かき氷。子供の頃の夏休みを思い出すキーワードだ。
まぶしい日差し、セミの鳴き声、匂い立つ木々の緑。そして、台所から響くガリガリと氷を削る音。
都会育ちの私でも、郷愁をそそるそんな夏の光景を鮮明に覚えている。
赤や緑のシロップを垂らすと頼りなげに壊れて沈む氷。溶けきらないうちにガツガツとスプーンでかっ込む。シロップの色で舌を変色させながら、眉間の奥がツーンと刺激されてたじろぐ。
昭和の子供の夏のあこがれがかき氷だった。
その後、過剰なまでのクーラーの普及によって、昔よりかき氷の権威?は低下したように思う。
夏の節電が世の中の基本になりつつある今、「かき氷復古の大号令」が全国各地に吹き荒れて欲しいものだ。
ということで、スペシャルかき氷を食べた話を書こう。
場所は目白にある老舗和菓子屋「志むら」。1階の店には名物の「九十九餅」を買う人が次々と訪れる。2階、3階の喫茶室が夏のオアシスである。
地元では有名な「志むらのかき氷」。池波正太郎のシンコではないが、私にとってここのかき氷を食べないと夏が来たとは言えない。
生いちご・850円。これがここのかき氷の石原裕次郎的存在だろう。初めて食べる人はまず驚嘆する。
「生」とわざわざネーミングされていることがキモだ。やはり「生」は良い。最高だ。
オッといけない。いちごの話だ。
かき氷でイチゴと言えば、毒々しいまでの赤い着色料シロップが定番である。私自身、そう信じて疑わずに何十年も生きてきた。
この店の場合、シロップではない。わかりやすくいえばジャムみたいなソースみたいな、そんな表現が的確だ。
いちごそのものの立体感も堪能できる。優しい粉雪のような得も言われぬ食感の氷と一緒に味わうと悶絶する。革命的な驚きがある。
家で食べていた素朴なかき氷や、そこらへんの甘味屋がやっつけ仕事で出してくるかき氷とはまるで違う。「こんな世界にまで格差があったのかよ」と変な感慨がある。
850円である。マックのハンバーガーを8人にご馳走する予算があっても、このかき氷は食べられないわけだから驚きである。
なんか最近はこんな例えばかりしている。100円マックに恨みはないのであしからず。
ご近所の人は必ず行くべきであり、遠方の人でもわざわざ食べに行ってもいい逸品だと思う。
この日は、「黒蜜きなこ」も注文した。正直、個人的にはこっちの方がウマかった。一口食べて「こりゃあ、たまらんちん!」と叫んだほどだった。
黒蜜きなこと氷の競演である。正しきニッポンの中高年なら涙を流して喜ぶ味である。
近所の人は何があっても食べるべきだし、例え海外在住の人でも飛行機に乗って食べに来てもいいと思う。
まるで店の回し者のようでシャクだが、アマノジャッキーである私でも斜め目線で寸評できるようなシロモノではない。素直に美味しい。
毎日食べてもいい。
これを書いているだけで、もう食べたくなってきた。わが社からチャリをぶっ飛ばせば5分やそこらで行ける。
行くことにする。
ということで、オチがなくてスイマセン。
かき氷バンザイである。
2 件のコメント:
谷中に素晴らしいかき氷あるらしいですよ。
コメント有り難うございます。
谷中ですか。
散歩に行きたい場所なので調査してみます!
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