2016年3月23日水曜日

お寿司屋さんで過ごす時間 銀座「よしき」


お寿司屋さんのカウンター。日本人にとっては当たり前の光景だが、これって世界に誇るべき日本の食文化の形だ。

目の前にいる職人さんとやり取りしながらメニューに関係なく好きなものを状況に応じて出してもらう。究極の外食スタイルだと思う。

大食いの人と小食の人が一緒にいてもそれぞれが楽しめる。酒を飲む人と飲まない人が一緒でも成立する。もちろん、一人でポツンと過ごすのもアリだ。

「一人まったりお寿司屋さんで過ごす時間」。私がこよなく愛する時間である。ひょっとしたら趣味と言えるかもしれない。

ゆっくり飲みながら過ごすと1時間半から2時間ぐらいは腰を落ち着ける。昔々、寿司が江戸のファストフードだったことを思うと長っ尻である。

とはいえ、今は江戸時代ではない。まっとうなお寿司屋さんでしっかり飲んで食べればそのぐらいの時間はかかる。極端に長居しなければ野暮というほどでもあるまい。

でも、1時間半ぐらいが頃合いだろうか。2時間は少し野暮ったいだろうか。銀座あたりで綺麗どころの「同伴」に付き合ったり、オッサン同士で難しい話をしながら過ごせば2時間ぐらいになるパターンが多い。

“ひとり寿司”だったら1時間~1時間半ぐらいが無難なところか。なんともよく分からない。

もちろん、時間の長短だけで野暮だのイキだのを論じても仕方がない。食べる量、注文するモノによっても時間のかかり方は変わる。

長っ尻の野暮太郎である私だって、下町の某寿司屋に行く時はいつも1時間ちょっとで終わりにしている。

別にイキを気取っているわけではない。その店に行くのはあまり酒を飲みたくない気分の時なので、ビールの他には熱燗を小さい徳利で2本。食べるのは小鉢のツマミを2つ。刺身をちょこっと。あとは握りを7~8貫で終わりである。

それ以外の店では、もう少しダラダラ飲んでしまうので2時間ほど居座ってしまうことが多い。

先日、ゲスの極みならぬ野暮の極みで、久しぶりに訪ねたお寿司屋さんで4時間もダラダラ過ごしてしまった。反省。

その日、顔を出したのは銀座の「よしき」というお店。実に5年ぶりに出かけてみた。
特別な理由はないのだが、何となく行きそびれたまま行きにくくなっていた。


昨年の後半、何度か覗いたのだが、その都度、満席で断念。この日思い立って電話してみたら運良く空いていたので5年ぶりに訪問。

靴を脱いで上がる掘りごたつ式のカウンターがくつろげる。広くない空間だからこその「おこもり感」が快適だ。

一人で切り盛りしているのは30代後半の大将だ。有難いことに以前からこのブログ
を読んでくれており、おかげで5年の空白があるにもかかわらず色々な話で盛り上がらせてもらった。

お互い5年もあればいろいろある。完熟オジサマである私はともかく、大将は30代だ。30代の5年は何かと面倒で厄介な時期だろう。

で、アーだのコーだの話しながら飲み食い。気付けば4時間である。さすがに長過ぎ。すっかり野暮太郎である。

大将の年齢からすれば円熟という言葉は当てはまらないだろうが、5年の歳月はこの店の味を進化させていた。

もともと美味しいお店だったから再訪したくなったのだが、5年前に比べて洗練度が増したというか、てらいが無くなったというか、うまく表現できないがスッキリした印象があった。

まあ、5年前もそんなに頻繁に食べにいったわけではないのでエラそうに語るのはそれこそ野暮である。でも何となくそんなことを感じた。

日本酒もわんさか用意されていて、ウマい肴もアレコレあるからしっかり飲んですっかり酔ってしまった。

5,6年前に初めてこの店を訪ねた時に印象的だったのが海老の握り。土佐酢で締めた車海老である。一般的な茹で海老とはまるで風味が違う独特の一品だった。

今回、久しぶりの海老の握りを楽しみにしていたわけだが、以前より確実に進化していた。まさにバッチリな塩梅だった。食感、味付け、シャリとの相性すべてのバランスが抜群でおかわりした。

なんだか海老のことしか書いていないが、海老の握りのレベルを思えば他のネタも美味しくないはずがない。

次回はせめて2時間をメドに出かけようと思う。居心地が良いとすぐに長居しちゃうから気をつけないといけない。

そんなことより、行きそびれて5年も経たないように気をつけようと思う。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

あざーす

富豪記者 さんのコメント...

次回もまたヨロシクです!