多くの会社が、なんらかの業種団体に所属している。わが社の場合、新聞発行を基幹業務としている関係で、(社)日本新聞協会に加盟している。
大手全国紙、地方ブロック紙、放送・テレビ業界の主な会社で構成する組織であるため、会活動としては、報道倫理・指針、取材倫理に関するものや、各種調査、声明の発表などが多い。報道協定、記者クラブ制度などの在り方の研究や新聞教育の推進なども大きな使命になっている。
わが社にも各種調査資料や報道用資料が新聞協会から送付されてくるが、そのなかから最近刊行された本を紹介したい。
「心がぽかぽかするニュースHAPPY NEWS 2007」(文藝春秋)がそれ。日本新聞協会が読者から募集した「呼んで幸せな気分になった記事」とそのコメントが収録されたもので、最新版である今回の本には73件の記事が紹介されている。
がんの専門医が若くしてがん患者となり、最期まで希望を捨てずに闘った話、犬と一緒に学校生活を送る動物介在教育の実践で不登校が無くなった小学校の話、放置自転車が途上国に送られ、救急車代わりに大活躍している話など、主に一般紙社会面に掲載されるようなルポが中心。
ほのぼのとした動物のエピソード、勇敢な人命救助の話、ハンデを乗り越えて目標を達成した義足のスポーツ選手の話など、殺伐とした世の中にポッと光を灯すような記事が集められている。
報道に携わる仕事をしていると、不正の追及、真相究明に絡むような話とか、糾弾、批判調の記事が紙面編成の中で絶対優先的な位置付けだと信じて疑わない。
明確なルールがあるわけではないが、古今東西、たいていの新聞がそうだ。ほのぼの系の記事が、不正発覚スクープをさておいて1面のトップ記事を飾ることはない。
いわば、それが常識なのだが、この「心がぽかぽかするニュース」を読んでいると、そんな常識を疑ってみたくなる。明るい話題が少ない昨今、あえて、ほのぼの系の記事が最優先される新聞があったら画期的だと思う。
そんなことを考えながら、「心がぽかぽかするニュース」を読んでいたのだが、紹介されている記事は、残念ながら大半が短いコラム形式の記事、すなわち割かれているスペースは主要記事とは比べようもないサイズ。見落としてしまいそうな記事も少なくない。
新聞のこうした現実は報道の看板を掲げている以上、仕方のないことなのだが、なんとなく残念。
ところで、インターネット上のブログが世界中で増殖中だ。雑感ばかり書き連ねたものが絶対多数を占めているのがブログの世界だと定義してみると、新聞の低迷とブログの驚異的な増殖ぶりの関係が妙に分かる気がしてきた。
言論に関する責任、調査報道の意味、客観性の担保など新聞の存在意義や使命は、ネット全盛のいまも変わらない。
ただ、逆に言えばその部分の堅さが読者に窮屈さを与えていることも真実だろう。それこそ、この雑感ブログで結論が出るはずもない問題だが、ほのぼの系ニュースが主役にならない実態は、いろんなことを考えさせられる。
ハヤリもののように多発する通り魔事件。各種メディアは徹底的に報道する。悲しいかな、そんな報道に刺激されて「オレもやってみよう」と思うバカが存在する。
いっそのこと、凶悪事件が起きても、バカが真似しないように報道機関が黙殺すればいいなどと変なことを考えてしまう。
現に「災害非難で無人化した家屋にドロボー」とかいう報道があると、バカが真似しに行くという情けない話も聞く。
悪いヤツの行為より、悪いヤツの末路をことさら大きく報道することも大事なんだと思う。
話にまとまりがなくなってきてしまった。
いずれにせよ、ほのぼの系の記事があふれる新聞を読んでみたい。でも、そればかりだと鬱陶しく感じちゃうのが人間の業かも知れないが・・・。
2008年8月4日月曜日
ほのぼの系の新聞
ラベル: 世相
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