相変わらず暑いし、このブログもネタ枯れの傾向にあるので今日は軽い話をする。「チラリズム」の考察である。パンチラ、胸チラなどの「チラ」である。
それにしても「パンチラ」という言葉は「ブラチラ」「胸チラ」といったその他の「チラ」に比べて実に完成度の高い?言葉だと思う。語感の良さが秀逸だ。そのくせ全国民に理解され、かつ男性陣の心を踊らせる魔力を持っているのが凄い。
このブログで10年近く前にパンチラ問題を哲学的に深く高尚?に考察した話を載せたことがある。チラリズムの語源についてもそこに書いたのだが、今は懐かしき浅香光代先生がきっかけになって生まれた造語だという。
戦後間もない頃に流行した女剣劇の立ち回りの際にチラリと見える太もものエロさを見た新聞記者が作った言葉だそうだ。名もなきその記者さんの卓越したセンスに脱帽である。その後にパンツ、パンティーと合体して「パンチラ」に昇華させた人のセンスにも感服である。
Wikipediaでチラリズムを調べてみたら、その定義の大げさな書き方にちょっと感動した。いわく「全裸や性器の露出といった直接的な性的アプローチではなく、時間的もしくは空間的な制約の中で、偶発的に目に入る下着や素肌などが醸し出す淡い色気の方に興奮する性的嗜好を指す」である。
なんともまあ学術的な言い回しである。「パンチラだ!ウェ~い!」などと軽々しく叫んでいる自分を反省したくなる。Wikipediaの解説からすると一種のフェティシズム的な要素であることも分かる。
まあ、興奮をもたらしてくれるなら個人的には何でもアリだが、チラリズムを楽しめるのも洋服を発明してくれた先人のおかげだ。猿やゴリラみたいに生まれたままの姿だったらチラ見せという概念自体が成り立たない。
何が書きたいのだろうか。暑さでおかしくなってきたのかもしれない。
考えてみれば「チラ見せ」は男女関係だけでなくあらゆる分野に存在する。広告の世界はちょっとづつ魅せるティーザーという手法が主流だし、ネットに溢れるリール動画やTikTokなんかもチラ見せコンテンツばかりである。
ちょっとだけ見せられることは人間の欲求をくすぐるのにはド定番な手法というわけである。
女性の目線からでもチラリズムの興奮は存在するらしい。男性のシャツの胸元から見える鎖骨に興奮するという話を実際に聞いたことがある。サッカー選手がゴールを決めた瞬間にユニフォームの上着を脱いで上半身裸になる瞬間に興奮するという女性もいた。世の中の嗜好は実にさまざまだと感じる。
男性の場合、女性からそういう目線で見られているという自覚はない。その時点で既に闘いに向けた準備としてダメである。女性の場合はチラリズムをあざとく“戦術”にするケースは多い。
以前、夜の世界の女性から聞いたのだが、髪をかきあげるついでにワキを見せつける、うなじをあえて見えるような姿勢になる等々、パンチラ作戦や胸チラ作戦だけでなくいろんなパターンで男性をメロメロにするためにチラ見せを利用するそうだ。大したもんだと思う。どんどんやっていただきたい。
私はいわゆるオッパイ星人ではない。お尻派である。夜の世界で胸元を強調された服で接客されれば嬉しそうな顔をするが、ボディコン的衣装のヒップラインのほうが断然ムホムホした気分になる。
その延長で太もものラインに魅せられる。だから短いスカートを着用した女性は大好きだ。隣り合わせに座ってもらうと感謝しかない。
麗しい女性といざ試合に発展した場合、ハダカになってしまえば「チラ」はもうどこにもない。「モロ」になってしまう。それはそれでハッピー満開ではあるが、どことなく寂しさもある。
思えば昔から私は「モロ」になる前段階の「チラ」の時間を不必要に長めにキープするように努めてきたような気がする。これも一種の性癖ってヤツなんだろうか。
今日はヒネりもトンチも結論も教訓も示唆になるような部分もまるで無い話に終始してしまった。暑さのせいということでご容赦願いたい。
まあ、こんな話をダラダラと書いていられることは日々の暮らしが平穏無事な証拠だから良しとしよう。
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