夏バテのせいだと思うが、このところ味覚がヘンテコになっている。新型コロナの症状に味覚障害があるらしいが、そういう次元ではない。
味を感じないわけではない。今までウマかったものがマズくなって仕方がない。ここ数ヶ月のコロナ禍での暮らしぶりで何かが変化したのだろうか。
もつ焼きにホッピーである。オジサマ族にとっては憩いの組み合わせだが、最近これが全然ダメだ。ホッピーもマズい、もつ焼きもマズい。
店のせいではない。あくまで私の味覚のせいである。
4月からの禁煙法のせいで大衆酒場までタバコが吸えなくなったから、しばらくその手のモノを食べていなかった。
大衆酒場という愛煙家の聖地まで禁煙という事態はスットコドッコイだし、ああいう店でタバコを我慢するのは妙にシャクだ。
だからここ5ヶ月ぐらいご無沙汰していたのだが、先日、久しぶりにホッピー気分になり自宅近くの店に行ってみた。
ホッピーの味はもちろん、もつ焼きの鮮度も前と同じだ。なのにマズい。2本も食べたらゲンナリして結構な量を残して帰宅した。
お寿司屋さんでも、今までは違う感覚がある。鮮度の良い魚なのに口の中に違和感みたいな風味が残ることが増えた。由々しき事態である。
先日も大好きなはずのカツオの刺身を二切れだけでやめてしまった。大好きなコハダや車海老の握りもビミョーに美味しく感じない。
ソーメンはいつでも美味しく感じるので、単なる夏バテで口の中がヘンテコになっているのだろう。じゃないとヤバい事態である。
ソーメンに限らず、なぜか「ベシャメル系」「クリームソース系」は以前にも増して美味しく感じる。
最近はウーバーイーツで頼むのもソッチ系が増えた。お子ちゃま的な味覚になってきたのだろうか。
この画像は丸ビルに入っているグリル満天星で食べた一品である。白ワインとともに味わった。素直に美味しかった。ホッピー&もつ焼きに比べるとホッとする味だった。
いま私の煩悩は「ウマいドリアが食べたい」という一点である。それも子供の頃に母親が作ってくれた「実家ドリア」である。
もう45年ぐらい前の話である。今ほどドリアがポピュラーじゃなかった時代だ。そんな頃に家でドリアを作ってくれたのだから、我が母親はハイカラだったのだろう。
とはいえ、正式な、というか本格的なドリアとは異質だった。ヘタすればバターライスではなく、使っていたのはほぼ普通の白飯だったかもしれない。
ホワイトソースもちゃんとした洋食屋さんのベシャメルソースではない。昭和の家庭ならではのホワイトソースだ。チーズもおそらく安っぽいテキトーなヤツである。
具材は鶏肉かエビ、あとはタマネギぐらいだった。決して凝った料理ではないし、ササッとオーブンに入れてそれっぽく出来上がるシロモノだった。でも、これがめっぽうウマかった。
マカロニグラタンもよく作ってもらったが、茹ですぎのマカロニが定番の時代だから、コメを使ったドリアのほうが私の好みだった。
出来たてを食べたくても猫舌だったから、冷凍庫に5分ぐらい入れて冷ましていた。邪道の極みである。でも、冷めかけたドリアをガッツガツむさぼるのが最高だった。
オジサマになった今も洋食屋さんに行くとドリアやグラタンには目がない。熱々をヒーフー言いながら食べるのだが、どうしたって「実家ドリア」にはかなわない。
いや、普通に考えれば洋食屋の名店のほうが美味しいに決まっている。あくまで私自身の記憶の中にある実家ドリアが原点だからこその錯覚だろう。
錯覚だとしてもやっぱりアノ味に勝るものはない。今はもう出会えない懐かしのオフクロの味である。思い出すと涙がこぼれそうになる。
いにしえの実家ドリアをここまでベタ褒めすれば、我が母親もきっと浮かばれるはずだ。
いや、母親はまだバリバリ元気に暮らしている。そのうち実家に行った時にでも作ってもらおう。
2 件のコメント:
一応検査を受けた方がよろしいのでは?
色々活動されてるようですし。
コメントありがとうございます。
はい、異常なようでしたらきちんと調べてみます!
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