某日、知り合いに連れて行かれた飲み屋はミニスカ姿の女性しかいない怪しい空間だった。断っておくが、私にとって「怪しい」は「嬉しい」と同義語である場合が多い。
同行者はそんな店でも難しい経済問題を語っていた。野暮である。仕方なく私も難しい顔をしてうなずく。でも頭の中はミニスカである。
ミニスカートの女性が魅力的に見えるのはナゼか。法人税減税の是非を語る同行者のほうを向いているフリして私の視線の先はミニスカである。
「パンチラへの期待」。これこそがミニスカが気になる男の心理だ。脚線美をどうこう言っても男の本音はそこではない。その先である。すなわちパンチラへの憧憬である。
分かりやすい例をあげてみよう。
「菜々緒みたいなスタイルの女性の短パン姿」VS「ちょっとブサイクでスタイルもイマイチの人の怪しげなミニスカ姿」。
9割の男が凝視したくなるのは後者である。短パンではパンチラは発生しない。エスプレッソもカプチーノもコーヒーであるのと同じで、ミニスカとパンチラも同じ穴のムジナである。
よく分からない話になってしまった・・・。
その店で私の前に座った女性から残念な話を聞いた。そこで働く女性は皆さん「見せパン」を着用しているという。
椅子の高さ、目線の位置のせいで前に座る女性の「禁断の三角地帯」が見えやすい。パンチラ天国みたいな世界だったのだが、女性陣もそれを見越して「見られてもいいパンツ」を着用しているわけだ。
「見られてもいいパンツ」って一体何なんだろう。許しがたい!男にとって敵である。見られたくないものを見ちゃった時に喜びを感じるパンチラの絶対的な公式から逸脱している。
「見せパン」の話を聞いてしまったせいで、その店での私の喜びは一気に消滅した。前に座る女性の三角地帯をちらちら見るのが楽しかったのに、二度と見る気が無くなってしまった。
強がりではない。そういうものである。
海で女性の水着を見てもいちいちムホホ~!とはならない。それと同じある。見られても困らない、見られても恥ずかしくないのなら、こっちも「別に」って感じである。
結局、男がパンチラに惹かれるのは、相手の「恥ずかしさ」や「困惑」を見ることに萌えるからなんだろう。
だから、偶然や不意打ち、突発的というアクシデントとしての要素こそが大事になる。いわば「一瞬の輝き」である。
その昔、ランジェリーパブというヘンテコな商売が流行った。魔都・池袋に会社がある関係で何度か出かけた。女性社員にまで連れて行けとせがまれた。
ランジェリーパブはその後、どんどん過激になり、今ではピンサロみたいな方向に変化していった。
ナゼか。
面白くなかったからである。
当時のランジェリーパブは、文字通り下着姿の女性が普通に酒の相手だけをする店で、いわばキャバクラの女性の衣装がキラキラした下着に替わっただけだ。だから女性客だって来ていた。
店に入ってから3分、いや5分は感動する。目に入るのは大勢の下着姿の女性達である。さすがにウホウホ気分になる。
でも、5分もすると目が慣れてしまう。あくびも出てくる。女性にとって下着姿は単なる衣装であり、男性に見られても困らないし恥ずかしいわけでもない。
チラリズムに喜びを感じる男の心理とはまったく噛み合わない形態だ。だからあの頃のような健全?なランジェリーパブは絶滅したのだろう。
ちなみに「チラリズム」という言葉の語源はアノ「浅香光代」なんだとか。ビックリ仰天である。
今ではコワモテの女傑イメージだが、若い頃の剣術芝居の立ち回りの際に、チラチラと太股を見せる姿が大人気となり、新聞記者が「チラリズム」と命名したそうだ。
話がそれた。
男がパンチラを求めるのは、結局、パンツを見たいのではなく、「困惑」「羞恥」を見たいという哲学的かつ変態的欲求が原因である。
見る側、見られる側の双方が「想定外」の状態だからこそ威力を発揮するのである。
その証拠にムフフな場面を終えた後の帰り際にパンツを着用する女性の姿を見てもパンチラを見たときのドッキリ感はない。世の東西を問わずすべての男性が同意するはずである。
それにしても、こんなテーマを延々と熱く語っている私はどこか変なのだろうか。この問題を分析、解明したところで私の未来が開けるわけではない。
まだまだ語り尽くせぬほどパンチラ問題については意見があるが、キリがないからこのあたりで終了する。
結論。パンチラとは、想定外の一瞬の輝きだ。見せパンに惑わされたら負けである。
3 件のコメント:
いつも拝見しております。
この素晴らしい写真はご自身で撮影したものですか?
コメントありがとうございます!
恥ずかしながら自分で撮った画像です。
浅香光代以外。
顔は写さない約束を固く?守っています。
コメントありがとうございます!
恥ずかしながら自分で撮った画像です。
浅香光代以外。
顔は写さない約束を固く?守っています。
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