農家は国策として保護されている。農地を相続しても子どもが農業を続けていれば、農地に相続税がかかることはない。いわば、農地は国民の食を支える大切なものであって、個人的資産とは一線を画すという発想だ。食材を生産するという作業が、その使命ゆえに保護されている格好だ。
なんとなく理解できるが、逆になんとなく腑に落ちない。農地で生産されたコメや野菜を売る商店には、そこまでの優遇策はない。
「国民の食」という考えなら、パン屋さんもそば屋さんも、ある意味居酒屋だって国民生活を支える大切な存在だ。これら一連の事業者の相続と農地の相続はそんなに違うものだろうか。
こうして考えると相続税そのものの存在が妙に気になる。一部の先進国では、相続税を廃止する動きが珍しくない。わが国では、今年末までには決まる来年度税制改正で、事業承継に関する相続税の減税が導入される可能性が高いが、相続税を無くすという発想はまったくない。
難しい言葉で言うと「富の再配分」が相続税の存在理由。資本主義国家でそんなこと言われてもピンとこないが、お金持ちが代々続くことは悪いことという発想に基づいている。
とくに深刻なのが中小企業の株式だ。流通性が全くないのに、事業所の立地などの資産内容によっては、上場会社の株価より高い評価額がつけられる。それを元に税金を換算されても無茶だ。そもそも評価額とは、客観的な交換価値、すなわち売却しようとしたらいくらになるかというモノサシである。
事業を続けているのに、「売っぱらったらコレコレの価値があるんだから、それに見合った税金を払え」という論理で課税される。屁理屈的発想にも思える。
個人的経験だが、先代が亡くなったとき、自社株が先代の遺産のかなりを占めていたため、納税対策には頭を痛めた。実際に経験したことで強く印象に残っているのは、「この会社は先代から受け継いだのではなく、国に大金を払って購入したのではないか」という感覚に陥ったこと。なんとも後味が悪かった記憶がある。
後継者不在による中小企業の廃業が社会問題になっている。子どもがいないのではなく、子ども世代に「親の事業を継ぐ」という意識が薄れてきていることが最近の特徴だ。
技術やノウハウが受け継がれないで廃れていくだけでなく、雇用も廃業の数だけ失われる。国難と言っても決して大げさではない。
中小企業にもポピュラーになってきたM&A。ほんの数年前までM&Aという言葉自体が、経営者階層から忌み嫌われている風潮が強かったが、最近はすっかりネガティブイメージが払拭されてきた。その理由は結局のところ、背に腹は代えられない経営者の実情につきるのだろう。
自分、そして自分の会社を救うためにM&Aが有効な選択肢になることは間違いない。“相続税的発想”にリードされる各種の政策を見続けてきた経営者なら当然の判断だ。
2007年11月16日金曜日
事業を継ぐということ
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