2007年11月12日月曜日

同族会社の味方です

同族会社という言葉には独特な響きがある。レッキとした法律上の言葉であるにも関わらず、妙に手垢がついているイメージだ。

身内だけで好き勝手やっている、公私混同が日常茶飯事などなど。同族という言葉自体が、物凄く排他的な印象を与える。部外者は部外者として中をのぞけないというか、口も出せないというか、なんとなく閉鎖的な印象はぬぐえない。

とはいえ、400万社ともいわれる日本の企業の9割以上が同族会社。サラリーマン階層がどうイメージするかは勝手だが、日本経済の屋台骨は、同族会社のパワーが支えているのは疑いようのない事実だ。

税法上、やたらと規制的要素の強い取扱いが同族会社には適用されている。法律を作る側、それを執行する側が公務員である以上、同族会社を色眼鏡で見ることが発想の根源であり、同族会社を利することは悪とみなされる。

大いなる誤解に基づく妬み思想がそこにはある。相当な犯罪行為があっても決して首にならずに身分が保障される役人からは、想像もつかないリスクを同族会社経営者は抱えている。崖っぷち感覚と表現すべき精神状態の中で日々闘っている。

無節操、無秩序な公私混同は、税務上の規制を受けるわけだが、会社が破綻するほどの公私混同など当の同族経営者がそうそうしていられるわけではない。このバランス感覚が役人的発想では分からない。

「会社の金であんないいクルマ乗りやがって」とか「会社の金でホステス口説きやがって」みたいな、まさに枝葉末節レベルの表層だけを見て、「ケシカラン同族会社」と安直に結論づける。実に不毛だ。

安泰生活を送る人間よりベネフィットが多くなければ、誰が中小同族会社の経営など引き受けるだろう。それが公私混同という曖昧な批判にさらされるのは偏見だ。

中小企業の世界にもM&Aが広がっている。中書企業白書にも、「子どもがいても後継者になってくれない現実」がさんざん書かれている。その理由は、「苦労したくないから」。裏返せば、中小同族会社経営の実態が裏付けられている。

国が認めているこの現実を無視するかのように、税制をはじめとする諸制度は、中小同族会社経営者を差別し続ける。中小企業の活性化を与党も野党も叫んでいるが、発想の根源を正さなければ無意味。中小同族会社経営者だけを思いっきり優遇する政策を打ち出すぐらいじゃなきゃ何も変わらない。

二世と役人上がりばかりの政治家には理解できない話だろう。ほんの10年間だけでいいから、国会議員を企業経営経験者、それも同族系もたくさん入れた状態で構成したら面白いと真剣に思う。

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