コロナの話ばかり書いていると気分が暗くなるから、今日はラーメンについて書く。
私はどちらかと言えばコメ派なので、ラーメンには強いこだわりはない。
混んでる店で食べたいとは思わないし、人気が定着したつけ麺もウマいとは思わない。そんな程度の距離感でラーメンに接している。
時折無性にラーメンが食べたくなるのだが、私の場合、ラーメンそのものよりもチャーシューに意識が向いてしまう。
普通のラーメンの画像である。ちっともそそられない。チャーシューが一枚しかないことが残念無念である。
普通のラーメンの場合、チャーシューを食べるタイミングが大きな問題になる。
チャーシューが一枚しか無ければ一口で食べたら消滅してしまう。ちぎったところでせいぜい2回しかチャンスが無い。
これは大変な事態である。ラーメン一杯を食べるにはおそらく20回か30回ぐらいは箸を口に運ぶはずだが、そのうちの2回だけである。
それ以外はメンマや卵に活躍してもらうわけだが、それでも基本はラーメンだけを口に入れる必要がある。
ラーメンが大好きな人なら何も問題はない話だ。でも私のような変態チックな人間は、あくまで麺とチャーシューをミックスして食べたい。
ひょっとすると私はラーメンというものが嫌いなのかもしれない。まずチャーシューありき、ついでに麺というヘンテコな感覚が強いみたいだ。
そんな性癖?を実感したのが職場のそばにある喜多方ラーメンの店で食べたチャーシューメンだ。
「坂内」という人気店である。店頭に貼り出されているチャーシューてんこ盛りの画像に誘われて入ってみた。
大興奮である。チャーシューで麺が見えない。勃○しそうな見た目である。
ラーメン一口につきチャーシュー一枚を食べても、いつまでもチャーシューが控えている。これは嬉しい。実に幸せなことだ。
麺は普通、スープも普通だった。でも私の満足感はマックスだった。美味しいかどうかという次元を超えた世界である。チャーシュー祭りというだけで100点満点である。
食べ進むうちにチャーシューに飽きてしまったほどだ。それって贅沢なことだろう。「チャーシューに飽きる」などと表現出来ることは滅多に無い。
ここ最近はチャーシューがドッサリ入っているラーメンが食べたくなると、わざわざ新橋の「ほりうち」まで出かけていた。上の画像がそれだ。
「ほりうち」でも食べている最中にチャーシューに飽きるという贅沢が味わえるが、今回食べてみた「坂内」京橋店は職場から徒歩2分である。まさに灯台もと暗しである。
「坂内」は都内に十数件展開するチェーン店だとか。チャーシューに飽きてみたい人なら足を運ぶ価値はある。
なんだかラーメンを語っているのかチャーシューを語っているのか分からない話になったが、私のラーメン感はしょせんその程度でしかない。
スープの奥深さ、麺の傾向など一生懸命に吟味している人たちからすればシャバダバな話だが、もはやラーメンは国民食らしいから私のような変態系論評もご容赦願いたい。
4 件のコメント:
富豪さんの今のお住まいからは遠くなってしまったかもしれませんが、大塚の北大塚ラーメンのチャーシューメンはお好きだと思いますよ。現在はコロナで閉まっていますが6月から再開するそうです。
コメントありがとうございます!
北大塚ラーメン、は以前の住まいから遠くなかったので気になっていたのですが、行かずじまいでした。機会があればチャーシュー祭りを堪能したいです!
範囲外かもしれませが、新宿の満来も、まさにチャーシューに飽きる贅沢が味わえます。富豪様の変態系論評シリーズは、いつも独特の視点で、でもなぜか共感できることが多く楽しみです。
コメントありがとうございます!
お褒めいただき恐縮です。情報ありがとうございます!
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