2008年9月3日水曜日

不快な話

首相経験者には、基本的に退任後いつまでもSPがつく。確か議員を辞めても死ぬまで2名のSPが配置される。

なんとなく担がれて、理念もなく首相の座につき、イヤになったから投げ出すような人物に対しても同様。税金の使い道としてなんとも間抜けだ。

最近のようにコロコロと首相が変わると、そのうち、SP要員が足りなくなるかもしれないと変な心配をしたくなる。

それにしても安倍、福田と続いた政権投げ出しリレーは首相ポストを徹底的に軽いものにした。

議員内閣制である以上、首相の座をほっぽり出しても、議員センセイの地位は変わらず、下手をすれば議場の最後列で、大物顔でふんぞり返っている。

各委員会で国政に関する議論を活発に展開するわけでもなく、悠然とエラい人として過ごす。

民間企業に例えるなら、苦難に直面し、会社をグチャグチャにしたうえで経営をほっぽり出しても、名誉会長とかにとどまって収入も地位も絶対的なものとして保証されるようなもの。

なんとも甘い構図だ。政治の世界だけでリーダーごっこをしているのならともかく、そんな甘ちゃんが、国全体のリーダーとして位置付けられているのだから国民は堪ったものではない。

政治の世界では「身を賭して」とか「退路を断って」とか「火だるまになってでも」とか「命懸けで」などの言葉が気前よく使われる。あれらの言葉は、逆にそんな気がさらさらないからこそ口をついて出るのだろうか。イヤミではなく本気でそう思う。

自分の命までも担保にして仕事をしている中小企業オーナーの間から、そうした大げさな言葉は滅多に聞かない。そんな言葉を口にするような状態だったら、そんなことを口にする暇もなく打開策に専念しているからだろう。

中小企業の場合、大げさではなく、経営トップは全身全霊を傾けている。にもかかわらず「同族会社」とか「オーナー企業」という言葉のイメージは、内部牽制機能が働かない、経営者が好き勝手なことをしているといった“放漫”イメージがついて回る。

確かに一面的にはそうした指摘も誤りではないだろうが、いざ、会社がピンチに陥ったときのプレッシャーは、そのポジションにいる人間にしか分からない過酷なもの。

福田首相の辞任理由は、突き詰めれば、「みんなに嫌われた」、「自分の考えが通せない」、「ズタボロになってから辞めたら格好悪い」・・・。こんなところだ。

オーナー経営者から見れば、実に幼いお粗末な理由に見える。本来なら、とてつもなく大きなものを背負っているはずなのだが、結局、その自覚が無かったことの証だ。自覚がないから放り出せる。

世の中では、今回の騒動を「あ然」とか「驚愕」という捉え方をしている。マスコミ的にはそれでいいのだろうが、然るべき責任とともに生きている市井の人々の印象はちょっと違うように思う。

ひと言で言うなら「不快」。この言葉以外にピンとくるものはない。

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