2018年9月3日月曜日

アムロちゃん 泡盛


「安室奈美恵、引退」と聞いてもオジサマ世代にはあまりピンとこない。でも30代、40代ぐらいの人達にとっては「平成の終わり」を象徴するトピックになっているようだ。

若者世代からの圧倒的な支持だけでなく、沖縄の人にとっては歴史上の偉人のような存在だ。沖縄出身者として天下を取ったということが革命的だったわけだ。

「沖縄」がグイグイ来た?のはここ25年ぐらいの話だ。THE BOOMが島唄を大ヒットさせたのが93年、その後、95年ぐらいからアムラー現象という言葉が出てきて、97年ぐらいにはSPEEDが大人気になり、2000年には沖縄サミットが開かれた。

あれよあれよと言う間に、沖縄は日本の中でも“メジャー級”の存在になった。ちなみに朝ドラの「ちゅらさん」が放送されたのは2001年。沖縄ブームという言葉も生まれた。

私の沖縄初体験は1975年の海洋博。あんまり覚えていない。その後、大学生の頃からはヒマさえあれば沖縄に潜りに出かけた。

85年から90年ぐらいの間は年に3回ぐらい行くこともあった。まだまだマイナーだった沖縄料理や泡盛にもハマったのだが、80年代の東京ではなかなかお目にかかれなかった。

今はどこにでも沖縄居酒屋があふれ、沖縄とは無関係の飲み屋でも泡盛が置いてある。まさに隔世の感である。

沖縄にハマった頃、20歳そこそこだった私は、沖縄そばのビミョーな感じに戸惑い、ソーメンチャンプルーには興奮したものの、ゴーヤチャンプルーには卒倒した。

豆腐ようにたじろぐ一方で、ジーマミ豆腐には感激した。今ではすべてがウマいと思えるし、定期的に無性に食べたくなる。

泡盛も初めて口にしたときはビビった。まだ本格焼酎すら世の中にさほど出回っていなかったから、「グヘ、何じゃこれ?」が正直な感想だった。

その後、泡盛しか飲ませてもらえない現地での飲み会を重ねるうちにウマさが分かってきた。すっかりファンになった。

30年ぐらい前は東京に沖縄料理の店は数えるほどしかなかった。おまけに地元出身者が集まるディープなスナック的な店ばかり。都会の若造が気軽に入れる空気ではなかった。

今の時代からは想像もつかないが、ある意味、「アムロちゃん」のおかげで世相が変わったという見方も出来る。やはり偉人なんだろう。

泡盛といえば、私にとっての宝物が17年前に調達した一升甕の古酒だ。購入したときに5年古酒だったから既に20年以上が経過している。

娘が生まれた時、20年後に一緒に飲もうと考えて、熟成が進む甕仕込みの泡盛を探した。忠孝酒造というメーカーが独自の甕を作っていると聞き、特注をお願いした。




特注といっても甕に娘の名前と生年月日を彫ってもらっただけだが、私にとっては大事な記念品である。画像は正面だが、裏面にデカデカと名前が彫ってある。

発注するとき、20年も待つのは大変だ、10年ぐらいで開けちゃいそうだと思って、甕は2つ注文した。案の定、娘が10歳になった時に一つは開けた。

まろやかで芳醇な味わいだった。さすがにその時点で15年モノになっていたわけだから、そこらへんの泡盛とは別次元だった。

もう一つの封印されたままの甕を開けるのが楽しみである。あと3年辛抱すればトータルで25年も寝かせた極上品が味わえる。きっと泣きながら飲むことになるのだろう。

というわけで、7年前に開けてしまった甕のほうは、今も嬉しいことや何かの節目にチョロチョロと飲んでいる。

飲んだ分だけ同じ泡盛をつぎ足して酒を育てていくことを「仕次ぎ」というのだが、せっかくの逸品を普通の泡盛と混ぜてしまうのはダメだ。




というわけで、追加投入するのは忠孝酒造の10年古酒である。15年古酒も売っているのだが、そっちは4合瓶で15千円もする。だから10年モノで我慢している。

私の人生にとって大事な記念品なのに、そんなところでケチってしまうあたりが問題である。

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