ここで取り上げるのは何度目になるだろうか。銀座の「鮨・池澤」。職場が近くだったらもっと頻繁にお邪魔するところだが、いつも結構な間隔があいてしまう。
不義理というか、たまにしか行かないくせにアーだのコーだの言っては申し訳ないが、快適なお店だ。雑居ビル2階に隠れ家のように佇む風情が良い。別に隠れてるつもりはないのだろうが、ちょっとしたお籠もり感が味わえる。
物凄く種類を揃えているわけではないが、季節の旨いものがちゃんと用意されている。アルコールも結構な選択肢があるので問題なし。
旬の刺身とともに私が前菜のように注文するのが毛ガニ。半身にカットされた大ぶりの毛ガニの甲羅の中に丁寧に殻から外されたカニ身がぎっしり詰っている。一見、ちょろっとした分量かと思いきや、ぎっしり詰っているおかげで、せこい私がチビチビ食べても、いつまでも無くならない。
ギュウギュウとサンドイッチされたカニ身の下の方には毛ガニの醍醐味であるカニミソもちゃんと鎮座している。嬉しい。
以前、このブログで激賞した自家製塩辛がこの日も登場。甘いんだかしょっぱいのか分からない今どきの中途半端な塩辛と違い、一口噛めば、正統派の旨味が口に広がる。こればかりは、文章で表現しにくい美味しさだ。
上質な刺身、カニミソ、塩辛、そしてカラスミなんかも加われば、熱めにつけてもらった燗酒が加勢して、私はただハッピーになる。
毎度のことながら、握りをもらう頃には酔っぱらいの完成だ。2~3日もすると何を注文したのか忘れてしまう。
奇をてらったもの、マズイもの、変なものなら記憶に残る。忘れてしまうということは、ある意味、極めて真っ当で正統な寿司を味わった証拠なんだと思う。これって、変な居直りだろうか・・・。
忘れてしまう程度なら大して旨くないという理屈もあろうが、少なくとも私の場合、それ相応の寿司好きオヤジである。自分なりに寿司の旨いマズイには正確に反応する。だから、私が忘れたということは、私にとっては、満足の味だったということ。
きっと、酩酊中の私はこういう屁理屈を言いながら呑んでいるような気がする・・。
この日撮ってみた携帯画像に写っていたから間違いなく穴子は握ってもらった。見るからに旨そうだが、旨いからこそ旨そうに写るものだ。
それ以外に記憶しているのは、スーパーカッパ。かっぱ巻にあり得ないほどのゴマを入れてもらって、食感がモゴモゴするほど大量のゴマをキュウリとともに味わう。締めの一品に注文したくなる巻物だ。
さてさて、それだけのはずがない。もっとアレコレ食べたはずだが、何してたんだろう。
脳が退化を始めているのかも知れない。
2009年2月19日木曜日
鮨 池澤
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2 件のコメント:
この穴子は見るからに旨そうですね!
脳の退化といえば、私も40歳になったぐらいから、ぱっと思い出せないことが増えてきました。
「えーっと、あれ、あれ」って感じで(汗
数時間後とかに、普通に思い出したりするんですけど(w
凡人が中年になると、脳みそのキャパシティがいっぱいいっぱいになるのでしょうね。。。
先日も、とある女性を某飲食店にお連れし、ひとしきり店の特徴なんかを説明していたら「半年前にも連れてきてもらったわよ」と言われました。まったく覚えていませんでした・・。
そんな日々です。
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