2020年8月31日月曜日

蝉時雨が聞きたくて

なんだか古いフォークソングのタイトルみたいだが、蝉時雨が聞きたくて散歩することがある。

 

今の季節、暑すぎて夕方しか散歩できないが、私が目指す散歩コースは決まって緑の多い場所だ。

 

わが家のそばの隅田川には川沿いに広範囲に歩道が整備されている。散歩には最適なのだが、ビル群が集まっているエリアだと蝉の鳴き声は聞こえない。

 



 

遊歩道沿いに公園があるような場所を中心に歩く。蝉時雨がちょっと離れた距離で聞こえるのもオツなものだ。

 

 

昔から蝉の鳴き声は好きだったのだが、ここ数年、加速度的にあの切なげな鳴き声に惹かれる。ヒグラシの淋しげな響きにはいつもキュンとする。

 

ヒグラシは別格として、今やミンミン、ジージー系のうるさいセミの声すら私の心を和らげてくれる。

 

アッという間に8月も終わりだ。蝉時雨を浴びられる時間もあと少しだろう。桜と並んで蝉の鳴き声は季節の移り変わりを実感する風物詩だ。

 

森山直太朗の「夏の終わり」という名曲をご存じだろうか。この季節になると決まって聴きたくなる。

 

夕暮れ、蝉の声を聴きながらこの曲のサビばかり口ずさみながら歩く。何だかとてもいい気持ちになる。

 

森の中でも公園の中でもそうだが、蝉の声の響きは直線的ではなく、聴いている者を包み込むように響く。サラウンドである。

 

目を閉じてしばし佇めば時間が一気に止まったかのような錯覚を味わえる。大袈裟に言えば、幽玄の世界に身をあそばせる感覚になる。

 



 

若い頃や子供の頃を思い出す時は、たいていは夏の記憶が多い。人によって違うかも知れないが、私の場合は断然夏の記憶が鮮烈だ。

 

そこに付きものなのが蝉時雨だ。蝉時雨とは無関係だったはずの街中や海での思い出でさえ蝉時雨がセットで頭の中に浮かぶ。

 

「願わくは 花の下にて 春死なん」。有名な西行法師の歌だ。どうせ死ぬなら穏やかな春の風に舞い散る桜の中で死にたいというニュアンスだ。

 

漂白の歌人と呼ばれた西行さんの気持ちもよく分かる。桜吹雪を見ていたら穏やかな気持ちであの世に行けそうだ。

 

それと同じぐらい穏やかにオサラバ出来そうなのが、ヒグラシの音色だと思う。

 

晩夏の夕暮れ、風鈴の音と蝉時雨が響き合うなか、うちわの風に吹かれながら死んでいく。なかなか良いと思う。

 

別に死にたいわけではないが、やはりいつかは死んじゃうのだから、その場面は穏やかでありたい。ヒグラシはちょっと淋しすぎるかもしれないが、喧騒よりはマシだろう。

 



 

先日、山形の庄内地方を旅した際、やたらとゴージャス?な蝉時雨に行く先々で聞き惚れた。

 

庄内出身の藤沢周平の代表作に「蝉時雨」がある。映画やドラマ化もされた名作だ。

 

ストーリーと蝉はもちろん関係ないが、あの作品に蝉時雨というタイトルを付けたくなった作家の気持ちが分かるぐらい、哀愁タップリの響きが印象的だった。

 

なんだか話にまとまりがなくなってしまった。

 

とりあえず、普段は無意識に聞き流してしまう蝉の声にあえてじっくり耳を傾けてみるのもオツなものです。

 

公園の木々の下に腰を下ろし、目をつぶって蝉時雨に包まれれば、想像以上に気持ちよい時間が過ごせます。

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