2017年6月7日水曜日

カラオケボックスとギター


ホロ酔いで帰宅して、ギターをポロポロ奏でるのが楽しい。マンション暮らしだから、遅い時間だと「音の出ないピック」を使って遊ぶ。

ちゃんとした音が出ない上に酔っているせいで上手に弾けているように感じる。幻聴である。これが楽しい。

3年近く前に突然、神のお告げ?でギターを買って、一応ギター教室にも通った。

やりたくない練習は放棄して、ハマショーを何曲か弾ければいいというノリだったから上達はしていない。

でも、少しは弾ける。飲んで帰ってきたあと、さっさと寝ればいいのに書斎部屋に少し籠もる。5分でも10分でもギターに触れると、なかなか良いクールダウンになる。


つくづく、あの日、神のお告げを真に受けてギターを衝動買いして良かったと思う。人生に少し調味料が加わった感じだ。

日々元気に過ごしているが、どう逆立ちしたって人生後半戦である。暴飲暴食に走ったり、女性の尻を追っかけたり、思い立って旅をしたり、若い頃と同じ“お盛ん”な行動を楽しんでいるが、限界はそう遠くないはずだ。

「老後」という言葉だって確実に自分の身に近づいている。趣味というほどでなくても、自分が面白がれる遊びの素材は多めに用意していた方がいいのだろう。

先日もネットで目についた中高年限定のミュージカル劇団の団員募集という、まるで自分には縁のない広告を熟読してしまった。

その広告を見て一歩踏み出す人は、きっと人生に彩りが加わるんだろうな~などと妙に感慨深く思えた。

シニア世代の時間の使い方や遊び方はこれからのにニッポンにとって大事なテーマであることは間違いない。

まあ、そんな評論家ぶったことを書いてもしょうがない。今後は盆栽に手を出そうか、社交ダンスにチャレンジしようか、はたまた生け花か合唱団なんかも覗いてみようか。

いや、めっきり偏屈になってきたからゲートボールに手を出して地域のお年寄りと知り合いになったほうが孤独死予防に役立つかもしれない。

さて、ギターの話に戻る。

先日、小学校から高校まで同級生だった旧友とカラオケボックスにギターを持ち寄ってダラダラと遊んだ。

30ウン年前の高校生の時に学園祭で即席バンドを組んだ相手である。昨年のオヤジバンドライブでも、私と一緒にビートルズを奏でてくれた男だ。

高校生の頃は、私が作詞して彼が作曲したオリジナル曲も作った。実は最近もオリジナル曲を作って楽しんでいる。

デビューはもちろん、CD化すらされないのにそんな作業に励んでいるのは結構楽しい。

木村拓哉に歌わせたら大ヒットして印税ガッポリとか、こっちの歌は欅坂46に歌わせよう。いや、それだと秋元康に儲けをかっさらわれるなどとロクでもない話でバカ笑いしている。

カラオケボックスに長時間いたのに1曲もカラオケは歌わずに、自分達の若い頃に流行った曲やコテコテの演歌を面白おかしくアレンジして遊ぶ。

銀座あたりのカラオケボックスで深夜にオネエサン相手に奮戦して1曲も歌わないことはあるが、そんなフラチな過ごし方より1億万倍ぐらい健全かつ楽しい時間だ。

カラオケボックスだから食べ物もいろいろあるし、何よりウダウダと酒を飲みながら過ごせる。こういう使い方は大いにアリだろう。

この日のメインテーマは新しいオリジナル曲について。つい最近亡くなった共通の友人を追悼する歌だ。

少し前に歌詞は出来ていたのだが、友人がそれに合わせて魅力的な曲を作ってきてくれた。

暗くなり過ぎないミディアムテンポのメロディーで、ノッペリした私の詩に命が吹き込まれた感じがした。聞かせてもらった途端、恥ずかしながら鳥肌が立った。

この歳になると、日々の暮らしの中で鳥肌が立つ感覚になることなど滅多にない。もちろん、友人には大感謝だが、思いつきでギターを始めたことがそんな体験につながったのなら、私自身の無謀な挑戦も意味があったのだと思う。

「カラオケボックスにギターを持ち込んで遊ぶ」。ちょっとクセになりそうだ。

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