2008年9月10日水曜日

夜の偽装


このブログを熱心に読んでくれている友人に「最近は色っぽい画像が無くてつまらない」とダメ出しされた。仕方がないので有り難い画像を放出してみた。

普通に暮らしていると、こういう服の人とは出会わない。だから夜の街で出会うと嬉しい。新宿歌舞伎町あたりの深夜には、変に露出したギャルがゴロゴロ転がっているが、そんな姿を目撃しても不思議と嬉しくない。なぜだろう。ちょっと考えてみる。


うーん、きっと、大胆な服装といえども、本人の私生活の延長だと面白くないのだろう。要は、素の姿なのかどうかという点が大きいのだと思う。

夜の蝶の場合、仕事という舞台を前にして割り切って変身している。“素”なのか“変身”した姿なのか。ここがカギを握っているように思う。

夜の蝶の変身は、言ってみれば仮装とか偽装だ。このジャンルの偽装、仮装は大歓迎だ。

話はそれるが、欲しかったモノを買いに行って、ラッピングもされずに手渡されたら興ざめだ。趣味の品、嗜好品、ましてや贈答品などは、丁寧に箱に詰めてもらったり、過剰包装をされると有り難い感じが強まる。

仮装と言ってしまっては、語弊があるが、“装飾”の大切さだろう。ときに虚飾だろうが、“飾る”という意識が大事。

街にたむろしている露出娘は、飾っているわけではないから、露出度タップリでも嬉しくない。

和服姿も同様だ。現代社会では、非日常性の最たるものだろう。もともと、ハレの日に着るわけだから、見ている側もなんとなく晴れやかな気分になる。

江戸時代にタイムスリップしたら、みんなが着物姿でちっとも有り難くないだろうが、滅多に見かけなくなった現代社会だから、和装にも惹かれる。

どこにもチラリズムがなくても、ついつい有り難い気分になる。着ている人まで素晴らしい人なのだろうと錯覚しそうになるのが困った部分ではある。

ところで、仮装、偽装、虚飾と書き連ねると、悪事のオンパレードみたいだが、夜の世界の場合、相手方、すなわち客側が、それを求めているのだから、ちっとも悪いことではない。

むしろ、あまりに“素”の姿で相手されたら、有り難くないのだから変な話だ。

客側と女性陣の関係を考えると、女性の“装飾”が微妙なオブラート、境目となって男女間に壁を作っているように思う。

突き詰めれば、偽装や仮装には、疑似恋愛を“疑似”のままでいさせる役割が潜んでいるのかもしれない。

ちなみに、私の場合、偽装度合が激しい女性にお相手してもらうと、かえって緊張しないで過ごせたりする。きっと、こちら側も夜の街では、それなりに気取ったり、格好つけたり、一種の偽装状態だから、偽装した者同士で気が楽なんだと思う。

「化かし合い」とはよく言ったもので、夜の世界に偽装はつきもの。それを理解しないとバカを見る。実際にバカを見てしまった人を随分目撃した(私のことだろうか?)。

ああだこうだと書いてみたが、それでも疑似恋愛から疑似という2文字を取り去った状態に陥りたいと思ってしまうのだからショーモナイ。

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