♪何にも知らない~
子どもに戻って~
やり直したい夜もたまにあるけど~♪
最近よくこのフレーズが頭をよぎる。つくづく幼かった頃の無知の強さというか無邪気な幸せを懐かしく思う。
そう思うこと自体が老化の極みみたいだからやめよう。
身に付けるものの話を書くつもりだった。
子どもの頃は何を着ようがお構いなしだったのだから、あんな平和なことはない。いい年した大人になるとそうはいかない。
20代の頃、着るものにこだわりはじめた。ご多分に漏れずブランドものにも結構手を出した。
30代になって、そんな自分がふと気持ち悪くなって、あえて安物を喜んで着込んだりした。
男は中味で勝負だぜ、とか言いながら、気付いたら40代、あんまり粗末な身なりだと、世間から粗末に扱れかねないことに気付いた。
で、ここ数年はそこそこちゃんとするように意識している。
そうは言っても一点豪華主義みたいに靴ばかり気にしているから中途半端なことも確かだ。
でも、不思議なもので、高級時計店とかその手の店にはいると、店員さんが何気なくこっちの足元を見ていることが多いので、やはり靴には神経を使いたい。
男の制服といえばスーツだが、最近は面倒なのでオーダー専門にしている。一昔前は高価なイメージがあったが、今ではデパートでそれなりの吊しのスーツを買う値段で作ることが出来るから好都合だ。
私の場合、どうも肩の位置が変みたいで、既製の上着だと肩から背中、首の後ろのラインが何となく収まりが悪いことが多い。
体系に合わせて作ってしまえば問題ない。袖ボタン周りで遊んでみたり、裏地をちょっとふざけてみたり、一見変り映えのないスーツでも、少しは面白がることができる。
そうは言っても、普通は4つか5つの上着の袖ボタンを8個付けてみたいとか、ボタンホールの糸の色を全部変えてみたいとか、アホのような冒険?はテーラーのオジさんに制止されていることもあって実現していない。
コンサバ路線で少し欲求不満だ。
ワイシャツはそれこそオーダーに限る。私の場合、首も太め、腕も長めだから既製品がなかなか合わない。
たまに合ったものが見つかっても首と腕の長さの両方を満たすと全体がだぶだぶ。腕を水平に広げたら、二の腕から脇腹にかけてのラインがジュディオングの衣装みたいになるので始末が悪い。
ワイシャツは元来、下着的な役割だ。下着がダボダボなのはどう転んでもセクシー?ではない。普通体系以外の男性ならオーダーワイシャツにすべきだと思う。
スーツやワイシャツだけでなく、コートも去年、はじめてオーダーしてみた。清水の舞台から飛び降りて選んだ生地だったので十二分に満足できる仕上がりになった。
調子に乗って、今年も別な生地で新しいコートを作ったのだが、普段のコンサバ志向の反動で裏地をガンバってしまった。
初めに選んだのは蛍光オレンジだったのだが、テーラーが仕入れた生地の現物を見て愕然。あり得ないほど派手で品がないから、さすがにキャンセルした。
やはり小さいサイズの生地見本で選ぶとあとあとビックリすることは珍しくない。
改めて選んだのは、黄色で光沢がある生地。最初のオレンジが気が狂ったような感じだったので、随分おとなしく見えた。
そして完成。思っていた以上に派手だ。細かな柄が入っているのは知っていたが、大きくなったらトラ柄に見えなくもない。
カタギにしては冒険だ。まあ、前ボタンを止めずに歩いた時にヒラヒラ見える程度だから、こういう遊びはアリだろう。
オーダーで作る以上、「そこらへんで売ってなさそう」というのがひとつのポイントとも言える。だから昨年のコートも今年のコートも妙に丈を長くした。
イマドキの短めのコートが好きではないので、誰が何と言おうが、超ロングだ。階段で少し難儀するぐらいでちょうど良い。
アレコレと書いては見たが、人様から見て不格好に見えたり、トンチンカンに見えることもあるだろう。
そんなことを気にするようでは、毎日、濃紺のスーツに平凡なレジメンタルのタイをするしかない。ブロイラーみたいだからイヤだ。
少しぐらいの脱線は承知の上だ。
時たま、突き抜けたファッションセンスのお年寄りを目撃することがある。オシャレしていることは間違いないのだが、凄まじい色の組み合わせだったりする。
ただ、お年寄りの場合、ナゼかそれが板についているというか、一線を越えてしまった余裕みたいな空気ですべてを丸く収めている。
そういう域に達してみたい。「志茂田景樹」みたいな域に達したらきっと心が解放されるのだろう。
2012年1月30日月曜日
身に付けるもの
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