愛煙家にとってつくづく不便な世の中だ。来年で平成も終わるが、平成の主な出来事のひとつが禁煙ファッショの到来だろう。
私がタバコを吸い始めたのは昭和50年代。まだまだ世の中が牧歌的な頃だった。今の若い人には信じてもらえないが、男性はほぼ100%喫煙者だったように思う。
テレビCMもクルマとタバコばっかりだった。タイムマシンであの頃に行けば、おそらく想像を絶するタバコ天国にワクワクしちゃうはずだ。
今はテレビドラマでも喫煙シーンは皆無だ。昭和の頃はオジサン達は必ずプカプカしていた。「太陽にほえろ」の山さんも長さんもプカプカしていた。
今はどこもかしこも禁煙。もはやそれが当たり前だから仕方ない。毎日毎日、億劫な思いをしながら寒空の下や誰もいない空間でプカプカしている。
こう不便だとタバコをやめる人は加速度的に増えるだろう。気をつけないと周りに誰も愛煙家がいない状況になりそうだ。
筒井康隆の短編「最後の喫煙者」では、国家の弾圧にもメゲずにタバコをやめなかった主人公が、最後は軍から攻撃され、結局は剥製にされて博物館に展示されてしまう。
初めて読んだのは昭和の終わり頃だった。当時はそんな話に爆笑できたが、30年経ったら思った以上に“弾圧”が強まっている。
私もいつかはタバコをやめようと思っている。理由は単純に不便だからである。今はまだ居酒屋あたりでは快適にタバコをプカプカできるから、そのあたりまで規制された時が潮時なんだろう。
ちなみに禁煙治療に健康保険が適用されるようになって10年以上が過ぎた。暴論かも知れないが、いまだにこの取組みに違和感がある。
分かりやすく表現すれば「タバコをやめない人は病人」ということ。喫煙者への冒とく!?である。
「たばこ事業法」という法律がある。第1条には次のように書かれている。「我が国たばこ産業の健全な発展を図り、もつて財政収入の安定的確保及び国民経済の健全な発展に資することを目的とする」。
愛煙家はこの高邁な目的を支えているわけだ。れっきとした法律でこんな勇ましいことをうたっているのに、かたや病人扱いである。
こういうのを論理破たんと言うんじゃなかろうか。
いわば、国策としてせっせとタバコ事業を推進することで病人を次々に作り出して治療には国費を投入するというヘンテコな仕組みだ。
誤解のないように強調するが、問題にしているのは喫煙の是非ではない。財政危機の要因である医療費増大という状況の中で禁煙治療にまで保険適用を認めている現実がトンチンカンだということ。
こう言うと「タバコをやめさせずに病気になる人が増えれば結果的に医療費は増大する」という反論が返ってくる。
屁理屈みたいなものだ。
習慣性のある嗜好品はタバコ以外にもいくらでもある。それらの愛好者をいちいち病人扱いしていたらキリがない。
タバコをやめる際に一番大事なのは「医師」ではなく「意思」である。極めて単純なことだと思う。
今日は嫌煙家の人には不快な話でスイマセン。
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