2018年9月14日金曜日

葉巻の煙


15歳の頃にタバコの味を覚え、いつまで経っても煙とは縁が切れない。根っから好きなんだと思う。

最近は電子タバコにまで手を出すようになったのだが、さすがにあれはウマいとは言えない。代用品の域を出ない。

その点、葉巻の豊潤な味わいと香りは、煙業界の王者と呼ぶのにふさわしい。別格だろう。

世の中、禁煙ファッショが激しくなる一方だが、今の時代に葉巻を趣味としてたしなむのは一種のレジスタンスみたいで悪くない。


葉巻を覚えたのは25年ぐらい前だろうか。潜水旅行でカリブ海にばかり行っていた時期だ。現地人のオッサン達が気軽に楽しんでいる姿に魅せられて手を出した。

スノビッシュとは対極のガサツな感じで始めたので、その後、東京のオッシャレ~なシガー文化にたじろいだ。

シガーバーもたいていは妙にカッチョいいし、カッターにしてもシガーケースにしてもアホみたいに高価だ。なんだかすべてがキンキラキンである。

それ以前にウンチクを気にする人が多すぎる。吸い口のカットの仕方、火のつけ方、灰皿に至るまでアレコレとルールはある。まあ、ぶっちゃけどうでもいい話だろう。一応知っておけばいいという話だ。

私の場合、100円ライターで火をつけるし、灰皿もタバコと同じで構わない。美味しく葉巻を味わえればそれで良い。

もちろん嗜好品だから、いろいろこだわるのもアリだし、趣味の世界だから道具に神経を使う人が多いのも分かる。ただ、あまりにもルール(もどき)に縛られると窮屈なだけだ。

しょせんタバコの親玉みたいなものである。もっとフツーに楽しむ感覚が広まってほしいと思う。


個人的に一番嬉しい葉巻シチュエーションは南国リゾートにいる時間だ。葉巻自体が中南米原産だから、湿り気のある海沿いの風を感じながら一服するのは最高だ。

旅行に行く前には、お手製の「忘れ物チェック表」を確認するのだが、リストの先頭に書いてあるのが葉巻だ。欠かせない旅の相棒だ。


時には、職場の喫煙スペースでもプカプカする。非常階段の踊り場に私専用の喫煙椅子があるのだが、そこに座ってぼんやりと葉巻をふかす。道行く人が見たらヘンテコな姿だと思う。

銀座あたりの夜のクラブ活動の場も葉巻を楽しむには悪くない。8丁目の並木通り沿いというド定番な場所に葉巻専門店があるから、ふらっと1本買って店に行くパターンが多い。


一時期は、あえて銀座のクラブで葉巻をふかすことを自分に禁じていた。理由は「過剰なカッコマンに見えちゃう」からである。ほげほげした気分で純粋に葉巻を味わいたくても、ああいう場でプカプカしていると、どうしたって“カッコつけオヤジ”にしか見えない。

「あのオッサン、葉巻なんか咥えて、気取っちゃってイヤねえ~」。そんな風に人様に思われるのはシャクである。だから葉巻を常備している店に行っても我慢していた。

でも、考えてみれば、そんな感覚こそ自意識過剰である。葉巻ナシでもカッコつけることはある。どう考えても無意味な痩せ我慢でしかない。

というわけで、最近はまたプカプカしている。もう若造ではないのだから素直に欲望に従うほうが幸せだ。


これは自宅のヒュミドール。一昔前までは銘柄にもこだわりがあったのだが、最近はキューバ・ハバナ産であれば、ほぼ全方位外交状態である。

以前はファンロペスのロブストサイズが大好きだったのだが、何年か前に手に入りにくくなった時があり、それ以降は割と何でもかんでも手を出すようになった。

時間に余裕があるときはロブストサイズが定番。モンテクリスト、パルタガス、レイデルムンドあたりが多い。30分程度しかない時はペティコロナを選ぶ。こちらはサンクリストバルかトリニダーを選ぶ。

味わいはそれぞれ異なるのだが、最近では「葉巻の気分」になったらどれもこれもウマく感じるようになった。雑である。これも加齢のせいだろうか。

そういえば、最近は日本酒を選ぶ際にも「飲みやすいやつなら何でもいいよ」、焼酎の場合には「芋なら何でもいいよ」とテキトーに注文するようになった。

投げやりになったつもりはない。なんとなく大らかになってきたということか。

ただ、女性に関しては「誰でもいいよ~」とは言えないことだけが問題である。

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