ワイ談にもいろいろある。眉をひそめたくなる下品なものから文化的でフムフムと感心するものまで多種多様だ。
私は上品な人間だから当然、後者のほうが専門だ。仏文学者の鹿島茂さんや、いにしえの吉行淳之介、開高健あたりのエッセイにみられるような高尚?なエロ話が大好きである。
女性と交わったあと、一瞬ストンと落ちる状態、ぼんやりと弛緩した状態になることをフランス語では「小さな死」(petite mort)と呼ぶ。そんな洒落た話もそうした本などから知った。
知的ならぬ痴的好奇心が刺激される話は、人間の本性、もしくは業や煩悩にも絡んでくるから面白い。
最近、知ったのが「娼婦の値段は靴と同じ」という説だ。出どころはよく分からないが、昔から言われているらしい。靴好きな私としては興味深い。
いわば、古今東西、高級低級それぞれにおいて娼婦の値段は男の靴1足と同じだという俗説である。
1万円の靴を履く男、5万円の靴を履く男、はたまた10万オーバーの靴を履く男など、靴の値段はさまざまだ。いわば、娼婦の値段の幅も1万円から10万円オーバーまでクラス分けがされているということ。
国によって物価は違うわけだが、どこの国でも当てはまる話だとか。物価水準が変わっても、この法則はそれに応じて維持されているそうだ。
私は娼婦方面はあまり詳しくない。さすがに若い頃は風俗店を覗いたこともあるが、中年になってからはそっち方面とはなかなか縁がない。
まあ、死んじゃった紀州のドンファンさんと付き合うような“有料素人”もいるわけだから、娼婦か一般人かの線引きはビミョーなこともある。いや、それを言っても始まらない。
ちなみに上の画像は娼婦さんではなく、コスプレカラオケ大会での一コマ。決してプロの女性相手に変なカッコをさせたわけではない。
さて、風俗に詳しくないとはいえ、ソープランドの相場ぐらいは分かる。1万円台の大衆店、3~5万の中級店、7~10万ぐらいの高級店に価格帯が別れている。
これって確かに靴の値段と相通じるものがある。その値段の靴を履いている男がそれぞれの価格帯のソープに通っているのだろうか。多分そうなんだろう。
中級店だったらスコッチグレインなど国産の高級靴の価格帯だ。そこそここだわりのある紳士の主流派路線だろう。
高級店になると「Crockett&Jones」や「Santoni」あたりの値段だ。こっちは趣味の世界と言っても良い。ややマニアックな路線だ。あっちもマニアックなんだろうか。
1足で15~20万円ほどの「John Lobb」、「Edward Green」はやはりラチ外である。まあ、このあたりは一般的な靴とはいえないから、例の方程式には当てはまらないみたいだ。
それでも、ドンファンさんをはじめ、金満ヒヒオヤジだったら、そんな値段を払ってでも綺麗どころを手ゴメにするわけだから、やはりそれはそれで成立する話だ。
私も「John Lobb」や「Edward Green」は愛用している。でも、さすがにソッチ方面にそんな予算を回すほど金満オヤジではない。
だいたい、私が持っているその種の靴の大半は、ヨーロッパ旅行の際に激安セールで買っている。バーゲン品である。
アッチの世界でもバーゲン嬢とかもいるのだろうか。それはそれで興味深い。
ちなみに、これも何かで聞いた話だが、わが国の場合、娼婦さんの値段の価格差は10倍か、せいぜい20倍程度なんだとか。ざっと1万円~10万円の範囲という話である。
江戸時代はこの価格差が100倍以上だったそうだ。吉原の最上級クラスだと今の貨幣価値で30~50万円ぐらいも珍しくなかったらしい。
底辺は夜鷹と呼ばれた街娼で、空き地や物陰でゴザやむしろを敷いた即興サービスで2千円ぐらいだったとか。シュールである。
100倍の価格差って凄い。その格差の中にさまざまな人間ドラマがありそうだ。
紀州のドンファンさんも女性とネンゴロになりたい一心でお金を稼いだのは有名な話だ。
江戸の世にも、夜鷹はもちろん、岡場所にも飽き足らず“100倍”を目指して必死に稼いだ御仁もいたのだろう。
そんなどうでもいいことを考えている日々である。
平和だ。
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