もうすぐクリスマスである。以前に比べて、クリスマスに熱くなっている世間に対してイライラしなくなった。
感度が鈍ったのか、いやいや、進歩である。
クリスマスは自殺者が一番多い日という話がある。西洋社会での話だが、あちらでは家族揃ってホノボノする日だから、家族に捨てられたりして孤独な人にとっては死ぬほどキツいらしい。
私がクリスマスをやたらと毛嫌いしていたのも、独り者の無力さや侘びしさを無意識のうちに感じていたからかもしれない。
もちろん自覚はなかったのだが、イラつく心理の裏には焦燥感というか、嫉妬や憧れみたいな感情が隠れていることもある。
家庭人だった頃は、クリスマスのようなイベントがある日は、騙し騙しとはいえ、それっぽくホノボノと過ごした。
一人で暮らすようになって、うざったいイベントから解放されたことが素直に嬉しかった。強がりではなく本心だ。
とはいえ、1年経ち、2年が過ぎるうちに、うざったいことにも意味や学ぶことがあったことに気付いた。
安易に面倒なことを避けたがる自分の腑抜けた部分を突きつけられたような気がして、ちょっと滅入った。
そんな複雑な気分のせいもあって、クリスマスに浮かれる世間を小憎らしく感じていたのかもしれない。
そんな私も昨年あたりから、以前のようなクリスマスアレルギーが薄らいできた。
どうでもよくなったと言っちゃえばそれまでだが、やはり、現状を肯定する意識が強くなったことが影響していると思う。
今更ながら、あるがまま、ありのままでいることに慣れてきたみたいだ。他の人やヨソの環境を過剰に意識せず、自然体で今を受け入れられている。
これって結構幸せなことだと思う。
もちろん、離れて暮らす子ども達との関係が非常に良い状態にあることも影響しているのだろう。一種の達観みたいな感覚だ。
独りで暮らすようになって6年。ようやく然るべき居場所に到着したような感じだ。ちょっと大げさか。
なんだか話が小難しくなってしまった。
クリスマスの話だった。
ハロウィン、バレンタイン等々、猿マネ的喧騒の最たるものがクリスマスである。私も子どもの頃はワクワクその日を待ち望んでいたのだから、やはり今になってブツクサ言うのはスマートではない。
高校生ぐらいからは「イブの日にデートする相手がいないと負け」というケッタイな呪縛に長年苦しめられてきた。
無理やり好きでもない相手とイブの日を過ごしたこともある。
どこぞのシティホテルをだいぶ前から予約して、せっせと連れていく人を探したこともある。
いま思えば小っ恥ずかしいこともやってきた。
20代の頃、半同棲していた女性を喜ばせようと、部屋中をキンキンキラキラに飾り付け、隠したプレゼントを探してもらうというアホみたいなこともやった。
海外からの仕事帰りだったその人にとってはクソ迷惑な話だったと思う。
高校生の頃は、悪友達とガールフレンドを持ち寄って?原宿かどっかの小さな喫茶店を借り切ってパーティーをした。
おませちゃんだったけど、いま思えば実に可愛らしい。あの頃は頻繁にキュンキュンしていた記憶がある。
そういえば、ファーストキスとやらを「プレゼントしてあげる」と言われたのもクリスマスだった。超絶的にキュンキュンした。
さすがに今の歳になって、あの「キュンキュン」を感じることは無くなった。実に淋しいことだ。
今では「ムホムホ」するだけである。
わずか0.5秒の幼い口づけに照れまくっていた当時の私が、変態オジサマと化した今の私に会ったら間違いなく張り倒しているはずだ。
残念。。。
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