友がみな われよりえらく見ゆる日よ
花を買ひ来て 妻としたしむ
石川啄木の有名な短歌である。若い頃の啄木がくすぶっている自分の心境を表した歌だ。
若くもないのに最近、つくづくそんな心境になる。友が偉く「見える」わけではなく、実際に偉いから、そんな心境になる。
私の場合、独身貴族だから花に親しむ相手がいないので、くすぶらずにひとり酒を飲むぐらいである。やはり、この歳になると、人の値打ちは結局のところ人間性に尽きるということを痛感する。
啄木が詠んだ「偉い」は若い時代だから、名のある会社で頑張っているとか、稼ぎが良いとか、そういった表面的な要素を指しているのだろう。
私が感じている「偉い」はそういう部分ではない。50歳も超えてくると、社会的地位の面でズンズン偉くなった友人も少なくない。それはそれで素晴らしいが、それよりも高邁な人格というか、心根の部分の高潔さに触れると凡なる自分を反省したくなる。
先月、ここでも書いた俳優の香川照之の話もそうだが(http://fugoh-kisya.blogspot.jp/2016/03/blog-post.html)、先日も、中学高校時代のつながりの有り難さを痛感した。
私の近親者の医療対応でバタバタするなか、とある旧友が実に穏やかに、かつ迅速丁寧にピンチを救ってくれた。
脳外科における先端医療分野で活躍する彼はテレビなどのメディアにも引っ張りだこ。要するに物凄く多忙な男なのだが、常識外れの時間に急に連絡を取った私に快く対応してくれただけでなく、現場に的確に指示を出してくれた。
その後は自ら動いてくれて完璧なケアを施してくれた。まったくもって頭が下がる思いだった。
「凄い先生」という世間の評判をひとつも鼻にかけることもなく、極めて親切に親身に患者の立場に立った目線で対応してくれた。
まごうことなき人格者である。
私自身、かかりつけとして毎月のように彼のところに通いたいものだが、彼の専門分野が高度すぎて非常時ぐらいしかお願いする機会が無さそうなのが残念である。
まあ、非常時なんて無いほうがいいのだが、それでも彼に診てもらいたいと思えるぐらい人間的に尊敬できる人物だと思う。
旧友のつながり。日常の中で意識する機会はないが、これほど得がたいものはない。当たり前だが、どんなに頑張ったって今から作れるものではない。
20代、30代の頃には気付かなかったが、やはり子供時代に付き合いが始まった面々との関係には一種独特の空気感がある。
母校がさほど規模の大きくない一貫の男子校だったせいで、それぞれがそれぞれの道に進んだ後でも「同じ釜のメシ」的な意識が強いのかもしれない。
癒やしだのやすらぎだの、そんな感覚ではないのだが、独特の安心感みたいな関係といったところか。やはり何も利害関係がない幼い頃に知り合ったという一点が大きいのだろう。
私自身、今も付き合いがある大学の友人はほぼ皆無である。旧友といえば、結局は小中高を過ごした母校の面々だ。
20代の頃、何度もバカ騒ぎ旅行に出かけた面々もそうだし、30代の頃に草野球に励んだメンツも、40代で始めたオヤジバンドのメンバーもそうである。
先日、やはり旧友が営む神田の「その田」で「お座敷天ぷらの夕べ」を開催した。そう書くと格調高いが、開始後20分も経ったらただのバカ騒ぎである。
50ヅラの男達が10代の頃と一つも進化していないアホ話を繰り広げるわけだから、ヨソの人が見たら異常な世界かもしれない。
目の前で天ぷらを揚げてくれる旧友は、さすがに真剣に仕事師としての顔を見せる。にもかかわらず、客側に座る我々は真面目に「食」を語ることなど一瞬もなく、延々とバカ話だけに没頭する始末。
いつ包丁が飛んでくるかと内心ビビっていたことはナイショである。
その後、1時間3000円という大のオトナが行ってはいけない?キャバクラに流れ、案の定とっととシッポをまいて退散。そして居酒屋で三次会。
深夜の居酒屋で交わした会話は100%がワイ談。中学生の放課後レベルかそれ以下の内容で、まかり間違っても大人になってから知り合った人とは絶対にしない下品かつ低レベルな話ばかり。
でも、それこそが旧友との付き合いの楽しい部分である。大人になってから親しくなった人とは、エロ話で盛りあがるにしても、どこか大人としてのブレーキがかかる。
言葉の使い方や相手の反応にちょっとは気を遣う。相当親しくなっても、そんな「大人ブレーキ」が働くわけだが、小学校や中学校から気心が知れた関係だと、ノーブレーキだ。アクセルだけである。
ふだんは先生だの社長だの呼ばれている面々が気軽に暴走できるのも同じ場所から巣立った安心感があるからだろう。
50歳にもなれば、それぞれが想像以上に厄介事や葛藤を抱え、世間様の荒波の中で何とか折り合いをつけながら生きている。
そんな日常の合間に、小学校や中学時代の微笑ましくもケッタイでゲスな話を肴に酒を酌み交わす。結構貴重な時間だろう。
20代30代の頃とも違う、おそらく60代70代の頃とも異なる「ユルユルと解放される時間」を味わえるような気がする。
思えば10年ぐらい前のmixiからその後のFacebookといったSNSが活性化したことも旧友とのつながりがうまく保たれている一つの要因だと思う。
それ以外に、我々の場合、やはり小学校から高校まで一緒だったIT関係の仕事に携わっている旧友が、退学や留年した面々まで含めて広範な連絡先付きの同級生メーリングリストを整備してくれたことが大きなポイントだ。
連絡先の整備だけでなく、時々、各界で活躍する旧友の近況などが情報として流れてくる。私の場合、オヤジバンドのライブ告知を案内させてもらうぐらいだが、おかげで、結構な人数の同級生が覗きに来てくれる。実に有難い。
便利な時代に生きていることを実感するが、そうした便利さだって、誰かが頑張ってアレンジなりカスタマイズしなければ狭い世界でのネットワークとしては有効に使えない。
やはり、リスト整備や管理を引き受けてくれている旧友の存在が非常に大きいのだろう。
もう人生後半戦だから、みんながヨレヨレになる前に感謝状を贈呈することを真剣に検討しないとなるまい。
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