2015年6月15日月曜日

枯れる


言葉の意味は意外に難しいもので、字面のイメージとは趣旨がまるで違うこともある。

「芸が枯れる」。

文字面だけを見ればダメになった意味に取れるが、まったく逆なんだとか。芸が練れて深い味わいが出てきたという最上級の褒め言葉だそうだ。

「枯れる」という言葉に中高年は敏感である。まだまだバリバリ奮闘したい思いがあるから枯れたくない気持ちが強い。

至極ごもっともだが、「枯れる」という言葉がネガティブな意味だけではない以上、建設的な「枯れ方」を考えるのも悪くない。

先日、おそらく再放送だと思うが、深夜にEテレでやっていた花道家・川瀬俊郎さんと「いのちのスープ」で知られる料理研究家・辰巳芳子さんがあれこれ語り合う番組を見た。

老いることの「趣」について含蓄のある言葉をたくさん聞くことが出来て非常に面白かった。

花の世界などまるで知らない私でも川瀬俊郎さんの名前ぐらいは知っている。20年以上前にコーヒーのコマーシャルか何かで知った。

当時は新進気鋭というイメージだったが、もう70歳近い。かたや辰巳芳子さんは90歳である。それこそ「芸が枯れる」という境地を極めているような人だ。


「年を取ることで、『必要なものは最小限である』と分かってきた」。


「若さには力がある。でも力には『我』が出てしまう」


「若い時は力に頼ってしまうが、若い頃はそうせざるをえない自分がいる」


細かい言い回しは別として、おおまかにそんな趣旨の話が飛び交っていた。いちいちフムフムうなずきながら画面を見入った。

私だって老いに対する恐れはある。でも、アンチエイジングや若作りが美徳みたいな昨今の風潮には違和感を覚える。

美魔女なる言葉で若作りした変なオバサンや若く見せることだけを生きがいにしているようなオジサンをもてはやしているテレビ番組なんかも苦手だ。

だいたい、あのてのオバサンやオジサンが喋っているのを聞くと、話し方にしても言葉遣いにしても、年相応の深みみたいなものが感じられない。

若々しくありたいのは真っ当な感覚だが、それだって年相応の若々しさを意識すれば済む話だ。極端に若ぶっている人は例外なく痛々しい。

あまり非難してもキリがないから適当にしよう。

私自身、2つ3つ年齢を若く見られる分にはチョッピリ嬉しい。でも、あまり若く見られる嫌いだ。バカっぽく見えたのかと心配になる。

このあたりは女性とは違う感覚である。いっぱしの大人の男に対して極端に若く見えるなどと言わないほうが無難だと思う。

良かれと思ってのお世辞だったとしても、渋さや貫禄を尊ぶタイプのオジサン達にとっては嬉しくない。

まあ、何だかんだ言って、5歳も10歳も年上に見られるのはもっとイヤだ。オジサマ心もそれなりに複雑である。やはり年相応に見られるのが一番平和である。

生き物の究極の使命は「種の保存」だ。生殖活動に励んで子孫を残すことである。

人間の場合、生まれた子供を育てるのに結構な年月が必要だから、子育てを終えるまでが現役と言える。自然界の生き物という意味では、そこから先は余生だろう。

そう考えると今年で50歳を迎える私も自然界の摂理で言えば余生みたいなものである。

まだ子供が小さいので、一応は現役の資格?はあるが、50歳と言えば四捨五入したら100歳である!?。

「芸が枯れる」と同じく褒め言葉としての「枯れ」を目指さないといけない。円熟味が増し落ち着いて深みのある人物にならないとマズい。

枯れたい!。そんな言い方はケッタイだが、ある意味そういうことである。

ブス専やデブ専など俗っぽく好みを言い表す「〇〇専」という言い回しの一つとして最近では「枯れ専」も定着してきたらしい。

その名の通り、枯れた男性に魅力を感じる女性陣のことである。

初めて聞いた時には「枯れ」という部分が気になったが、「枯れる」の意味にポジティブな要素があると知った以上、「枯れ専ムーブメント」が世界的な潮流になることに期待したい。

まあ、そんなトボけたことばかり書いているようでは格好良く枯れることは難しそうだ。

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