インチキ野郎とイカサマ集団などと書くと随分感情的な言い回しに見えるが、つとめて冷静に的確に表現してもこの言い方が妥当だ。
菅直人首相と民主党のこと。「もうやめる」、「いや辞めるなんて言ってない」等々。先週の内閣不信任決議案をめぐる茶番は、まさに歴史的な愚挙であり、歴史的な国民の愚弄だろう。
ここまでヒドいとは思わなかった。鳩山由紀夫というお人も単なるアホなのか一流の詐欺師なのかサッパリ分からなくなった。ご自身が前言を翻すのを得意とするペテンのくせに菅首相をペテン呼ばわり。喜劇だろう。
結局、記者会見でしつこく聞かれたことで辞めるタイミング、すなわち「原発対応への一定のメド」を「冷温停止になったら」と語ったインチキ首相。少なくとも来年の1月ぐらいまで辞める気なんてサラサラないと白状したわけだ。支持者であろうが無かろうが、国民みんながお口あんぐり状態だった。
もはや首相と表記するのもイヤだ。どう頑張っても「主将」程度だろう。いや、世の中の主将達に失礼だから「インチキ氏」と呼ぼう。
その後、内外からの激しいバッシングを受けて、この週末、ようやく8月ごろの退陣を示唆し始めたが、この節操のなさも気持ち悪いし、8月というメドだって、いつまたホゴにするかわかったものではない。
おまけに週末になって、世論の反発にビビった民主党執行部の面々が、ドサクサで居座りを狙っていたはずのトップの姿勢を打ち消すのに躍起になってアーダノコーダノ屁理屈を並べた。これまた醜悪そのもの。姑息で卑怯でハチャメチャな集団と非難されても仕方あるまい。
インチキ氏のああまでして権力にしがみつく人間性って何なんだろう。醜悪極まりない。
しょせん、無責任に文句ばかり叫ぶ市民運動家であり、しょせん無責任に好き勝手ほざくミニ政党の人間が間違ってあのポストに就いてしまったわけだ。
私自身、民主党有力者から「あれほど人徳がない人も珍しい」などと以前から聞かされてきた。そんな人間が首相にまでなれるのか疑問だったが、これほどのインチキを平然とやってのける特異な性格だから永田町を泳ぎ切ってきたのだろう。
15年ほど前、まだ売り出し中だった菅直人氏に1時間以上インタビューする機会があった。言いたいことを一方的にまくしたて、あまり聞く耳を持たないタイプだったことが印象的だ。
著書の自慢をさんざん聞かされたので一冊もらって帰ろうとしたのだが、定価で買わされた恨み?で批判しているわけではない。でも妙に高い本だった・・。
同じ日本の男として、潔さがまったくない精神構造が信じられない。変な話、インチキ氏の身辺警護はこれからかなりピリピリするはずだ。
議会の手続きをインチキで逃げ切ってしまった以上、インモラルな手法で「攻撃」を考える動きが出てきてもおかしくないと思う。遊説中や移動中に生卵とか腐ったトマトとかが飛んでくるようなシーンが頭に浮かんでしまう。そんなキナ臭い動きが出てきてもおかしくないぐらい怒りを感じている人は多い。
さて、今後の国会展望はまったく読めなくなった。というか、どうにも動かないだろう。懸案事項は全てコトがスピーディーには運ばない。インチキ首相とイカサマ集団の国会運営である以上、それも仕方ない。
わが社の編集幹部に展望を聞いてみたのだが、その中に一つ、ゼヒ見てみたい事態が起こりえる可能性があるという。
参議院では多数を占める野党が問責決議案を提出する。当然可決される。ただし、衆議院の内閣不信任案とは違い、インチキ氏は知らん顔で済ますことが出来る。
ここで、「反菅姿勢」を鮮明に打ち出している西岡参議院議長が大胆な行動に出るという仮説だ。
参議院議長は三権の長であり、参議院に限って言えば絶対の存在であり、色々と権限もある。問責可決で参議院からダメ出しされたインチキ氏に対して「登院停止」を通告。
天下の総理大臣が登院停止だ。参議院の衛視、すなわち制服を着た門番達は議長による登院停止処分を粛々と遂行する。
参議院本会議場に入ろうとするインチキ氏を衛視が制止する。「あんたは入れません。お引き取りを」と押しくらまんじゅうが展開される。
いやあ、ゼヒ見てみたい。そんな醜態をさらす可能性もあるわけだ。まあそこまでの事態は現実的に起こるかどうかは微妙だが、先週の茶番自体が非現実的だったのだから意外に現実になるかもしれない。
そのぐらい異例なことが起きないと、あのひと自身、自分がどれほど嫌われているかが理解できないだろう。
思えば、インチキ氏が男を上げて一気に「有力者」に躍り出るきっかけになった薬害エイズ問題でも、要約すれば大臣として、すなわち国として非を認めて謝ったというだけの話である。悪かったことを悪かったといったわけだから、厳しく言えば当たり前の話。
その後はカイワレを報道陣の前でムシャムシャ食べたぐらいの実績だ。しょせん、その場その場で目立つことだけで、いつのまにか「大物」になったのが真相だろう。
メディアはもちろん、国民もパフォーマンスに新鮮さを感じて、旧来型政治家とは違うという幻想を抱いてしまったことが悲劇の始まりだ。
考えてみれば、思慮深く、節度があって、ぶれない信念を持つ政治家であればパフォーマンスに頼る必要はないわけで、その点だけでも今後の政治家を見る際の反面教師といえる。
私自身、インチキ氏が売り出し中の頃、コラムで「官僚を正す」というニュアンスで「菅直人」を「官を直す人」などと浮かれた表現で記事を書いたことがある。
猛省しようと思う。
2011年6月6日月曜日
インチキ野郎とイカサマ集団
ラベル: 世相
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