健啖家だの大食漢などと言われる人の多くが、若い頃、満足に食べたいモノが食べられなかったトラウマで、食に執着を持つようになったという話を聞く。
そう考えると私は何が原因でバカバカと食べたいものを摂取したがるのだろう。
飽食の時代に生まれ育ち、好きなものをさんざん食べまくった有難い環境で過ごしてきたのだから、もう少し上品に食事と向かい合っても良さそうなものだが、どうにもスマートではない。
いったん燃え上がると、腹八分目で済ませることが出来ない。腹十二分目ぐらいになる。
胃が大きいだけでなく、食道が広いから、よく噛まずに早食いしてもつかえることはない。満腹中枢が脳に指令を送る前に許容量以上をかっ込んでしまうことが多い。
ということは、体質のせいだろうか。
いや、単に意地汚いのだろう。「食い意地」という表現があるが、そんな感じ。
ウナギが食べたくなったら、店で一番デカいのを頼みたくなるし、メニューのうち2種類で悩めば結局両方オーダーしてしまう。
回転寿司に行けば、変なネタがいっぱいあって楽しいからアレコレ食べたくなって秘技を繰り出す。寿司をつまんで口に入れる際に瞬時にシャリの多くをむしりとる。コッソリよけたシャリだけで、どんぶり飯ぐらいには軽くなるほどだ。
お惣菜パンを買う時も、いろんな種類を食べたいから買いすぎる。おまけにパンの部分は半分以上残しちゃったりする。
ろくでもない行為だと自覚しているのだが、どうでもいいコッペパンの部分で満腹になったらタマンねえやとばかりに罰当たりなことをしてしまう。
以前、これはダイエットのためだから、泣く泣く実行したことなのだが、出前のピザを注文して、生地をすべて残して具材だけ食べていたことがある。
パイ生地の上だけフォークではぎ取って食べるわけだが、ダイエットといいながら、ワンサカ食べられた気がしてチョット癖になってしまった。
マックのなんとかバーガーとかも、ついついパンだけ残して食べたりするから、結局、三つ、四つと注文するアホバカになってしまう。
こればかりは真剣に反省しないとなるまい。
先日、神楽坂ですこぶる美味しいトンカツ屋さんを見つけた。「あげづき」という名の店。価格も常識的で、肉質も衣も揚げ加減もバッチリだ。
サイドメニューがあまり多くないから、ポテトサラダとかクリームチーズの料理をつまんでハイボールをグビリ。
メインのヒレカツ定食以外にもエビフライをオーダー。運動選手じゃあるまいし、充分な喰いっぷりだ。それで満足しないといけないのにトンカツのウマさに感激して、ロースカツを単品で追加注文してしまった。
よく考えれば分かることなのだが、ウマいと感激して、もう一品追加すれば、当然、出てくるまでには時間がかかる、アツアツが運ばれてくる頃には、しっかり満腹に近づいている。
でも食べる。食べてしまう。そして膨満感が数時間続く。最近は私が出没する場所には太田胃散をキープするようになったぐらいだ。
中毒みたいだ。分かっているのにやめられない。食べ物に恨みのある地縛霊でも憑依しているのだろうか。
別な日、今度は中華をドカ食い。神保町にある「全家福」。何を頼んでも安定してウマい店だ。
この日はガッツリいきたい気分だったのでチャーシューや蒸し鶏、クラゲなどの前菜盛り合わせ、麻婆豆腐、エビチリ、鶏の揚げ物、黒酢の酢豚をオーダー。
こちらの素晴らしい点は、余計なモノを入れていない料理が多いことだ。写真の黒酢の酢豚もそのひとつ。タマネギもニンジンも椎茸もなんにもない。豚だけ。実に潔い。
エビチリなどのエビ系も余計な具と混ぜ合わせずに主役のみが一人芝居をしている感じ。宗教上の理由で野菜を遠慮したい私にとっては天国みたいな話だ。
この日は、腹に溜まる料理ばかりだったのだが、ナントカのひとつ覚えで、チャーハンも頼んでしまう。まあ、ここまではありがちだが、同行者がいらないと言ってるのに五目焼きそばまでオーダーしてしまう。
チャーハンも半分食べて、おまけに焼きそばだ。事前に拒否していた強みで同行者は焼きそばに見向きもしない。
でもウマいから完食してしまった。
そして数時間膨満感との闘い。
本気で自分の学習能力の乏しさが情けなくなる。
ちなみに、誰かと一緒に食事をする場合、ついつい多めにオーダーしてしまう。料理が足りないという状態は、いい年した男が主催する食事の場では恥ずかしいことだと思うから仕方がない。
韓国人のもてなしみたいな話だ。まあ、そんなカッコつけたことを言ってはいるが、実際は私の食い意地が原因だろう。
テーブルの上にアレコレ並んでいると素直に嬉しい。
ただし、世の中には私より少食の人の方が圧倒的に多い。必然的に食べきれない分は私が食べてしまう。その瞬間を待っていたりするから情けない。
酷使され続けている胃腸、食道方面の反乱がいつ勃発するのか気になっている。
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