2011年7月15日金曜日

パリは燃えていたか

パリでは相変わらずドジだった。

カメラを入れたバッグをどこかに置き忘れ、悲嘆にくれていた二日目。
何と東京の自宅にわざわざ電話が入った。立ち寄った靴屋さんから、「カメラ忘れただろう、バカ」という実に親切な連絡。

翌日、法外な富豪級謝礼金を包んで回収にいったことは言うまでもない。

旅の終盤ではパリ中の美術館に並ばずに入れるフリーパスを無くした。わざわざ日本で高い金を払って入手したのにバカ丸出し。今後はもっと緊張して旅をしないとシャレにならない失態をしそうだ。

というわけで、旅行中は更新できない代わりに過去ネタの再掲載をしてきましたが、それも今日で終わり。来週水曜から通常に戻ります。


酒場との付き合い方
http://fugoh-kisya.blogspot.com/2008/03/blog-post_14.html


大人の線引き
http://fugoh-kisya.blogspot.com/2008/02/blog-post_08.html


セックスと背骨の話
http://fugoh-kisya.blogspot.com/2008/04/blog-post_16.html


プチ愛国心
http://fugoh-kisya.blogspot.com/2008/06/blog-post_30.html

2011年7月13日水曜日

またまたアーカイブ

今日も更新できないので、過去に掲載したテーマを改めて載せてみました。アーカイブなので小難しい話は避けてみました。


エスパーな私
http://fugoh-kisya.blogspot.com/2008/02/blog-post_25.html


中年こそ純情か
http://fugoh-kisya.blogspot.com/2008/02/blog-post_06.html

2011年7月11日月曜日

アーカイブです。

パリは快適な気候です。毎日5〜6時間は歩き回っているのでダイエット効果に期待しているところ。
絵画には見向きもしなかった若い頃が嘘のように絵を見て涙ぐみそうな経験をして我ながら驚く。

モネの睡蓮を生んだ郊外の庭を見にいった際には、シャトルバスに行列ができていたので、
レンタサイクルで移動。足がバテバテ。慣れないことはするものではないと痛感。

たいした内容がないので、過去にご好評いただいた分を再掲載します。


神楽坂の寿司とおばけ
http://fugoh-kisya.blogspot.com/2007/11/blog-post.html


愛すべき偽装
http://fugoh-kisya.blogspot.com/2007/12/blog-post_04.html


ナイフとフォークとバニーガール
http://fugoh-kisya.blogspot.com/2008/01/blog-post_15.html

2011年7月8日金曜日

散歩

実は今フランスに来ています。目的は散歩。正確にいえば、靴屋めぐりと印象派絵画を見るための美術館めぐり。

旅先でブログを更新するほどネット操作に強くないので、今日の分は出発前に書いている。

元々は3月に予定したものの、震災の影響で中止し、仕切り直した。イタリアとフランスに行くはずが、いろいろあってパリだけに滞在するアッサリした旅になった。

日本航空の無料航空券が取れたので大助かりだが、出発2週間を切ったぐらいから空席を出し始めるので、結構直前まで微調整が必要だった。

ということで、来週いっぱいは過去に好評だったヌルーい話しを再掲載しようかと思います。

いずれにしても、散財に気をつけようっと。

というわけで、今日も今週初めに当ブログの過去掲載分を一部、アーカイブで紹介したのに味をしめ、評判の良かったネタをいくつか再録してみます。


デブの運命
http://fugoh-kisya.blogspot.com/2009/06/blog-post_26.html


渋谷 15の酒 毛髪
http://fugoh-kisya.blogspot.com/2009/05/15.html


草食系でいいのか(ちょっと真面目な内容です)
http://fugoh-kisya.blogspot.com/2009/06/blog-post_22.html

2011年7月6日水曜日

カニとかエビとか

何年か前にカニをやたらと食べ続けたことがある。もともと大好きなのだが、ダイエットのためにカニ様に依存した。

実際のところは知らないが、カニの身はほとんど水分だから、カロリー的にはすこぶる優等生のはずだ。


ダイエットといえば、馬とかウサギみたいにマズい野菜を食べて耐えるイメージがあるが、それでは心も寂しくなる。だから、ダイエットなのに贅沢気分が味わえるカニばかり食べていたわけだ。

今でもカニはしょっちゅう食べたいランキング上位なのだが、甲殻類アレルギーの恐い話を聞いて以来、闇雲に食べないように意識するようになった。

サンフランシスコ駐在になったカニ好きな人が、フィッシャーマンズワーフで連日カニを頬ばり続けていたら、重度のアレルギー症状が出て、二度とカニを堪能できなくなったという話だ。

花粉症と同じようで、甲殻類アレルギーもその人の許容量を超えるとコップから水があふれるように発症するそうだ。

そんな話を聞いて、なるべくカニを控えるようになってしまった。チキン男みたいで情けない。

でも随分と「カニ節制」に励んでいるわけだから、この夏あたりは北海道に行って噴火湾産の毛ガニを吐くほど食べようかと思っている。

エビも好きだ。エビの場合はナマでじゅるじゅる食べるのが一番うまいと思う。毛ガニもズワイもタラバもナマで食べたことはあるが、カニ様はやはり火が入ったほうがウマ味が増幅する。

一方のエビ、それも伊勢エビのような大型ではない種類であれば、やはりナマのほうがウマいと思う。


この写真は、いつもお世話になっている高田馬場の鮨源で撮影。左からオニエビ、大ぶりの甘エビ、ブドウエビ、ボタンエビだ。これ以外にもシマエビもナマでよく見かける。東京のお寿司屋さんの中でも貴重な品揃えだと思う。

東京の寿司ネタの王道である茹でエビに使われる車エビもここでは、生きているエビ様が常駐。頼めば、目の前で活け茹でにしてくれる。

AKB48をもじって「エービー48」。バカな私がいつも注文する言い回しだ。生きた車エビを48秒茹でてくれという意味だ。茹で時間1分未満だと、少しレアな感じが残り官能的な甘味が引き立つ。まだホクホク状態でパクッと食らいつくと、あまりのウマさに素直にエビ様の成仏を祈りたくなる。

エービー48以外には、やはりナマだ。ナマはどうしたって気持ちがいい。いや、美味しい。


このオニエビ、いろいろなエビを食べてきたつもりだった私にとっても初体験。確かにオニみたいな面構えだ。コイツが生きたまま突進してきたら恐い。

で、刺身で食べてみた。見た目通り、ボタンエビのようなアマーい味わいだが、他のエビよりもどことなく優しい味。インパクトが強すぎないというか、甲殻類特有の軽いエグ味のような要素は感じられない。見た目と違って上品な甘味。

やはり、鎧兜みたいな殻で身を守っているヤツは、自分が美味であることを自覚しているのだろう。

カニ様、エビ様に共通している話だが、あんなに屈強な衣をまとっているのは「オレって喰われたらウマいからさあ、身を守っているわけさ」という意味だろう。絶対そうだ。

カニなんか強力なハサミまで持っていやがる。「オレってウマいんだぞ」とわざわざアピールしているようなものだ。

というわけで、エビ様、カニ様を好む私なのだが、本業の?水中写真家としては随分、エビカニ系のイヤな話も聞いてきた。雑食性というか、海の掃除屋としての側面だ。

海難事故で水死体の捜索にあたるダイバーの間でもよく知られた話ではあるが、あまり具体的な話は割愛しよう。

話を戻す。考えてみれば、見た目がグロテスクだったり滑稽なヤツほどウマいことが多い。

ヒラメとかオコゼとかアンコウとかフグなんかもそうだ。美しい熱帯魚はだいたい喰えたものではない。容姿非端麗のほうが美味しいという理屈はかなり信ぴょう性がありそうだ。

もっとも、そんな理屈だとカメとかワニとかアルマジロまでウマいという事態になってしまう。やっぱり偶然だろうか。ワニは一度食べたが鶏肉みたいで悪くはなかった。

よく分からない話になってきてしまった。

なんだかんだ言って、いくら「ウマいよ~」と言われても、あんまりグロテスクなのはどうかと思う。とくに人間の女性だったらなおさらだ。

やはり食べさせていただくのなら美しいほうがいい。

結局そういうオチになる私だ。

2011年7月4日月曜日

アーカイブ

NHKで変な時間に放送しているアーカイブものが結構好きだ。昔の番組を再放送するだけなのだが、ドキュメントとか、ルポものだったりすると、20年前、30年前の時代の感覚が生々しく伝わってくる。

古い新聞や古い雑誌もパラパラめくるのも面白い。雑誌の記事表現なんて、規制だらけの今では考えられないぐらい乱暴だし、それがまた迫力につながっている。

先日、会社の近くにある古本屋で昭和50年代のポパイとかホットドックプレスを見つけてオトナ買いをしてしまった。あの頃のトンチンカンなファッション解説とかノー天気な若者向けの記事を面白く読んだ。

今まで見てきた古い時代の新聞で印象的だったのは、昭和20年8月終戦直前の朝日新聞の記事。「広島に新型爆弾」という記事の内容がひどくて戦慄を覚えた記憶がある。

原爆という言葉もなかったわけだが、被害は甚大と報じているものの、随所に「大したことないぞ、まだまだ平気だ」的な表現が見受けられた。

おまけに軍上層部のコメントでは、新型爆弾対策として、長袖、長ズボンを着用していれば大丈夫だとか、室内にいれば問題ないといった実に非科学的な話が掲載されていた。

時代の空気がそのまま伝わって、ゾッとした。

わが社も専門新聞を発行して60年以上になる。昔の記事を眺めていると結構勉強になることが多い。無理やり新しいニュースを探すより、昔の問題のその後を取材したほうが余程読み応えのある記事が掲載できることもある。

昔といっても、昭和20年代、30年代ぐらいになると、さすがに現在に活かせるネタは見つからないが、それなりに時代の空気が読み取れて面白い。

「私が大蔵大臣だったら」というベタなタイトルで有名人に国の財政政策のアイディアを語らせる企画もあった。

それこそ石原裕次郎とか小林旭、野球界では長島や金田といった当時のスター達を取材している。

当時の記者の書きぶりもまた時代感たっぷり。ベランメエ調の語りが特徴のスターが登場する回では、「そんなクダラネエこと聞くなよ」とか、記事の書き出しからユル~い感じ。のんびりした時代だったんだろう。

さてさて、今日の本題に入る。

まだほんの数年だが、このブログも結構な履歴が残ってきた。たまに読み返すと、その時の心理状態を思い出す。

政治経済問題なんかにも、なかなかご立派な?主張をしていて我ながら自分のマジメな人間性に目を見張る。

という冗談はさておく。

自画自賛でお恥ずかしいのだが、結構面白く書けているバックナンバーに自分自身でうなずいたりすることがある。

いま同じことを書こうと思っても書けそうにないものもある。文章の不思議なところだ。

その昔、引っ越し作業をしていたら、随分前に書いた恋文の下書きが出てきたことがあった。情熱って凄いもので、恥ずかしい内容なのだが、特別な心理状態にならないと出てこないような表現が随所にあって感心した覚えがある。

つくづく当時のほとばしるようなエネルギーが懐かしい。

本当の文章力がある人は別として、普通の人の文章なんて気分で大きく変わる。安定的に情感に富んだ文章をスラスラ書けるような人間になりたいが、なかなか難しい。

というか、このブログのようにオチャラケ中心では、そんな高尚な願いを抱くこと自体が無理というものだろう。

ついでに過去に掲載した中から、自分でチョット面白く感じた内容を3つ紹介します。

ちゃんとしたお堅いテーマも取り上げてきたのだが、わざわざピックアップするわけだから不真面目なものを選んでみた。

我ながら、下世話な題材をどうしてそこまで熱く語りたがるのか、自分の脳みそが少しだけ心配だ。



挿入と白衣

http://fugoh-kisya.blogspot.com/2008/07/blog-post_16.html



エロを考える

http://fugoh-kisya.blogspot.com/2010/01/blog-post_20.html


ベルルスコーニになりたい

http://fugoh-kisya.blogspot.com/2009/06/blog-post_05.html

2011年7月1日金曜日

アナログおやじ

年甲斐もなく、なんとかデジタル時代に取り残されないように悪戦苦闘している。そうはいっても、無理なものは無理みたいで何かと危なっかしくてしょうがない。

つい先日もメール誤送信というトンデモない大失敗をしでかした。仕事上のメールではなかったのだが、一歩間違えば大騒動だ。人生でも3本の指に入るぐらい恥ずかしい思いをした。自己嫌悪ブリブリだ。

詳細は都合により割愛する。。。

最近、facebookをいじっているのだが、ああだのこうだの書いた内容が「すべてのユーザーから閲覧可能」状態になっていたことに気付いた。さすがにビビッた。

「友達」という機能があるわけだから、その範囲に限って公開されているとばかり思っていた。ちゃんとチェックしないとまずい。

自分の行動に一切後ろめたいことはないのだが、少なくとも身内が読んだら「オイオイ!」みたいな内容も無くはない。

忙しくて大変でパンパンだ、とか言いながら、なんで仕事をさぼって美術館で絵を見ているのか等々。デジタル的履歴日時表示の前ではゴマしようがないじゃないかコノヤロー!って感じだ。

実に危険だ。実に脇が甘い。馴れないことはするものではない。

そうはいいながら、facebookは思っていた以上に楽しい部分もある。何年か前に友人に招き入れてもらったのに今まで活用しなかったことが悔やまれる。

まだまだ使い方がよく分からないのが問題だが、古い友人などが次々に見つかる。懐かしい人を発見して嬉しくなる。

この年代でそう感じるのだから、若い世代の人は色々な使い方が出来ているのだろう。災害時のインフラとしてツイッターが活躍したみたいだが、この手の情報ツールは最低限経験しておいたほうが何かと便利なんだろう。


話が変わる。先日、「頑張ろうデジタル対応・オレ編」の一環でついにスマートフォンを入手した。iphoneは電話が切れやすいという評判なので、ドコモの最新型を予約の上、発売当日にさっそく機種交換してきた。

お恥ずかしい話だが、その後3時間いじってみて、のこのこドコモショップに舞い戻って、「元の機種に戻してくれ!」と叫んできた。

わすか3時間で「卒業」だ。われながら潔い決断?に感心する。というか、闘いを前に敵前逃亡したみたいでチョット情けない。

スマートフォン、大したやつだとは思ったが、私としては「こいつは電話ではない」が結論。当たり前と言えば当たり前なのだが、あれは純粋にタッチデバイスとやらだ。

「携帯電話を新しくしよう」と思っていた私にとっては、「電話じゃない」という事実はサギにあったようなものだ。

たった3時間で機種を元に戻しに行った時、ドコモショップの店員に「これ電話じゃないからいらない」とその理由を語ってしまった。実に情けない言い分だ。世の中について行けていないオッサン丸出しである。

ついでにいえば、ドコモのアンドロイドは、G-mailのお節介機能がブリブリ働いているため、履歴というかプライバシーの部分がなんともハイリスクな点も気になった。

ロックをかけておくのもわざとらしいし、脇の甘い私にとっては「悪魔の機械」みたいな印象が強かった。やはりITの進化はボケッとしている私の平穏をかき乱すから困ったものだ。

通話やメール送受信の履歴が表示されずに、勝手にお節介な編集機能が働かない便利な?携帯は売ってないのだろうか。まあ、そんなものをわざわざ買おうという発想自体が怪しいから、成り立つはずもないか。

インターネット、Eメール、ケータイ、パソコン、カーナビ、GPS、おサイフケータイ、パスモ、電波時計、音楽配信、ちょっと思いついたものを羅列してみた。すべて20年前は無かったり身近ではなかった。

懐古趣味が強いわけではないが、最近の便利さと昔のアナログ型の情緒を比べると妙な感慨も覚える。良い悪いではなく、気付かぬうちに変わっていく「時代」という得体の知れない魔物が妙に恐い。

ちょっと大げさになってしまった。

河島英五の「時代遅れ」という名曲がある。あの歌が世に出た頃は時代遅れであること自体に男の美学が潜んでいた。今の時代、そんな悠長なことを言っていると痛い目に遭うから困りものだ。

まあ、先端技術に翻弄されているうちが花だろう。あと10年も経てばチンプンカンプンになって翻弄すらされなくなるかもしれない。

夜更けの部屋で一人、ちびちびと寝酒を楽しみながら、一通のメールを心待ちに胸を焦がすなんて楽しみは今の時代ならではだろう。

そういう時に限ってクレジットカード会社から「ご利用金額のお知らせ」メールが飛び込んでくるから切ない。

そんなものだ。