2013年12月4日水曜日

福田直樹のカッコ良さ


福田直樹というボクシングカメラマンがいる。先日、WOWOWのドキュメント番組で彼の活躍を見た。

凄いの一言だった。

彼とは幼稚園、小学校から高校まで同じ学校に通った。特に親しい間柄ではなかったが、最近の彼の活躍はよく耳にしていた。

30代半ばで英語もままならない中で渡米し、ボクシングライターの傍ら独学で撮影技術を磨いていったそうだ。

その後、彼は2011、12年と2年連続で全米ボクシング記者協会の最優秀写真賞を受賞する。今や世界的なカメラマンである。

http://naopix.com/Profile.html

ここ数年、日本のメディアでも彼の名前を頻繁に見かけるようになった。WOWOWのドキュメント番組は、“パンチを予見する男”というタイトルで、決定的瞬間をモノにする彼の日常に密着していた。

動画では表現しきれない一瞬を切り取るために多くのカメラマン達がシノギを削る。リングの外でも熾烈な闘いがある。そんななか、大柄な男たちに囲まれながら、小柄な日本人が独特の存在感を見せる。

アメリカ人からすれば、ああいう日本人が「サムライ」を連想させるのではないだろうか。

卓越した撮影技術も凄いが、異国の地に渡って未知の分野に挑んできたタフさは驚異的だ。

想像以上に苦労を重ねたはずだが、番組に密着された彼はそんな様子を微塵も見せずに、あくまで飄々とした受け答えに徹する。

渡米してしばらく経った頃、飲酒運転の車に突っ込まれ、娘さんが危篤に陥る。その後無事に生還するものの、この一件がひとつの転機になったという趣旨のくだりが印象的だった。

自分の勝手な都合でアメリカに来て、家族も巻き込んでいるのだから、生半可な仕事はできないと語る彼の姿は、静かな語り口もあいまって「古き良き日本の男」を思い起こさせる。

旧友という贔屓目を抜きにしても「男のカッコ良さ」を思い知らされた気がした。

真摯に取材に対峙している割には、取材した側が苦労したであろう物静かな受け答え、言葉を飾らない姿。一本の道を真っ直ぐ歩いてきた男の芯のようなものが否応なく視聴者の心に残ったのではないだろうか。

職人の矜持という言い方が的確かどうか分からないが、まさにそんな感じだ。朴訥とした語り口だからこそ滲み出る本物の迫力に、画面を見ながら気持ちよく圧倒された。

中途半端なオッサンは、自分を大きく見せたいあまりに、くだらぬ虚勢を張ったり、言葉を飾ったり、ジタバタすることが多い。

私自身、思い返せばそんなことばかりだ。実にカッコ悪い。旧友のカッコ良さに強烈に刺激を受けた。言い換えれば、カッコ良さの意味を今更ながら教えられた気がする。

もちろん、彼だって、独特の低い声は昔と変わらないものの、フサフサだった髪はすっかり淋しくなり、重い機材を抱えて歩く姿は疲れたオッサンである。

でも、熱い気持ちを抱き続けて最前線で闘っているから真のカッコ良さが漂っている。番組を見た中高年男性すべてが、彼の姿に「正しいカッコ良さ」を感じたはずだ。

随分とホメまくってしまった。でも久々に感動的なドキュメンタリーだったから、勢いのまま書き殴ってしまった。

とりあえず、私も彼を見習って口数を減らすことから始めよう。余計なことを言い過ぎる男はマヌケである。分かっているのだが、ついついサービス精神?で無駄口を叩いてしまう。

福田君のアノ低い声もマネしたいが、あれは天性のものだからさすがに無理だろう。

だいたい、口数だとか低音とかそんなことをマネしようという私のフシダラな感覚が既に失格行為である。ノックアウト負けだ。

冗談はさておき、ここ数年、同級生達のさまざまな分野での活躍を頻繁に見聞きするようになった。

ビジネスの世界だけでなく、学術の分野、地方自治の世界、先端医療の分野、伝統芸能の世界等々、年代的に世の中の中心的位置にいることもあって、まさに百花繚乱である。

テレビや新聞、雑誌などで彼らの活躍ぶりを見かける機会も増えてきた。大いに刺激をもらえるから有り難い限りである。

メディアに取り上げられる面々の多さに驚かされるが、もちろん、それ以外の様々な世界で皆さん個性的に奮闘している。人生いろいろである。この年になれば、それぞれ厄介な荷物を背負いながら闘っているのだろう。

IT分野で活躍している旧友のマメな努力で、同級生メーリングリストはかなりの補足率を保っている。この幹事長的な旧友はIT分野の草分けのような仕事をしているため、同級生たちの活躍をいろいろな形で記録して仲間内に伝達してくれる。おかげで意外な旧友の意外な近況を知ることもある。

先日も別な同級生の講演会情報を知ることができたし、ここに書いたWOWOWのドキュメンタリー番組も本来なら見られないはずだったのだが、彼のおかげで視聴できた。

そういう意味で一番エラいのは著作権法の抜け道に精通して?各種の情報を整理してくれる幹事長役の彼かもしれない。実に有り難い。

さてさて長くなってきたので、まとめに入ろう。

石川啄木の短歌に味わい深い作品がある。


友がみな 我よりえらく見ゆる日よ 
花を買い来て妻としたしむ


コンプレックスがウリ?の啄木の詩である。旧友が偉くなって置いてけぼり気分でイジケていると解釈されることが多い。

一方で、単なるイジケ気分だけではなく、友達の活躍に刺激を受けて自分も頑張るぞ、という意味合いが正しいとする解釈もある。

もちろん、後者の意味で捉えたいと思う。

私の場合、花を買って帰っても、したしむ相手がいないことが問題ではある

まあ、その辺も含めて頑張らなければ。

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