2008年8月20日水曜日

公正中立

今日は少し重たい話です。

税制が語られる際、お決まりのように出てくる言葉が「公正・中立」というもの。国民から負担をもとめる税の世界に不公平があってはならないという意味で多用されるが、よく考えれば実に曖昧な言葉であり、発想だと思う。

そもそも万人に対して公正中立などということはあり得ない。どの階層の目線で税制を捉えるかで公正中立の概念だって変化する。

所得税の最高税率を適用されている人は、最低税率ですんでいる人をうらやましく思う。同じ種類の税金なのに負担割合が違うのは不公平だと感じる。ごくごく当然の感覚だ。理屈からいってこの違いは公正中立などとは呼べないはずだ。

応能負担の原則とやらのややこしい言葉がある。負担できる能力に応じて同じ種類の税金でも適用される税率に段階を設けるという屁理屈的発想だ。

所得が高くなるにつれて適用税率が上がっていく累進税率という制度のバックボーンにある考えかただ。

税金を多く納める人から見たら単純に不公平なこの制度、はるか昔から営々と当たり前の考え方として税制の考え方を支配している。

「それが当たり前」、「そういうことになっている」という実に曖昧な理念のもと貫かれている。

私は最高税率を適用されるほどリッチマンじゃないし、最低税率を適用されるような貧乏人でもない。でも、高所得者になればなるほど、何の見返りもなしに税負担が増える仕組みには昔から違和感を覚える。

いまやすっかり税制の柱のような存在になった消費税の存在を思うたび、その違和感が間違っていないことを実感する。

高所得者でも低所得者でも税率は均一。それが本当に不公平なら、世界中の税制で中心的存在に位置付けられるこの手の税制をすべて否定することになる。

いま、政治の世界では税制論議が賑やかになってきた。いわゆる上げ潮派VS財政再建派の主導権争いと相まってこの秋以降、より活発な税制議論が展開される。

閉塞感の打開、近未来における国の在り方などを踏まえて展開される税制論議だが、いまこそ「公正中立」の考え方を見なすべきだろう。

どこの階層の立ち位置で公正中立を判断するか。答えは単純だ。経済の活性化を狙うなら、当然、高所得者層の公正中立感を満足させるような方向に舵を取らなければ意味がない。

低所得者層が喜ぶ制度をあれこれ作ったところで景気を浮上させる効果などない。

「金持ち優遇税制」というフレーズは日本の税制史上、悪とみなされてきた。この呪縛から脱却しない限り、経済を刺激する大胆な税制改革など不可能。

大衆迎合しか頭にない一般メディアが目の仇にしてきた「金持ち優遇税制」という路線。今後はこの“かつてのタブー”を声高に推進するよう主張するメディアが重要になる。

今年創刊60周年を迎えた『納税通信』は、経営者目線で税制動向を注視する独自のスタンスを維持している。金持ち優遇税制の推進などというと一昔前はそれこそ異端視もされたが、昨今では風も変わってきている。

この国の借金まみれの現状は、金持ち冷遇政策のツケであることに気付く人も増えてきた。努力して稼いだ人の立ち位置を尊重し、その目線にあった公正中立な税制が求められている。『納税通信』では、今後もこうしたスタンスで税制動向をウォッチしていきたい。

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