「秋の日はつるべ落とし」。
あっという間に日が暮れる夕暮れの短さを表わす言葉だ。秋の一日というより、秋そのものがあっという間に終わっちゃうような印象がある。
夏とか冬は、いつまでも夏や冬のままのイメージがある。春と秋はさっさと終わってしまう感覚だ。不思議だ。
イヤなことばかり記憶に残り、良いことは忘れてしまう身勝手な習性がそんな感覚につながるのだろうか。
秋がもうすぐ終わってしまう。寒い気配がひたひたと忍び寄ってきている感じだ。恐い恐い。
それよりも、今年一年が、もう12分の10も済んでしまったことに愕然とする。ついこの間、紅白を見ながらしみじみしていたはずなのに不思議だ。
年齢とともに時間の経過を早く感じるのは脳の造りに原因があるらしい。この感じだと、間違いなく、死ぬ時には「人生なんて一瞬だったね」とか言いそうな気がする。
話がそれた。冬がやってくる話だ。
冬の到来には寒さのせいで「恐い」イメージがある。だいたい「冬将軍」という言葉があるぐらいだ。他の季節にそんな大袈裟な言い回しは無い。
軍曹とか大佐でも恐そうなのに、よりによって将軍だ。問答無用でやられちゃいそうだ。顔を想像するだけで冷酷そうな表情が浮かぶ。
というわけで、将軍を相手に何とか渡り合うために、今年もコートを仕立屋さんに注文してみた。
話に脈略がなくてスイマセン。
昨年、カシミア生地では普通は作らないトレンチコートをオーダーしたのだが、それに味をしめて、もう1着作ることにした。
正確に言うと、昨年作ったコートが気に入ったので、そればかり着ると傷むから、予備の役割でもう1着作ることにした。どうもお金がかかって仕方がない。
昨年は黒に近いチャコールグレーの生地だったが、今回はこげ茶にしてみた。チェスターにしようと思っていたのだが、襟を立てたくなるので、アルスターコートにした。
昨年同様、しっかりとロング丈だ。膝下20センチぐらいだろうか。今時のコートはみんな寸足らずみたいな長さでお尻が寒そうだから、あえてアマノジャッキーに徹してみる。階段で突っかかりそうになる程度の長さだ。
せっかくのオーダーだから裏地を遊んでみようと、金色とオレンジが混ざったような変なテカッった素材にしてみた。「派手ですよ・・・」という仕立屋さんの囁きは聞かなかったことにする。11月末には出来てくるだろう。
さてさて、寒い季節といえば、いつの間にか、冷え性になってしまったことが私にとってトピックのひとつだ。妙に冷えやすくなった。
若い頃はいつでも身体がポカポカしていた。それこそ冬といえばベッドで女性から足先を押しつけられたような記憶?があるが、最近は逆だったりする・・・。
厚手の靴下やスリッパも昔は縁がなかったが、最近は必需品だ。寒さが厳しくなるころには肌着も完璧なオッサン仕様を選ぶようになった。
長袖の肌着なんて自分の人生にはあり得ないと思っていたのだが、変われば変わるものだ。一度、自分の美意識というか、伊達っぷりを緩めると、とことん坂を転げ落ちるようになる。
今年あたり、キチンと仕切り直してみようか。
気取ったり、突っ張ったり、やせ我慢してこそ、男の様相は磨かれる。こればかりは年齢に関係なく、男である以上、心掛けたい姿勢だ。
アンチエイジングという言葉が昔から嫌いだ。妙に若作りして自ら広告とかに嬉しそうに登場する美容業界なんかの経営者の姿を見ると痛い感じがして目を背けたくなる。
アンチではなく、ウィズエイジングという考え方があるそうだが、それで充分だろう。私の髪も白髪が増殖中だが、キリがないから放っておく。アゴ髭なんか真っ白に近づいているが、それはそれで良いと勝手に思っている。
下半身方面で残念ながらチラホラ発見される白い毛は、面倒だが、さすがに退治している。そっちだけは「アンチエイジング頑張る」って感じで現役生活を続けなければいけない。しょうもない話でスイマセン。
今日のタイトルではないが、現時点の年齢を人生における実りの秋と捉えるか、後半戦、すなわり冬枯れと捉えるか、考え方ひとつで随分と変わってくる。
「冬がすぐそこ」、「秋はまだまだこれから」。同じ時間の在りようを語っても随分と印象は変わる。後者のほうがいい。
実りの秋をだらだらと続けたほうが楽しいに決まってるから、そうすることにする。
今日は、冬が近づいたから珍味の話を書くつもりだった。アンキモや白子が出回り始めて尿酸値が心配だという話でまとめようと思ったが、すっかり話の方向性がズレてしまった。
ボケちゃったんだろうか。
2011年10月26日水曜日
冬がやってくる
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