからない。借りてきた懐中電灯を照らしながら月明かりだけの浜辺をくまなく探す。

 

ふと気づくとその女性がひざまずいている。それも私に向き合う姿勢だ。そしておもむろに「亀ならここにいるじゃな~い」。

と言いながら私の短パンに手をかけた・・・。

 

死ぬ前に人生のさまざまな記憶が走馬燈のように頭の中に浮かぶと言われるが、私の走馬燈には間違いなくあのシーンが登場するはずだ。

 

その2

 

これもだいぶ前の話。10年ぐらい前だっただろうか。銀座勤めの綺麗なオネエサンにカラオケボックスに連れて行かれた。

 

怪しげな個室で扉もやたらと重く外から中が見えない造り。店員さんも「御用がない限り入室しませんので」などと意味深な顔をしていた。

 

せがまれるままにボーカリストとしての美声?を披露していた私だが、そのオネエサンはやたらと密着してくる。

 

あとから知ったのだが、そのオネエサンは知る人ぞ知る肉弾営業女子だったそうだ。すなわち、私がモテていたわけではない。

 

一応、私だけ歌っているのも収まりが悪いので、オネエサンにも何か歌ってくれと言ってみたが、なかなか歌わない。

 

すると、いきなり私にしなだれかかってきて膝枕状態に。私の膝が枕状態である。そして「私のマイクはこれ~」と謎のセリフを口にしながら、我がセントポール、いや、センターポイントが餌食に・・・。

 

これも私の“走馬燈”に出てきそうな実にシュールなシーンである。

 

長く男を生きていればいろんなことが起きる。今ではそんな事件事故に遭遇することは無くなったが、いまだに新たな事件事故を夢見るスケベ心は消えていない。

 

懲りない自分がちょっと面倒である。

 

2020年11月6日金曜日

こだわりという名の呪縛

いろんなことにこだわりが無くなってきた。これも年齢ゆえの特徴なのだろう。こだわりという呪縛から逃れることは嬉しいことかもしれない。

 

今日はどうしてもコレが食べたい、アレじゃなきゃイヤだみたいな気分になることが激減した。とても良いことである。

 

どこにも寄らずに帰宅して、食べたいモノが浮かばないと、ウーバーでケンターッキーを取り寄せて衣と皮をすべて剥いだ“高級サラダチキン”にして済ますことが増えた。

 

そんな食べ方を“こだわり”と言われてしまったらそれまでだが。。

 

体重増加を防ぐためにも有効である。もっと美味しそうなデリバリーメニューを頼めばいいのに、別に食べたいモノがないことが多い。

 

お寿司屋さんで握りを食べる時も、以前なら自分なりに真剣に順番を決めてその順番通りに食べないと満足出来なかった。

 

今ではすっかりテキトーである。好きなものをいくつかまとめて注文して「順番は任せた!」で終わりである。

 

お酒にしても銘柄はほとんど気にしない。強いてリクエストするなら、開けてから時間が経ちすぎていないものを頼むぐらいで、純米でも吟醸でもヘッチャラだ。

 

一時期はやたらと銘柄にこだわっていた芋焼酎にしても今や何でもアリである。私の舌では細かくこだわるほどの違いは感じないのが正直なところだ。

 

ビール然り。発泡酒じゃなければ何でもOKだ。エビス、一番搾り、スーパードライ、どれも普通に美味しい。

 

達観というより、単純に肩の力が抜けたのだと思う。こだわりって一種の自己主張であり、ヘタをするとウンチクを語りたがるような知識の押しつけになりかねない。

 

「オレはいろいろ分かってるんだからな!」という姿勢を押し出したいような気分の裏返しだったりする。

 

もちろん、本気のこだわりを徹底している人を否定する気はない。私程度の生半可な知識で一生懸命アピールするようなことに飽きてきただけである。

 

一息入れる際、コーヒーか紅茶で必死に考えるのは面倒だ。どっちだってホッコリする。そこにプーアール茶しかなければ喜んでそれでホッコリできるようになった。

 



 

そういえば、最近ハマっているのがイチゴフレーバーの紅茶だ。人にもらったのがきっかけだ。以前なら「気持ち悪い。こんなもの飲めるか」というくだらないこだわりのせいで試すこともなかったが、試してみたらすっかり夢中である。

 

小さな例えばかりだが、どんなテーマにだって共通する姿勢だと思う。初めて接する人に対する態度、失敗しちゃった時の態度、哀しいことや嬉しいことに遭遇した時の態度も同じだ。

 

自然体でビビったり、恥ずかしがったり、泣いたりバカ笑いすることをそのまま気取らずにやれば良いだけの話である。

 

強そうに見せないと行けない、動揺した様子を表に出してはいけない、人前で涙を見せてはいけない、大口開けて笑ってはいけない・・・。そんなことにこだわりを持つのは美徳なのかも知れないが、よく考えればご苦労なことだと思う。

 

こだわりが薄らいできたことは、大げさに言えば人生が少しラクになってきたという意味なのかもしれない。

 

中途半端にこだわりを押し通そうとするのは、時には人様に自分をよく見せたいという“頑張り”の裏返しでもある。

 

頑張らなくていいなら頑張らないほうが快適だ。断然ラクチンである。

 

まだまだ自分でも気づいていない「こだわりという名の呪縛」は私の生き方の中にたくさんあると思う。

 

それらをどんどん削ぎ落としていったら今よりも呑気に楽しく過ごせるのだと思う。楽しみだ。

2020年11月4日水曜日

熱海 温泉 自動運転



思い立って熱海に行ってきた。先週金曜の一泊だったのだが、GoToトラベルの影響で行きたい宿はすべて予約できなかった。金曜とはいえ平日だ。ちょっとビックリ。

 

温泉にひたすら浸かりたかったのと、最近替えたばかりのクルマでの走り込みをしたかったので同行者は無し。気ままな一人時間である。

 

GoToトラベルはホテル予約サイトを通して予約すれば自動で割引価格で予約されるから確かに手軽である。私自身も初体験だった。

 

割引だけで満足していたら、6千円分の地域共通クーポンとやらを使いそびれた。当日限りの権利なので、仕方なく土産屋で干物や海苔の佃煮や使いそうもないボディーソープに化けさせた。

 

使ってみて実感したが「使わにゃ損!」である。割引率は同じだから高級な宿に人気が集中するのも当然だ。今回、行きたかったシッポリ系の宿が予約できなかったのもそのせいである。

 

泊まったのは熱海後楽園ホテル。その昔、子供が小さい頃に来たことがあるが、まったく違うスタイルに変貌していた。ちょっとしたリゾートみたいになっていた。

 



 

部屋や館内の温泉はとくに特徴は無いが、渡り廊下で繋がっている併設の温泉施設が実に良かった。

 

オーシャンスパFuua(フーア)という施設で、ちょっと高級な日帰り入浴施設である。ホテル宿泊者も館内を数分歩けば辿り着ける。

 

https://atamibayresort.com/fuua/

 

海に面した露天立ち湯がウリだ。混雑していなかったせいもあるが、極めて快適、大満足だった。

 



 

私の身長だと胸のあたりの深さ。膝をついたら顔だけがお湯から出るぐらいである。海っぺりのヘリに寄りかかって浸かっていると実に爽快な気分で湯浴みが出来た。

 

これまで結構な数の温泉に出かけたが、ここの露天立ち湯は、ちょっと他に無い満足感を味わえた。

 

館内の休憩スペースもかなり趣向を凝らしてあって、ホゲホゲのんびり過ごせる。岩盤浴やいろんなサウナもあるみたいだしクセになりそうだ。

 




 

東京から熱海までは新幹線で40分ぐらいだ。今の私は職場も住まいも東京駅に近いから思い立ったら余裕で日帰り可能だ。今後も仕事の途中でフラッと新幹線で行ってしまいそうな気がする。

 

温泉に泊まった翌日は、ぶらぶらドライブ。まずは来宮神社に古木を見に行った。樹齢2千年以上の楠である。

 

想像を絶する時間を生きてきた大木はそれ自体がパワースポットだから、しばし佇んでエネルギーを吸収?する。

 




 

上の画像が2千年モノ、下の画像は1300年モノの第二ご神木である。樹齢1300年だって驚異的だが、二番手だと見る人も少なく一種の穴場状態だ。じっくり大木と触れあえる。

 

1300年モノのほうは落雷でぼろぼろになっているものの、ハリボテのような状態でもたくましく生きているそうだ。そんな打たれ強さにあやかりたくて、さんざん撫で回してしまった。

 

その後は、湯河原パークウェイ経由で箱根ターンパイクを行ったり来たりしながら、秋晴れの中のドライブを満喫した。

 

街中を走っている際にはなかなか試せないスポーツモードやサスをコントロールする機能をブイブイ使ってみた。

 



 

つくづく自分が中高年で良かったと痛感する。ブイブイガンガン走りまくれる機能は実に楽しかったが、考えようによっては危険だとも言える。

 

今やオジサマ的運転を心がけている私だって若い頃は危なっかしい運転をしていた。あの頃よりはマシな運転をするようになったが、調子に乗ると危ないから気をつけないといけない。

 

それよりもビックリしたのが、自動運転みたいな機能だ。古い人間だからそういう機能にちっとも興味は無かったのだが、試してみてその凄さに驚いた。

 

車間距離をキチンと測りながら加速、減速、ブレーキまでやってのける。アナログな私としては機械を信用できずに、緊張しながらその動きを見守っていたので逆に疲れてしまった。

 

なんとも便利な世界になったものである。怖いぐらいだ。日頃からハイテク機器に頼りすぎるのもシャクだと思っているのだが、世の中の進化に取り残されないためにはある程度従うほうが賢明みたいだ。

 

2020年11月2日月曜日

タマゴ エロさに悩殺される

タマゴ。たまご。卵。どのように書いてもウマそうだ。ヨダレが出る。

 

タマゴは「百点満点の完全食品」と言われる一方でコレステロールの面から中高年には敬遠されることもある。

 

健康的なのか不健康なのか、諸説飛び交うから悩ましい。成人病予備軍の私にとっても同じだ。毎日ドカドカ食べたいがそうもいかない。

 

タマゴをしっかり摂った翌日は意識して控える。果たしてそれが正しいか分からないが、メリハリには気をつけている。

 

タマゴを食べたつもりがなくても素材そのものにタマゴが含まれているものは多い。ラーメンの麺、パン、ケーキ類、揚げ物などもそうだ。

 

そういうものも含めると、日本人は世界で一番タマゴを多く食べているらしい。

 


新富町のバーガーショップ「BROZERS' 」で食べたタマゴサンドだ。画像を見返すだけでヨダレが出る。


前にこの店に行った際、子連れファミリーが食べていたのを見て、次回は必ず注文しようと決めていた。


辛抱タマラン状態のウマさだった。コレステロール問題が無ければ、私はこれだけを3人前は平気で食べられると思う。なんならパンを除けてしまえば5人前はいける。

 




 

日本橋のウナギの老舗「大江戸」のう巻きである。う巻きはたいていこういうサイズだから一人で食べに行ってもなかなか注文できない。

 

というわけで、同行者がいれば必ず頼む。本当は全部自分で食べたいぐらいだが、渋々シェアする。極論すれば鰻重よりこっちを優先したいぐらい好きだ。

 

お次はどこかのカフェで食べたカルボナーラだ。これまたタマゴ業界のヒーローみたいな存在である。

 



 

今では誰もが普通に食べているが、カルボナーラが世の中に広まったのは私が子供の頃だ。まだ物珍しかった頃に初めて食べた時の感激は今も覚えている。

 

お寿司屋さんでシメに注文することが多いのがタマゴの握りだ。いつのまにかシメのタマゴはシャリ無しで出されるケースが増えたが、シャリと一緒に食べてこそウマいと思う。

 


お寿司屋さんではイクラやタラコといった魚卵系を好んで食べることが多い。さすがにそっち系に手を出しちゃった時は、シメのタマゴ握りは我慢する。これがちょっとツラい。

 

タマゴ料理の王道であるオムライスも大好きだ。タマゴを3つも4つも使っているはずだから頻繁に食べないように気をつけているが、ついつい注文してしまう。

 



 

実に麗しく素敵なオムライス画像である。どこかの高級洋食屋の一品のようだが、この画像はロイヤルホストで撮った。イマドキのロイホは大したもんだと思う。ヘタなレストランより満足出来る。

 

居酒屋でグダグダ飲んでいる時にもタマゴは私を誘惑する。焼鳥屋さんでも必ずウズラの卵を食べちゃう。ホッピーを飲みながらジャンクなツマミを楽しむ時も、とん平焼きがあれば悩まず注文する。

 



 

外食中心の生活だから、必然的にタマゴの誘惑に日々さらされている。家ではなるべく卵を控えようと意識しているが、炊きたてご飯は「TKG」で食べたくなる。

 

先日、ウーバーイーツで頼んだ料理にうっとりするほどウマい料理があった。京橋にある「バンザイヴィーノ」というレストランから運んでもらった「ポルチーニリゾットのオムライス」である。


 


もはや反則といいたくなる逸品だった。ポルチーニ風味タップリのリゾットがタマゴで包まれている。

 

包まれているせいで、香りが閉じ込められているわけだ。タマゴをかっさばいた時に官能的なポルチーニが匂いたつ。フワっとしたタマゴと一緒に味わう。悶絶した。

 

“店屋モノ”といえば伸びちゃったソバやうどん、カツ丼か親子丼ぐらいしかなかった昔を生きた人間としては、ただただ驚愕である。出前でこんなモノが食べられる時代に健康で生きていることは実に幸せだ。

 

まあ、健康でいるためにはタマゴをどっかんどっかん食べてはいけないのだが、食欲の秋はいつにも増してタマゴが私を誘惑する。

 




 

中華に行ってもタマゴ炒めが欲しくなり、ちょくちょく出かける銀座の隠れ家料理店「そうな」でも卵黄が決め手の「トリュフとウニのグラタン」を欠かさず注文する。

 

生っぽいタマゴの黄身があふれ出すあのエロティックな味わいは、不健康になってもいいから食べ続けたいと思う。

 

いや、身体を壊しちゃったらきっと後悔するから、やはり正しくビビりながら付き合っていきたい。

 

ウマいものってどうして食べ過ぎると毒になるのだろう。神様はイジワルである。