2008年9月25日木曜日

依存症と付き合う

それなりにストレスを抱えている人には、何かしらの“依存症”は付きものだ。タバコやアルコールをはじめ、それを断つとイライラして落ち着かない、不安になる感覚があれば、充分に依存症だ。

私も今までいろいろな依存症に陥った。人に言えないような状態になった経験もある。

一応、ストレスを抱えている証拠だと思えば、何かに依存することは仕方のないことで、ある意味当たり前のことだと自分にいい聞かせている。

一般的にポピュラーなのは酒、たばこだが、それ以外にも、ギャンブル中毒、買い物中毒とか薬物中毒、はたまたセックス中毒も珍しくないらしい。

クリントン元大統領や俳優・マイケルダグラスあたりの件で、がぜん認知度が上がったセックス依存症だが、健康な人間が思うほど楽しいものではないらしい。

セックス中毒などと聞くと、確かにゾクッとしたり、グッとくる言葉だが、依存症まで行ってしまうと施設入所による治療など、それはそれで大変。

話を戻そう。知人に若くして子どもを亡くした初老のご婦人がいる。毎年、季節ごとに大量の洋服を買うのだが、多くは一度も袖を通さずに処分する。一種の依存症だろう。

どんなに体調が悪くても、パソコンをいじっていないと気分が悪くなる人がいる。携帯メールの着信を気にして、着信がないのに、着信時の振動を感じてしまう人が増えているらしい。こうした状態も中毒という意味で依存症だ。

経営者をはじめ重責に追われて仕事をしている人であれば、たいてい、変わった趣味や変わった性向がついてまわる。何のこだわりもなく、特徴的な傾向のない経営者なんて世の中に存在しないと思う。

麻生太郎首相のマンガ好きも常識で考えれば異常なことだ。70才近くの人間が暇さえあればマンガを読みふけっている構図は、普通ではないし、その精神性が疑われる。

あれも中毒という意味の依存症だと考えれば、ある程度理解できるが、そうだとするとあの人にもしっかりストレスがあったのかと逆の意味で感心する。

陶器好きな私は、10年以上前から、ぐい呑みや徳利、壺を中心にあれこれ購入してきた。収集癖自体が一種の中毒であり、依存症のようなものだが、フトコロの関係もあって、そうしょっちゅうは買えない。

しょっちゅう買えないはずなのに、ある時期、ヤバイ状況に陥ったことがある。ある時期から2年間ぐらい、とりつかれたように買い求めた。作家物、骨董品、ガラクタまでなんでもかんでも欲しくなってしまい、買わずにいられない状態になってしまった。

月に何個買ったというレベルではなく、週に何個という状態がしばしの間、続いた。オトナ買いなどという気前の良い話ではなく、一種の依存症モードに入ってしまっていたのだと思う。

陶器専門店、デパートでの個展、旅先での窯場訪問だけでなく、インターネットでのショッピングサイトやオークションサイトもマメにチェックし、とにかく買っていないと不安になる変な状態だった。

その頃、凄まじいストレスにさらされていたのなら、同情をひくような話につなげられるのだが、そんな特殊なストレスを感じている時期ではなかった。

お恥ずかしい話、異常なほどの「ぐい呑み購入依存症」は、禁煙に成功した頃から発症していた。

禁断症状と闘っていたころは大丈夫だったのだが、はっきり禁煙成功を自覚したあたりからおかしくなった。

依存症から逃れるには、他のものに依存するのが得策だとは言いたくないが、結構、依存症的な要素って、この方程式が当てはまる。

私のぐい呑み購入依存症は、ほぼ間違いなくタバコに依存していた依存心が行き場を失って、ぐい呑み集めに憑依したのが真相だ。

そして今、私はすっかりスモーカーに戻っている。2年近く前に、あるストレスをきっかけにタバコ復活。意識はまったくしていないのだが、不思議なもので、その頃からぐい呑み購入依存症は、すっかり影を潜めた。いまは、よほど欲しいモノが見つかったときしか買わない。

ちなみに、何かと喫煙者にとって不便な世の中なので、そう遠からず人生2度目の禁煙生活に入ろうと考えている。

でも、タバコへの依存心が次はどこに乗り移るのか、実はかなり心配している。

セックス中毒だけは避けたい。

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