なんだかエラそうなタイトルだが、妙に若作りしたオジサンに会う機会が重なったので、今日はそんな話を書く。
若々しく行動することは大事だ。老け込んだってトクすることはない。ただし、若々しくいることと若者のマネをすることは違う。ここを勘違いしているオヤジ達が多い。
似合ってない若者向けの服に身を包み、ハヤリの若者言葉まで使っているオジサンは気味が悪い。痛々しい。あれは単なる自己否定ではなかろうか。
年齢を重ねることに無駄な抵抗をするより、その年齢から滲み出る円熟した部分を肯定した方が格好いいと思う。
男女問わず、50代、60代、70代になっても他人から素敵だなあ、渋いなあと思われる人のことを思い返してみればわかる。
そういう人々に共通しているのは、年齢相応の品格みたいな空気を自然に醸し出している点だ。無理に若作りしているわけではない。
身につけるものしかり、身のこなしや話し方だって若者に迎合することなく、円熟した物腰で生きている。
無理に若作りしている中高年には心の余裕が感じられない。中高年にとって「余裕」こそが最大の武器である。その基本がおろそかになっているから不自然に見えてしまう。
デンと構える余裕。これが何より大切だろう。
そりゃあ、近づいて耳の後ろをクンクンすれば変な臭いがするかもしれないが、そればっかりは仕方がない。
男の目から見ると、妙にキンキラした美魔女と称されている若作りオバサンもブキミだ。あのブキミさは外見ばかりを若者風にしているからだと思う。
中高年になっても活躍している女優は美魔女とは呼ばれない。上っ面だけ若者をマネしているわけではないことが理由だろう。
黒木瞳や田中美佐子しかり、60歳前後の原田美枝子、樋口可南子、名取裕子だって皆さん、年相応に円熟した雰囲気が魅力になっている。
男が中途半端な美魔女をブキミに思うのと同じで、女性から見てもヘンテコな若作りオジサンは痛々しいだけだ。
もちろん、あえてオジサンくさい格好をすべきという話ではない。いくつになっても現役感は大切だ。多少の色気も必要だ。
とりあえずは若い頃より質の高いものを選び、自分なりのこだわりをキチンと押し通すべきだと思う。
私自身は「ダンディー」という言葉に惹かれる。そんな路線を目指したい。でも、ダンディーの意味や定義って何なんだろう。
ネットで「ダンディー」を調べてみたが、チンプンカンプンだ。よく分からないが、まあ、ダンディーといえばダンディーである。世間一般に漠然とイメージされるダンディーってやつである。
これ見よがしではない渋み、とでも表現すれば的確だろうか。適度な存在感の中に余裕と品格を感じさせる円熟味。そんな感じだろう。
肩の力を抜いて少しぐらい哀愁を漂わせるぐらいがちょうどいい。慌てず騒がず泰然自若でいながら、時々は“可愛こぶりっこ”するトッポさも持っていたい。
なんだかよくわからない話になってきた。
結局のところ、中高年の目指すべき路線は「中条きよしとかたせ梨乃」かもしれない。
http://fugoh-kisya.blogspot.jp/2015/09/blog-post_4.html
2018年2月14日水曜日
若ぶることはイタいこと
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2 件のコメント:
富豪記者殿
同感です!円熟味、これがこの10年、我々世代がめざす方向なんでしょうね!
若者とは違う世界を持っているよ、みたいな雰囲気を漂わせながらたまに歳相応と離れた素顔や行動をみせる程度が中年男の余裕ということでしょうか。
道草人生さま
達観しつつも、現役でいることを怠けないことが大事ですよね!
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