私はそれなりに偏屈だと思う。その証拠に一人旅、一人メシ、一人飲みが好きだ。無理やり人様に調子を合わせたり、おべんちゃらを言うのは苦手だし、それ以外のケースでも勝手に人に気を使って疲れちゃう。
古くからの友人やセクシーな女性なら別だ。ちゃんと楽しく過ごす。それ以外は億劫になる。単純にワガママなんだろう。
そう書くと社交性のカケラもないようだが、時々、飲み屋などで隣り合わせた見ず知らずの人と妙に盛り上がることもある。
先日も銀座で気取って飲んでいたのだが、隣に座っていた同年代のオジサマとひょんなことで長々と話し込んだ。
テーマは「ヒデキロス」である。西城秀樹の歌について深く鋭い考察を互いにぶつけ合った。
「ブルースカイブルー」の世界観やヒデキならではの歌唱法に関する想いが一致したせいで、かなり興奮しながら語り合った。
綺麗なオネエサンそっちのけのヒデキ談義に没頭しながら夜が更けていった。あの時に限っては自分がとても社交的だと感じた。
隣り合わせた見ず知らずの人と会話を交わすことは珍しくないが、気をつけたいのはスマートな距離感だろう。人と人の相性は結局そこに尽きると思う。
時々、一人飲みしているオッサンが「誰かと話したくて仕方ないオーラ」を発している場面に遭遇する。ああいうのが一番ウザったい。
店の人との聞こえよがしの会話内容や挙動不審ともいえる視線の動きによって、その種のオーラは不思議とビンビン伝わる。
こっちも一人なら付き合えば良さそうなものだが、そういうオッサンはたいてい親しく会話したいタイプではない。どうしたってガサツな空気が漂う。
私もそれなりにガサツだが、一応、ダンディーなナイスミドル!?を目指しているから、やすやすと彼の術中にハマるわけにもいかない。
下町の大衆酒場なら素直に軍門にくだるのもある種のマナーだろうが、しっぽり飲むような場面ではガサツオヤジからは上手に逃げるのが賢明だ。
そんなことに神経を使うのはシャクだが、私の場合、一度つきあい始めると割とその場を盛り上げたくなるタイプなので結果的に疲れてしまう。
おそらく、相手から好感を持たれたいという無駄な自意識が強いのだろう。バカみたいだ。
過去には隣り合わせて盛り上がったオッサンから、後日しつこく営業攻勢を食らったこともあった。
営業マンたるもの一度でも名刺交換した相手に食い込みたくなるのは分かるが、飲み屋でちょろっと語り合っただけである。迷惑な話である。
そういう迷惑を何度か経験するうちに「話しかけたがっているオーラ」に敏感になって、ついつい避けたくなっているのだろう。
それでも冒頭で書いたようなヒデキロスで意気投合するようなこともある。最近でも、見ず知らずのオッサンと盛り上がって彼の馴染みのスナックに場所を移して大騒ぎしたこともある。老紳士がとある世界の重鎮だとは知らずに軽口を叩きまくって痛飲したこともある。
その時はもちろん楽しい。だったら大事に付き合い続ければいいようなものだが、そこからダラダラするのは無粋な気がする。ほぼ100%がその場限りだ。
そんなことでイキだのヤボだの言っている自分は社交性に欠ける退屈な人間だと思う。「寅さん」なんか常に偶然知り合った人達と悲喜こもごもの時間を過ごしている。見習わないといけない。
これまで数十年にわたって、たまたま“袖ふれ合ってきた”人達のうち、1割~2割でもお付き合いを続けていたら私の世界ははるかに広がっていたのだと思う。
ひょっとしたら人生そのものが大きく変わっていた可能性だってある。
たまたま知り合ったのが妙齢の女性なら、結構しつこく追っかけてしまう私である。そこはヤボのかたまりである。
これからは飲み屋で知り合うオッサンや爺さんのことも妙齢の女性だと思い込んで壁を作らずに接してみようと思う。
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