2007年11月21日水曜日

誉めることができない愚かさ


「やって見せ、言って聞かせてさせてみて、
誉めてやらねば人は動かず」

山本五十六大将の言葉だったかと思う。ビジネスマンの中にはこの言葉が好きな人は多い。ポイントは、オチの部分、すなわち「誉めてやらねば」だろう。オチになる言葉だけに、この部分が最も難しく、かつ大事な要素なのだろう。

「誉める」。これが下手なのが我が国。勲章を例にとっても、官高民低が普通で、おまけに等級廃止なんかをしてしまったせいで、等級の高い勲章をもらえる予定だった元役人からの批判すら出ている始末。

勲章ついでに言えば、もっとも叙勲対象にふさわしいのは誰かと考えたとき、その答えは、政治家でもなければ役人でもない。高額納税者こそが一番讃えられて然るべきだろう。

納税表彰という制度がある。一般にはあまり知られていないが、全国の税務署で実施されている制度で、管内の選ばれた人を税務署長名で表彰するもの。ランクアップすると国税局長、そのうえの国税庁長官からの表彰もある。

日本語の常識で考えると、この制度は、適正に長年にわたって高額納税をしてきた人が対象と思えるが、実際は違う。

納税表彰の「納税」は、納税者団体という意味合いであり、「納税者団体の活動により税務行政の円滑な運営に寄与した」という功績で表彰されている。

「たくさん納税したから表彰された」という解釈だと大分ニュアンスが違う。そもそも、高額納税という行為自体を賞賛する制度は存在しない。ウン十年にわたってウン十億円の税金を納めてきても、国としては「義務だから」という姿勢で素っ気ない。

警察が安全運転に努力した人を表彰しているが、安全運転だって義務だ。義務だからという理由で放っておかずに、わざわざ表彰するには意味がある。周囲への波及効果と本人の更なる発奮に期待しているわけだ。

納税も同じはず。誉められれば嬉しい。励みになる。どんなに頑張って納めても、無視されたら意欲もしぼむ。

戦前なら、高額納税者には貴族院議員に選出される道があった。真っ当な考えだろう。国に対する「会費」を人よりはるかに多く負担しているなら、相応の権利があってもおかしくない。

現状を考えると、選挙権だってネットカフェをねぐらにするプータローと億単位で納税している人間と何ら変わらず一票は一票。高額納税者にとってはバカみたいな話だ。

「義務だから当たり前」という情緒性のまったくない発想では、いずれその義務自体のハードルを高めてしまうように思える。

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