衝動的にギターを買ってから1年半が過ぎた。ギター教室も通い続けている。亀のようにノロマな歩みだが、さすがに少しは弾けるようになった。
ここからが問題である。
私が目指していたのは「ホロ酔い加減で好きな歌をちょこっと弾きたい」というレベルである。
で、簡単な曲ならとりあえず弾けるようになった。入門者の関門と言われるFコードも鳴る。
言ってみれば「到達」ではなかろうか。喜ばしいことである。バンザイ。
昨夜も酔っぱらいながら「サントワマミー」やら「ルージュの伝言」やらの昭和歌謡から、GLAYの「BELOVED」や斉藤和義の「歩いて帰ろう」などをギター片手に熱唱していた。
凄いことだ。自画自賛である。やはり「到達」である。この1年半、血の滲む思いで(ウソです)頑張った結果である。
「ギター? ええ、弾けますよ。お聴かせしましょうか?」と田村正和ばりの口調で宣言したいところだが、さすがにそんなレベルではない。それ以前にまだまだ大きな関門が待っている。アルペジオなどの指弾きである。
今まで敵前逃亡するかのように指弾きを敬遠してきた。ストロークならあれこれとパターンを変えることも出来るようになったが、ポロリン、ピロリーンと1本ずつ右手の指を動かすのは大変だ。
つくづく1年半前から少しずつ練習しておけば良かったと思う。どう逆立ちしたって私は無器用だ。
靴ひもを結べるようになったのは誰よりも遅いし、今だにネクタイを結ぶ際はいったん口にくわえるという段取りを踏まないと上手くいかない。
そんな私が指を細かく動かして演奏するなんて想像すら出来ない。
「あんな神経質野郎みたいなミミっちいことが出来るかってんだ!コノヤロー」と啖呵を切って(ウソです)指弾きにトライしてこなかったツケだ。
1年半も続けているのに指弾きがちっとも出来ないことは異常である。1年半ゴルフに励んでいるのに毎度空振りするぐらいヘタレた話みたいだ。
すなわち、ちっとも「到達」していないわけだ。困ったものである。
さすがにそろそろ指弾きの世界に集中しないとなるまい。かなり憂鬱である。
この「憂鬱」が怖い。楽しみたくて始めたのに憂鬱を乗り越えないと楽しめない。憂鬱だと感じない精神コントロールの方法は無いものだろうか。
部活でもないし、試験があるわけでもない。衝動的に始めたわけだから憂鬱に負けるとギターをやめちゃいかねない。それが怖い。びびっている。
憂鬱である。
そんな堂々めぐりを書き殴っても仕方がない。音楽つながりで話題を変える。
イマドキの音楽にあまり興味がないのは中高年に共通する特徴である。どうしても自分達が若い時代に馴染んだ曲ばかり聴きたくなる。
私も同じだが、思春期の子供を持つ親だから、親子の会話の中でイマドキの歌を教わる機会もある。
キーキーヒーヒー、首を締め上げられたように歌うようなオネエサンボーカルの歌い方や妙に底の浅い印象の歌詞に苦手意識があるのだが、それはそれ。時にはハマる曲もある。
いくつか紹介してみたい。まずはギターの練習用に聴いているうちに好きになった「ちっぽけな愛のうた」。
佐藤健主演の3年ほど前の映画の劇中歌として腕っこきプロデューサーの亀田誠治が作った曲。
次は森本レオとの関係性が気になる家入レオの曲。恋愛ドラマの主題歌になった「君がくれた夏」がヒットしたが、こっちの曲のほうがギターのストローク練習には都合が良い。
続いてはFlowerの「瞳の奥の銀河」という曲。この人達はEXILEの孫会社のような存在らしい。そのあたりの解説は娘に改めて教わらないと分からない。
プリプリとお尻を振って踊るのが仕事の人達かと思っていたが、この曲はメロディーラインが綺麗でグッときた。
個人的にはこんなシャリシャリした感じではなく、アコースティックなアレンジで聴いてみたい。
もっと言えば曲調に合う声質のボーカルが歌ったら更にグッとくるような気がする。ファンの人、すいません。でもとてもナイスな曲だと思う。
ということで、Flowerの曲に萌える50歳である。今風に表現するなら、ちょっとキモい。
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