2008年10月15日水曜日

東京ドーム

プロ野球のおもしろさは、シーズン終盤のこの時期に限るが、思えば随分と球場に足を運んでいない。

実家や会社でウン十年持っていた年間指定席を手放したことがきっかけ。後楽園球場から東京ドームに舞台は変わっても、プラチナチケットとかいわれて、貴重な扱いを受けていたのも今や昔。

一度手放したら、なかなか年間指定席は手に入らないという都市伝説のような情報に支配されていたが、あることがきっかけで、アホらしくなって継続契約を取りやめた。

簡単に手に入らないはずの年間指定席募集のDMが、わが社の関連会社宛に送られてきたことがきっかけ。

DMする際に、企業名が違ったので名寄せ作業から漏れていたのだろう。こっちは、年間席の中でも、より良い位置に移動してもらおうと何度も交渉していたが、「解約は滅多に出ない」と言われ続けて我慢していた。

にもかかわらず、ウチが持っていたレベルの年間席を平気でDMしているのだから、なんか釈然としない。中途半端なDM営業って場合によっては、失礼にもなるし、リスクがあることを痛感する。

さて野球だ。熱狂的なファンではないが、東京生まれで東京育ち、後楽園球場にしょっちゅう祖母に連れて行かれた私は、基本的に巨人ファンである。

とはいえ、最近の若手選手の名前や顔はよく知らない。

その昔、大ファンだったのが高田選手!現・ヤクルト監督だ。バットもグローブも「高田モデル」を親にせびった。

3回ほど夢にも出てきた。なぜか、いつも歩き疲れている私の横にスーと車が横付けされ、開いたドア越しに高田選手が「乗っていくかい」と声をかけてくれる夢だ。

いまの原監督が鳴り物入りで入団し、高田選手の背番号8をつけたことが気に入らなかった。そのせいで、原ファンだったことは一度もない。

私の祖母は、熱狂的な巨人ファンで、昭和30年代には後楽園球場のバックネット裏の年間指定席を持っていたほど。

物心ついて、祖母に連れられていった後楽園では、巨人が勝てば、試合後にお土産コーナーで何かを買ってくれたが、負けた日は非常に不機嫌になって恐かったことを思い出す。

当時、後楽園球場は日本ハムも本拠地にしていて、なんと巨人戦の年間指定席を買うとおまけに日本ハム戦の全試合チケットがついてきていた。

暇な休みの日など、誰もいない観客席で横になって熟睡したこともある。いまでは想像もできない。

王選手の800号ホームラン、暴れん坊・シピンの大乱闘など結構レアな試合現場を生で見ることができたのはいい思い出だ。

大リーグ選抜が来日する際には、たいてい読売新聞社が絡むため、東京ドームで数試合行われる。この場合、年間指定席オーナーには、事前に優先割り当てがあるので、極上席でサミー・ソーサ、バリー・ボンズを見ることができた。

そういえば、以前、草野球に精を出していた頃、深夜から明け方にかけて、6チームで東京ドームを借り上げて試合をしたことがあった。

眠くてしょうがなかったが、天下の東京ドームのマウンドに立った印象は、「キャッチャーが近く感じる」ということ。マウンドの傾斜は小山のようで、実に投げやすい。

でも、想像以上にキャッチャーの後ろを中心としたファウルグラウンドがだだっ広く、暴投したら、草野球の場合、目も開けられない展開になる。

いまでも、飲み屋で「昔はドームでも良く投げたもんだ」と遠い目を作ってシンミリ野球崩れのフリをして語ってみることがある。

しょうもない小ネタです。

今日はほんとに雑文になってしまった。

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