スカイツリー狂騒曲がしばらく続きそうだ。よく分からないが、文明が高度化することはめでたいことなんだろう。
それにしても、あの手の新しいモノに一番乗りしたいとか、並んででも見に行きたいという心理が分からない。
私の苦手なことの筆頭が「並ぶこと」である。スカイツリー見たさに何日も前から徹夜で並ぶような人達が宇宙人に思える。
新しい橋が架かった、新しい道路が開通した、新しいショッピングモールが完成したなどというニュースには決まって行列する人々の姿が付きものだ。
趣味なんだろうなあ。人様の趣味をアレコレ言えないが、ああいう人達はきっと物凄く忍耐力があって、気が長い人なんだと思う。
それはそれで尊敬に値する。そんな好奇心旺盛で何事も素直に楽しもうとする姿勢を見習った方が人生は楽しいのかもしれない。
イヤだけど。
千葉にあるディズニーランドも大学生の頃に行ったきりもう四半世紀ご無沙汰だ。きっと死ぬまで行かないと思う。子どもを持つ親としては珍しいらしいが、ダメなものはダメだ。
「30分しか並ばずに済んだ」。こんな日本語が平気で通用する世界だ。意味不明である。30分も並んで遊具に乗るほど私の人生には余裕がない。
タイムイズマネーだ。光陰矢の如しだ。急いては事をし損じるだ。これは違うか。
そのわりにくだらないことで日がな一日過ごすこともあるから、要は単なるワガママなんだろうか。
渋滞がイヤだから、お盆の時期とかゴールデンウイークに車で遠出することはない。昼飯を食べるためだけにそこら辺の店に並ぶことも不可能だ。ラーメンのために人生の貴重な時間を行列作りに費やすことも無理だ。
これってワガママなんだろうか。自分では至極まっとうな普通の考えだと思うが、喜々として行列している人を見るたびに自分が変な生き物なのかと心配になる。
並ぶことと同じで、待つことも得意ではない。
以前、何度か通った銀座のクラブで、いちいちお勘定が運ばれてくるのが遅い店があった。
請求書を送ってもらって帰ることもできたが、その場で清算したい私としてはチェックをお願いしてから待たされる時間がイヤだった。
店側はサービスのつもりだったのか。キチキチセコセコ追い払うようにするより優雅な時間を過ごさせようとでも思ったのだろう。
でも帰ると決めたらすぐ帰りたい。結局、その一点が気に入らなくてその店に足を運ぶことはなくなった。
短気は損気。子供の頃からそう教わっていたが、江戸っ子バリバリの祖父などは、静寂に包まれたフランス料理の高級レストランで、突如大きな声で「遅いぞ!何やってんだ!」と怒鳴り出す人だったから、私の短気など可愛いものだろう。
贅沢でいかんのだが、新幹線に乗る時も近距離だろうと自由席の列に並ぶのがダメで指定を買う。
飛行機に乗るときも搭乗ゲートとか通路で並ぶのがイヤで、いつまでもダラダラしている。最後の乗客になってしまって館内放送で名指しで呼ばれることもしょっちゅうだ。
宝くじだって並んで買うような信心深さはまったくないから、さびれた駅のさびれた窓口で買う。だから当たったためしがない。
そういえば、今度行こうと思っているバリ島に関する話だが、ガルーダインドネシア航空の素晴らしいサービスは私のお気に入りだ。
入国審査官が飛行機に乗りこんでいて、機内でパスポートチェックや入国審査が完了する。空港についても、荷物が出てくるのを待つだけで、さっさと行動できる。
ガルーダは羽田からもバリ直行便を飛ばし始めたが、なぜかこの素敵なサービスは成田発着便に限られている。そのせいで便利な羽田便が就航してもついつい二の足を踏んでいる。
まあ、バリの場合、高級ホテルなんかではホテルスタッフによる優先的な入国手続き代行サービスもあるから、羽田便でもそんな手配をしておけば問題はないのだが。
話を戻す。待たされる話だった。
あまり待たされると、当然機嫌は悪化する。5分ぐらいならまあ仕方がないが、それ以上になるとカチンスイッチが入り始める。
逆に私自身は、一対一の待ち合わせにはキッチリ遅れずに行くタイプではある。
だから自分に甘いわけではない。あくまで私の時間を軽視されたかのような相手のルーズさに腹が立つわけだ。
そうは言っても、凄く会いたい人、大好きな人、とくにそれが異性だったりすると少しばかり事情が異なる。
もちろん、イライラはする。でも待たされる程度にもよるが、待っている時間そのものがちょっと楽しい。
手持ちぶさたな感じがやるせない感じにつながって、わずかな時間が愛おしい時間に思えてくる。
あんな話をしよう。こんなことも聞いてみよう。どんな表情で迎えようか等々、浮ついた気分の中でほんの少し動悸も激しくなったりする。
いい時間だと思う。
かといって、そんな悠長なことを思うのは、せいぜい10分が限界である。理由もなく15分も遅刻されたら、仏頂面に変身する。言葉もイヤミが中心になって、血圧も上昇。その後1時間ぐらいは機嫌を直すのに自分自身で苦労する。
わずか数分が「境目」になるわけだ。実に人間の心理なんて移ろいやすい。僅かな時間の差でいとも簡単に上がったり下がったりする。
私だけだろうか。神経質すぎるのだろうか。もっと大らかになるべきか。いや、やはり約束は約束である。特別な事情もなく、ましてや断りもなく平気で遅れる行為をニコニコ許してはいけないと思う。
そういうキッチリした姿勢がこの国を戦後の焼け野原から復興させ、いっぱしの先進国に押し上げた原動力である。
大げさでスイマセン。
なんだかんだ言っても人生後半戦だ。列に並ばす、待たされることもなく、スムーズに過ごしていければ幸せだ。
2012年5月23日水曜日
苦手なこと
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