長く生きていても意外に知らないことは多い。いきなりだが、私の大好物である「コメ」について大いなる誤解をしていたことが分かった。
炭水化物の王者であるコメ。タンスイカブラーである私としては人生で最も愛している食べ物だが、無意識のうちに「太る」という言葉とセットで捉えていた。
白米は炭水化物75%、水分15%、タンパク質5%で構成され、脂質は含んでいないそうだ。
肥満の原因は脂質である。言ってみれば米と一緒に食べる脂質を多く含むイマドキのおかずが問題であって、コメは悪者ではないらしい。
事実、コメを抜いておかずだけ食べていると、脂質の割合だけが高まり、太りやすい体質になるのだとか。
フムフムである。
江戸時代の男性は、1日5合のコメを食べたそうだ。結構な量である。それでもデブチンの割合は現代社会のほうがはるかに多い。すなわち、コメだけをワッセワッセと食べている方が太らないという理屈だ。
酔っ払った夜中にラーメンを食べるのではなく、漬け物でお茶漬けってパターンのほうがまだマシみたいだ。
コメの美味しさって一体何なんだろう。うまく言い表せないが、食感、香り、微妙な甘味と旨み。タマらんちんである。
どんなにウマいおかずが用意されていても、おいしい白米がなければ「食事」として成立しない。コメがなければ単なるツマミかおやつでしかない。
極上の生卵があったとする。醤油をチョロっと垂らして、箸で勢いよくかきまわす。そのまま飲んだって構わないが、炊きたてホカホカのコメがあればこそ至高の一品が完成する。
TKGである。日本人がたどりついた幸福の絶頂が「生卵かけ御飯」だと思う。単なる生卵が一瞬にしてウルトラスーパーエクセレントエロティック・フードに変身する。
いきなりだが、俳優の原田龍二である。なぜだか私は昔から彼が好きで、どうでもいい2時間ドラマでも彼が出ているとついつい見てしまう。
男に趣味はないのだが、原田龍二を見ていると不思議と心が落ち着く。長い間、「なぜ原田龍二なのか?」と悩んでいたのだが、先日、その理由が分かった。
彼は「コメ好き男」なんだそうだ。
某日、三波豊和と一緒に東北方面を旅するシュールな?番組に原田龍二が出ていた。いつものように何となくチャンネルを回せずにいたのだが、龍二がやたらと「自分はコメ好き」であることを主張している。
彼は田んぼの眺めにも惹かれるらしい。日本の棚田や東南アジアのライステラスもわざわざ見に行くんだとか。
その旅番組の中でも、彼はソバを食いに行く三波豊和と別れて、絶景の棚田を眺めに行く。そして近隣の家にそこで採れたコメを食わせてくれと頼み込む。
親切なおばさんが土鍋でコメを炊いてくれる。漬け物だけをおかずに龍二がコメを頬張る。いいぞ!龍二。
そして親切なおばさんは残ったコメを握り飯にして渡してくれる。
帰りのローカルバスの中で、握り飯にかじりつく龍二。実にオットコ前だった。日本人なら「原田龍二」を応援すべきだと強く感じた次第である。
話を戻す。
行儀が悪いようで、ついつい遠慮しがちだが、ウマいものは何でもかんでもコメにぶっかけてしまえばいいと時々思う。
白米だけを口に入れて味わう喜びもオツだが、ドンブリ感覚で混ざりあった味にウットリするのも悪くない。
以前、牛丼の「すき家」が牛丼の上に焼きそばをトッピングするという暴挙、いや、英断を下したことがあったが、あれだって下で控えるコメが主役だからこそ意味がある。
コメを抜いたら、単なる牛肉焼きそばでしかない。
ということで、某日、某所でフカヒレの姿煮を御飯にドカンと載っけて持ってきてもらった。
たまたま、この店の副店長さんが、たまにしか来ない私を覚えていて、上へ下へのオモテナシという名の営業攻勢をバンバンかけてきたので、ついつい「姿煮をメシの上に載っけて持ってきやがれ」と頼んでしまった。
そりゃあウマかった。でも妙に財布が軽くなった。
こちらは卵焼きの握りである。高田馬場・鮨源で私がちょくちょく注文するデザートである。
タマゴのかまぼこバージョンと呼んでいる。卵焼きがかまぼこ板のようなもので、主役はコメ様である。
その昔、タマゴの握りといえば、しっかりシャリもついていた記憶があるが、いつの間にか卵焼きだけを食べるパターンが世の中に広まった。
シャリも一緒にと頼んでも、ほんのチョッピリ鼻くそ程度にしか握ってくれない店が多い。
そんなおかしな風潮に対抗して、シャリをどんどん増やしてもらっていたら、かまぼこバージョンに発展したわけだ。
東京の甘めの味付けの卵焼きと酢飯の酸味が絶妙に混ざり合って実に美味しい。
だいたい寿司屋では、口中いっぱい頬張るようなものを食べる機会がないから、この一品は満足感という意味でもオススメである。
デザートにアイスクリームとかを食べる余裕があるのなら、これをデザートにしたほうが正しいと思う。
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