私にだって麗しき女性をイタリアンやフレンチの洒落た店にエスコートしていた日々もあった。ずいぶん昔の話ではある。考えてみれば、前の世紀の出来事である。
まあいいや。
お寿司屋さんのカウンターでフニャフニャ過ごすのが好きなくせに最近はあまり食べられなくなった。残念なことだ。
でも、酔っ払った深夜に牛丼の特盛りをあっという間に完食する私である。物理的にまだドカ食いが出来る。お寿司屋さんでチョロチョロしか食べないのが不思議である。
ひょっとすると寿司が嫌いなのかもしれない。
若い頃も寿司屋の帰りにフィレオフィッシュを食べる変なクセがあったし、今もツナサラダの軍艦巻きという邪道丸出しの一品が大好物である。
寿司よりも寿司屋の空間にいることが好きなのだろうか。
冒頭の画像は新橋の「糸賀」というお寿司屋さんに連れていってもらった時の1枚。香箱ガニやら珍味を並べてマイぐい呑みで熱燗をチビチビ。至福の時間だった。
SL広場から程近い場所に構えるこの店は、周辺の猥雑な感じとは一味違って適度に凜とした空気が漂う。とはいえ、気さくな大将のおかげで窮屈な雰囲気は無い。初回でも居心地の良い店だった。
ツマミと握りそれぞれにその日のおすすめが書かれた紙が用意されている。客にとって有難い配慮だ。酒飲みにとっても嬉しい一品が揃っているし、頻繁に通いたくなる店だと思う。
問題があるとしたら混雑ぶりだ。遅めの時間なら空いていると聞いたので、後日、9時半ごろふらっと立ち寄ってみたが、席が空く気配なし。
その後、今度は2日後の予約をしようと電話したものの満席とのこと。良い店の証拠だろうが、気ままにふらっと行っても入れる可能性が低いのが残念。
話は変わる。毎週のように行く高田馬場「鮨源」で摩訶不思議な一品を食べた。以前、隣に座っていたお客さんが注文していたのを見て気になっていたヘンテコシリーズである。
「いくらの裏ごし」である。生イクラのエキスだけで一種の生卵かけご飯にしてしまうシロモノだ。
裏ごししたイクラにちょろっと醬油を垂らして寿司飯と混ぜて食べてみた。TKGである。素直に美味しい。でもイクラの食感をまったく感じない変な寂しさがある。ちょっと面白い経験だった。
お寿司が大好きなら回転寿司にだって行きそうなものだが、まったく行く機会はない。一応、小さい子どもを持つ家庭人だった当時は何度も行ったが、子ども抜きで行ったことはない。
やはり寿司が嫌いなのだろうか。
つい先日、銀座にある北海道直送モノがウリのお寿司屋さん「九谷」に出かけた。
同年代オヤジと差しつ差されつの会だったのだが、握りを10貫ほど食べた連れに対して、ツマミ以外に私が食べたのはタラコの握りとウニの手巻きだけだった。
上等な寿司ネタがワンサカ揃っているのに美味しいツマミをあれこれ並べて酒を飲むほうが楽しい。ダメな客であり、無粋な話である。
10月の終わり頃だったか、寿司の人気店だけを毎週紹介しているBSの番組にこの店が取り上げられた。
その番組は、「吉田類」みたいなオジサンが嬉しそうに酒を飲む番組ではなく、店主のオススメの握りを10貫ほど紹介するもの。
いつも気の利いたツマミを出してもらって酔っ払っていた私としては、次に行った時には握りをたくさん食べようと決意?するほどウマそうな寿司が画面一杯に広がっていた。
で、久々に訪ねたのに、私が食べた握りはウニとタラコだけである。実にもったいない話だ。来年あたりは寿司屋における注文の仕方を虚心坦懐に考え直したほうがいいかもしれない。
日頃、私がエラソーに否定している「おまかせ」にして、黙って出されるものを食べるようにすれば握りも10貫以上食べられるはずだ。
そっちのほうがよほど真っ当で粋な客である。
若い頃、お寿司屋さんのカウンターで格好良く過ごせる大人になりたくて、いろんな店で人間観察に励んだ。良い見本、悪い見本それぞれいろいろ見てきた。
カッチョ悪いと思ったのは「分かったような顔でエラそうにウンチクを語るくせに酒ばかり飲んでロクに食べない客」である。
今の私の姿である。ガーン!って感じだ。人様の様子をあれこれ気にする前に、自分をそれなりに律しないとダメみたいだ。
「オレの振りふり見て我が振り直せ」。
来年のスローガンにしようと思う。
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