2021年7月19日月曜日

赤坂辻留の牡丹鱧


裏を返さぬは江戸っ子の恥。その昔の遊びの世界ではそんな言葉が飛び交ったそうだ。元々は吉原あたりの遊女との遊び方を指す。

 

すなわち、初めて情を交わした遊女に再び会いに行くことを意味する。なんともまあ店側に都合の良い話だが、擬似的夫婦ごっことして一種の不文律だったらしい。

 

私自身、ワンナイトとかヤリ逃げ?みたいな1回こっきりは好きではない。だから昔からこの言葉が好きだ。

 

情を交わすという行為は、一種の探り合いである。3回目ぐらいにようやく本領発揮!と相成るのが普通だろう。4回目、5回目あたりの私は天下無双状態(笑)である。

 

すいません。話がそれた。

 

銀座のクラブの担当ホステスさんが永久指名制になっているのも江戸期の遊郭文化の流れだ。客にとって良いのか悪いのかちょっと分からない話ではある。

 

さてさて、裏を返すという言葉を通ぶって遊郭以外にも使うとしたら、初めて出かけた飲食店を気にいって間を置かずに再訪する時だろう。

 

小体な料理屋さんやお寿司屋さんのノレンをくぐりながら「裏を返しに来ましたぜ」などと言ってみる。自分がイキな遊び人になったかのような気分になる。

 

一見さんではなくなったことで居心地も良くなり楽しみは広がる。数ヶ月も経ってしまうと意味がない。短い間に2回目の訪問をすることが大事だろう。

 

先日、懐石料理の名店である赤坂「辻留」に出かけた。堂々と酒を飲みたかったから緊急事態宣言が出る前に駆け込みで裏を返しに行った。

一ヶ月半ほど前に訪ねた時の話はこちら。

 

http://fugoh-kisya.blogspot.com/2021/05/blog-post_31.html

 

前回訪ねた際にもうすぐ名物の「牡丹鱧」の季節だと聞いたので、それを目当てに再訪となった。メンバーは旧友3人である。

 

いい歳した大人だから時には文化的に過ごすことも大事だ。普段はモツ焼屋で音楽談義かワイ談ばかりしているから、ちゃんとした場所でちゃんとした会話をすることも新鮮だった。

 



 

牡丹鱧である。骨切りしたハモに葛をまぶしてある。お椀の中で花が咲いたかのような風情を見て、かの谷崎潤一郎が命名したそうだ。

 

ふわっとした食感が印象的だった。懐石料理の花形であるお吸い物の得も言われぬ優しい味がハモの風味と溶け合う。滋味に富むとしか表現できない完成度だった。

 





 

日本料理の正しい見本のような逸品達をしみじみ味わう。器がまた趣がある。普通に魯山人作の皿で供されるのが器好きには嬉しい。

 

酒器は高麗・李朝系の陶器を再興したことで知られる巨匠・小林東五さんの作品。適度な重厚感に加えて柔らかさも感じる徳利や盃はずっと掌で遊んでいたくなる感じだ。

 



 

この日のシメがまた良かった。前回の汁掛け深川飯にも感動したが、今回もただただ唸らせられた。鱧皮ご飯である。

 

ハモの皮をあえて焦がし気味にしてごはんと混ぜ合わせてある、ハモの風味に加えて皮を焦がすことで生まれた香ばしさがアクセントになって、これぞ至高のニッポンのメシと言いたくなる味わいだった。

 



 

このご飯茶碗も魯山人の作だ。なんとも贅沢な気分で楽しめた。器も相まって自分史上最高レベルの「シメのご飯」と言いいたくなる。

 




 

牛丼やマックも大好きで、コンビニメシをしょちゅう食べ、ウーバーイーツで怪しげなジャンクフードばかり注文し、自炊するにしても具の無い冷やし中華ばかり食べている私である。

 

時には真っ当な「日本の心」みたいな上質なものを口にすることはとっても大事だと改めて痛感した。

 

「食」という文字は「人」を「良」くすると書く。そんなウンチクを思い出すひとときだった。

 

 

 

 

 

 

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