道端でこんな看板を見るとザワザワする。「喫茶店のナポリタン」「ホテルの味のオムライス」。文字が目に入っただけでヨダレが出ちゃう。
喫茶店のナポリタン、喫茶店のタマゴサンド、喫茶店のクリームソーダ等々、昭和の人間としては「喫茶店の~~」と言われるだけで郷愁を感じる。
ベタな食べ物というジャンルにおいて「喫茶店ナポリタン」は象徴的な存在だ。あれは純然たる日本食である。高度成長期の日本食だ。
パスタという呼び方も浸透していなかった時代である。ましてやアルデンテなんて言葉は誰も聞いたことがなかった頃のスターがナポリタンだった。
オジサマになった今も時々、洋食レストランでナポリタンを注文するのだが、たいていはダメだ。理由は「ちゃんとしている」からである。
ちゃんとしていないのが昭和のナポリタンだろう。油っぽかったし、包丁を中途半端に入れるからタマネギが切れずにくっついていたり、麺だっていつ茹でたか分からないようなシロモノだった。
でも妙にウマかった。思い出すだけでウットリする。
こちらはハムカツ。ハムカツも昭和の香りがするベタな食べ物である。居酒屋でメニューにあればつい注文したくなる。
最近は画像のようなダメなハムカツが多い。ダメな理由は「ハムが薄くない」ことである。
ハムカツのハムは主役を気取ってはいけない。あくまでコロモとどっこいどっこいの存在であるべき。昭和の男達はソースをまとったコロモの部分にウキウキした。
ナポリタンがアルデンテになって、ハムカツのハムが厚くなったことは、この国の成熟ぶりを象徴する話だ。まさに昭和は遠くなりにけりって感じだ。
話は変わる。こちらは最近、一部で人気を集めている肉寿司なる食べ物である。これは神楽坂のその名も「肉寿司」という店での一コマ。
生肉がご飯の上に載っていることが古い世代の私には違和感がある。生肉とコメがくっつくことが何となくブキミに思える。
仕方なく、牛タンの茹でたヤツとかモツ煮などをもらってグビグビ飲む。同行者は肉寿司をやたらと気にいってドカドカ食べていた。美味しかったらしい。
世代間ギャップなんだと思う。流通事情が様変わりした今は昔より生肉食いが珍しくない。時々死亡事故も起きたりするが、激安店とかじゃなきゃそんな話も聞かない。
でも、個人的には肉は火を入れてこそウマいと思う。ユッケは好きだが、あれだってしょせんはタレの味を楽しむものだろう。
そんなことばかり言ってると、ますます時代遅れになりそうだ。まあ、世の中には他にウマいものは山ほどあるから、生肉は遠慮しておこう。
こちらはウニの握り。ちょっとズラした感じのウニの握りである。銀座の「さ久ら」で食べた。
赤酢のシャリを炙って焼きおにぎりみたいにして、そこにウニである。香ばしくなったシャリとクリーミーなウニが混ざり合って実にハッピーな一品に変身していた。
こういうズラしかたは大歓迎である。
お次は、やはりお寿司屋さんで食べたもう少しズラしたウマいもの。
ホッキ貝のリゾット風である。ベースが酢飯だからこその独特な風味が抜群だった。目白の「鮨おざき」で作ってもらった。
トリュフまで散らしまくってある。邪道といえば邪道、大邪道である。でも、スンゴく美味しいから大いにアリだろう。
さっき書いた肉寿司も一種の「ズラし」だろう。寿司なんだけど肉だけというパターンが意外性という意味でウケているわけだ。
ちょっとズラしたところに未知の美味しさが隠れている。何だか気取った書きぶりだが、そんな印象を強くする日々である。
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