夏になると散歩に励みたくなる。春や秋の快適な散歩も良いが、炎天下に汗ダラダラになって歩くのは妙に楽しい。
Mである。ヤラれちゃってる感じがいい。キツい。ゼーゼーする。でも、その後の水風呂の気持ち良さったら何事にも代えられない無上の快感である。
散歩に出かける前に水風呂を用意しておく。水風呂ザッブンのために散歩に出るようなものだ。
歩いている途中にヘタレそうになると、ザッブンの瞬間を思い描いてもう一踏ん張りする気になる。
身体に良いのか悪いのかちっとも分からないが、精神的には間違いなくリフレッシュする。オススメです。いや、あんまりオススメできないか。
歩いているだけでなく、時にはバッティングセンターに寄り道する。週末でも炎天下の真っ昼間にバットを振ってる奇特な人は少ないから順番待ちの心配もない。
1ゲーム250円である。右打席で2ゲーム、左打席で2ゲームの合計4ゲームで100球ぐらいしか打たないが、フルスイングしていれば結構バテる。1000円で大満足だ。
左右の打席に経つのは身体のバランスを考えてのことだ。昔は野球少年だったからどっちでも同じように打てる。最近は視力の関係か利き腕の筋力の関係なのか、左打ちの方が打球が飛ぶ。
散歩する時もそれなりに左右の重量バランスは考える。道路は水掃けの関係上、道の端に行くほど傾斜している。
同じ側だけを歩くと尻の筋肉が変な感じに張ってくることもあるので、道路の左側を10分歩いたら右側に移動して10分歩くといった涙ぐましい?努力をしている。
腰痛持ちの人などにも大事な心掛けだ。
あちこち劣化してくるとそういう小細工も必要だ。そんな気遣いをしながら身体中の老廃物を汗によって流しまくって細胞が生まれ変わることを念じて歩いている。
散歩は妄想である。いきなりだが、妄想しながら歩くのが楽しい。ただ歩くだけならジムのウォーキングマシーンに乗って黙々と頑張ればいいのだが、あれは非常に退屈だ。
古い小さなお寺を見つければ由緒書きを読んで大昔に思いを馳せたり、要塞のような豪邸があれば住人の家族構成を勝手に想像したりする。
崩れ落ちそうなボロアパートの開けっ放しの窓からステテコジジイがチラっと見えれば、我が身の20年後を想像して身震いする。
寿司屋のオヤジが咥え煙草でかったるそうに水打ちしている姿を見れば、オドオドしながら修行していた頃は可愛い少年だったんだろうなと勝手に思い描く。
退屈そうに無言で歩いている中年夫婦を見れば、出会った頃はきっとラブラブだったんだろうと同情もする。
ボケ防止にも妄想は有効かもしれない。結構、脳ミソが動いている実感がある。すれ違う人々は私がその人の人生を勝手に妄想していることなど知るよしもない。
まあ、一種の変質者である。
今の住まいの近くには、小石川植物園や六義園など散歩にもってこいの場所がある。とはいえ、何度も行くと飽きるので、先日はバスに乗って下町方面に足を伸ばし旧古河庭園を覗いてきた。
元々は陸奥宗光の邸宅だったものが、その後は古河財閥の迎賓館として使われていたそうだ。
古い洋館が見下ろす洋風庭園の他に風流な日本庭園もあって、なかなか見応えがある。そんなことより傾斜地を使った造りが特徴なので頑張って散歩するのに最適だ。
その後は近隣の商店街をブラブラ。馴染みのない土地の商店街を散策するのも退屈しない散歩のコツだ。この日は駒込駅の外れの古い商店街を歩いた。
谷中、千駄木、根津あたりの「谷根千」もそうだが、駒込や巣鴨、日暮里あたりも昔ながらの街の気配が残っているのが魅力的だ。
飲食店やスーパーや量販店がチェーン店の攻勢によってどこも似たような店ばかりになってしまった昨今、下町エリアに残るその街独自の空気感は貴重になりつつある。
これからセミの大合唱が本格化する。私が世の中で一番好きな音色である。マンション住まいだから風鈴を遠慮?している私にとって蝉時雨ほど癒やし効果を実感するものはない。
よりゴージャスに?響く蝉時雨を求めてわざわざ汗だくになって歩き続ける――。
やはりMっぽい性分である。
2 件のコメント:
富豪記者殿
妄想しながらの街歩き、小生もまったく同感。これほど楽しい時間つぶしはないですね。周囲がまったく眼中になくなりあれこれ頭の中で高尚なことや助平な想像をしていることもあれば、名建築とかではないけど築30年くらいの普通の住宅をみて、それを建てた時のお父さんやお母さんが家族に込めた夢を想像してみたり、そして一息つけそうなお店を探したり、もう長いことそのような散歩を折に触れ続けていますが未だに飽きません。
道草人生サマ
確かに勝手な妄想をしていると飽きませんよね。
ボケ防止にも効果があると思います!
やはり、ジムで歩くなら散歩ですね。
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