いっぱしの大人の男ならひとり遊びの達人を目指したいものだ。
孤独と向き合うなどというと大げさだが、いつでもどこでも誰かとつるんでいると五感や感性は劣化する。
子どもの頃は誰もがひとり遊びを楽しむ。プラモデルを作ったり、絵を描いたり、壁に向かってボール投げしたり、深夜放送に夢中になったり、何かしら当てはまることはあるはずだ。
歳を重ねるうちに、群れの中に居場所がないと落ち着かない気持ちになり、気づけば一人では行動できない大人が出来上がる。
一人の時間は、意識しなくても自分と向き合う時間だ。「個」を確立させるためには大事な時間だろう。
孤独を知るなどと言うとカッコつけすぎだが、時には沈思黙考するのも大事だ。そこから生まれるものもある。
ひとり遊びが上手な人間ほど、いざ人と接した時には、空気の読み方や気配りがキチンとできるような気がする。
生涯独身率は上昇、一方で離婚件数も高値安定、おまけに高齢化にともなって伴侶に先立たれる人も増える。今後の社会を生きる上では、一人をいかに楽しめるかがカギになるはずだ。
ファストフードは別として、一人でゆったり食事や酒の場を楽しめない人は多い。慣れてしまえば、あんなに快適な時間はない。苦手意識にとらわれているのはもったいない。
ひとり旅も自分を磨くのには有効だ。アウェーに身を置くことで眠っていた感性が目覚める。
知らない人ばかりの場所で、頼れるのは自分だけだ。自分の無力さを感じるし、逆に自分を褒めたくなるような瞬間もある。
未知の場所で一人過ごしていると、日頃の小さなこだわりや自負みたいなものは通用しないし、自分のリズムで動くこともできない。
その分、素の自分が試されるような感覚になる。カッチョよく言えば「おのれを知る」には絶好の機会ともいえる。
素の自分と向き合うことで、気づくこと、思い出すことはたくさんある。そんな刺激を受けることで一種のデトックスみたいな効果につながる。
何もバックパッカーみたいなひとり旅をする必要はない。優雅に過ごす時間を一人きりで楽しんだっていい。
道端のカフェに陣取って、道行く人をボンヤリ眺めるだけでもいろんな発見があるし刺激も受ける。
海外に限らず、国内だって未知の場所にいること自体が刺激的だ。そこにいる自分は単なるヨソ者でしかない。いわば「何者でもない存在」だ。
そんなポジションに身を置くことで無意識のうちに普段とは違う感覚が湧き出てくる。
若者だったら「自分探し」などという青臭い話になるのだろうが、そこはオトナである。「自分再生」とでも呼ぶのが的確だろう。
さまざまな経験を積んだ中高年といえども、行動パターンは意外に単純だ。いや、中高年だから決まり切った動き方しか出来なくなっている面もある。
変化も刺激もない中でいろんなアンテナが機能しなくなる。錆び付いていくようなものだ。
中高年にはさまざまな経験や積み重ねという財産がある。若い頃とは違う広い視野もある。そうした武器を眠らせてしまうのはもったいない。
生き方を新鮮にするためにも、時には一人になって自分の内面をスッピンにすることは意味がある。
一人でふらっと旅に出ちゃうような大人は魅力的だと思う。
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